九州プロキックボクシング(KPKB)渡邉真治代表インタビュー「天心選手・武尊選手以上の選手を九州から作るのが夢」
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6月19日、東京ドームに5万6千人・満員の観衆を集め、ABEMAで50万人以上が有料生中継を視聴した「THE MATCH 2022」。約半世紀のキックボクシング史上最大規模のイベントとなったのも、キック業界全体の長年の地道な大会開催、アマチュア含めた選手育成の積み重ねがあったからこそだ。メインイベンターの那須川天心は子供の時から空手・キックのアマ大会で経験を積んだ。鳥取出身の武尊も大阪でのK-1甲子園予選での敗退をきっかけに上京を決意し、デビューしてからも500人規模の新宿フェイスでの試合が続いた時期もある。
THE MATCHが終わった後も、休日には全国で大会が行われ、未来の天心・武尊を目指す若者たちが切磋琢磨している。THE MATCHの約1カ月後の7月18日にアクシオン福岡で行われた「アマチュアキックボクシング九州大会 2022」もそのうちの1つ。大会を主催した九州プロキックボクシング(KPKB)の渡邉真治代表も元キックボクサー。約15年前に引退後、地元福岡にて九州のキックシーンの活性化を目指す活動をし、一時は挫折しかけたが、「まだ何かできることがないか」と奮起し、アマ大会を開催するきっかけになったのが天心の存在だったという。
9月25日、さいたまスーパーアリーナのRIZINではフロイド・メイウェザー・Jr.と朝倉未来のエキシビションマッチが行われ大きな話題を呼んだが、同じ日にKPKBは福岡でプロ大会を開催したばかり。11月23日には初の熊本大会も控え、精力的に大会を開催する渡邊氏。「天心・武尊以上の選手を九州から作る夢がないとできないですね」と話す彼に、これまでの道のり、これからのビジョンを聞いた。(聞き手:井原芳徳)
――渡邊さんのことは、05年前後にRISEやNJKFに出場し、同じ所属先のCUC(筑紫野運動クラブ)から何人かの選手が東京の大会で人気選手とも試合していたことで、名前だけは覚えていました。去年(21年)2月のvol.2から、KPKBのプレスリリースが届くようになって、本文を見ていますと、渡邉さんのお名前があって、久しぶりに見る名前だなあと、懐かしく感じました。で、そうこうしているうちに、去年だけで3大会、今年に入ってからも3大会開催され、なおかつKPKBのチャンピオンがK-1・Krush・KNOCK OUTといった大会にも頻繁に乗り込むようになって、KPKBが地方のキック大会の中でも急激に存在感を高めました。その原動力やモチベーションってなんなんだろうと素朴に気になりまして、渡邊さんに色々お話を聞いてみたいと思いました。
まず、思いっきりさかのぼりますが、渡邊さんが格闘技をはじめたきっかけは何だったんでしょうか?
渡邉「もともと小学生の時から剣道を12年ぐらいやっていて、社会人になったんですけど、道具を使わない戦いへの関心や憧れが増してきたんですね。私は70年生まれで、90年代半ばに実戦空手だったり、当時出てきた総合格闘技に興味を持つようになって。最初は大道塾に入ろうかなと思っていたんですけど、盆か正月の親戚の集まりで、空手教室をやっている従兄にそんな話をしたら、『その前にウチに来いよ』と言われて。そしたら何も知らずグローブをつけさせられ、『ケンカと思ってやれ』と言われてスパーリングをやってみたら一発で倒されて。悔しくてその方に絶対勝ってやろうと思ったのがきっかけですね。
総合もやりたかったんですけど、その頃は九州にほとんど大会が無くて、格闘技通信とかの出場選手募集のページを見てもキックボクシングとかグローブ空手の募集がほとんどだったので、そういう大会に出ていました。
従兄の空手教室は週1しかやってないので、自主練習が中心でしたね。実家の木にミットをつけて叩いたり殴ったり、道路のトンネルの中で一人でシャドーを黙々とやったり。今うちのアマ大会に出てもらっている空手道場に3~4年お世話になった時代もあります。そのうち、自分でコミュニティセンターを借りて参加者を募集し、ボランティアで指導するようにもなりました。ただ会員が最高で50人ぐらいになって、普段の仕事をやりながらですので、手が回らなくなって、それも止めました。」
――福岡ですと、まだ当時はやりたいことをやる環境が不十分でしたよね。プロ選手としてはどれぐらい試合をされたんですか。
渡邉「20試合ぐらいしました。初期のRISE(当時の名称はR.I.S.E.)の大森ゴールドジム大会とか、NJKFの拳之会主催の岡山大会にも出させてもらっていましたけど、ほとんどは九州での試合でした。今、KPKBでリングアナウンサーをやってくださっている宮田充さん(現KNOCK OUT、元Krush・K-1のプロデューサー)が全日本キックのマッチメイカーをされていた時代にオファーをもらって、後楽園ホールでの試合が決まったんですけど、体調を崩してドクターストップがかかってしまって欠場しました。あの時は本当に申し訳なかったですし、あの失敗をきっかけに引退を考えるようになりました。」
――引退以降、19年にKPKBを旗揚げするまで、どういう過程を歩まれたのでしょうか。
渡邉「九州ですと、プロでやっていた選手が引退した後、専業の指導者になる人も一部にはいますけど、大半の人たちは別の仕事をしながら、元いたジムの選手の試合のセコンドについたり、たまに暇な時にミット持ちでジムに行くぐらいでしか、格闘技に関わることがありませんでした。アマチュア大会のレフェリーやジャッジといった競技運営陣にしても、片手間やっている感はぬぐえなくて、正直、あまりにもな状況だったんですね。みんなもっと協力して良くできないかと思って、勉強会を立ち上げました。05年からですから35歳の時です。3か月に1回集まって、10数年やりました。
私自身も九州の各県の大会のレフェリーをやらせてもらいましたし、九州の大会の審判のレベルも少しずつ上がったという自負はあるんですが、40代後半になって、いい歳になってきて、九州の大会から東京の大会に進出できるような強い選手もなかなか出てこないので、もう足洗っちゃおうかなあと思ったんですよ。そんな頃に友人の会長に連れられて、KNOCK OUTの1回目か2回目の大会を東京に見に行ったら、ボクシングで井岡一翔選手に勝ったタイ人の強い選手に、那須川天心選手が左ボディ一発で勝っちゃって。(KNOCK OUT vol.1 2017年2月12日 大田区総合体育館 アムナット・ルエンロン戦。天心の4R KO勝ち/下写真)」
渡邉「まだ高校生の天心選手を見て、こんな強い選手がいたんだ、ってびっくりしちゃって。こんな凄いパフォーマンスをする選手が日本にいるんであれば、と思って、まだ何かできることがないか、と考えるようになりました。ちょっとでも地元のジムのお手伝いをできればと思って、それからアマチュアの大会をやり出して、19年からプロの大会もはじめました。最初のアマ大会は20数名集まる程度でしたけど、それから少しずつ増えました。九州の一通りの大会で審判として関わってきたご縁もあって、他のプロモーターさんも快く選手を送り出してくれたことにも大変感謝しています。」
――KPKBは旗揚げ大会(19年7月28日 さざんぴあ博多)以降、コロナ禍の影響でしばらくブランクがありましたが、冒頭にもお話しした昨年2月のvol.2で、9階級の初代KPKB王座決定戦を実施すると、そこで生まれた王者たちが多数、中央の大会に出場するようになりました。
幸輝選手(鹿児島・インタージム/KPKBスーパーウェルター級王者/上写真)は去年4月のKrushでFUMIYA選手をKOしてインパクトを残し、7月のK-1福岡大会では安保瑠輝也選手との試合に抜擢され、KO負けしましたが、KPKBに戻ってから2連勝し、8月のK-1福岡大会では海斗選手に敗れました。
銀次選手(福岡・VAINQUEUR GYM/KPKBフェザー級王者/上写真)は昨年9月のKPKB vol.4で栗秋祥梧をKOし、10月のKNOCK OUTで龍聖に判定負けし、今年2月のKPKBでも負けましたが、5月大会の初防衛戦では飛び膝蹴りで豪快にKO勝ちし再起を果たしました。彼も8月のK-1福岡のフェザー級トーナメントのリザーブファイトに抜擢されましたね。K-1福岡では丸山公豊選手(熊本・宮田ジム/KPKBヘビー級王者)が坂本英則選手相手にインパクト十分なKO勝ちを果たしました。
他にも挙げるときりがなく、KPKBと中央のプロモーションとのいい循環が早速生まれていると思います。もっとじっくりチャンピオンを作ったり、経験を積ませてから中央に送り込むのも一つの道かと思いますが、早い段階からチャンスを与える方針を取ったのはなぜでしょうか。
渡邉「やっぱり格闘技、シンプルに『誰が一番強いんだ』というところから始まると思うんですよね。それが例え九州の枠内だったとしても、チャンピオンになった選手は負けられない思いも強くなりますし、挑戦する選手もタイトルマッチなんだから練習しないといけないと思うようになるでしょうから、選手たちのレベルアップのために最初からチャンピオンシップを並べました。アマチュア大会でいいと思った選手は、どんどんプロでデビューさせます。5月のスーパーライト級次期挑戦者決定トーナメントは4選手中3選手がプロデビュー戦でした。優勝した八尋開人(福岡・RAOU JAPAN)はトーナメントに出ることになって自覚が出たのか、アマチュアで見た時よりもレベルが数段上がっていましたし、こんなに打ち合って、決勝で1R KO勝ちは圧巻でした。」(※追記:このインタビュー後、9月25日のKPKBで八尋はダルビッシュ黒木に判定勝ちし、KPKBスーパーライト級王者になっている)
――5月大会で八尋選手(上写真左)の試合を拝見しましたが、まだ粗削りながらも、アグレッシブさ、タフさはデビューの選手とは思えないレベルでした。一回戦の1R目は蹴り主体で、終盤押され気味になると、2R目から少しずつ打合いになって。決勝のダメージ蓄積を考えないで戦っているようで、このどこかでスイッチが入って突っ走る感じは、スポットライトの当たるプロならではの化け方なのかもしれません。
渡邉「友達や家族が応援に来てくれて、負けられない気持ちも沸くでしょうね。うちでチャンピオンになった選手が大きな大会に出た際も、やっていることに自信あるからみんなに見てほしいという心理も働くと思うんですよ。5月大会で幸輝とやった佑悟(福岡・Lion Gym)は4月のKrush-EX福岡大会でKO勝ちしていたので、もっと幸輝とは接戦になるかと思いましたけど、そうは問屋は降ろさず。幸輝はK-1に出て安保選手とやった自信の差が出たんじゃないですかね。
大分から上京して東京で練習している栗秋選手と銀次の試合を去年組んだときも、上京しないと強くなれない定説が本当なのか試したい思いもあったんですよ。銀次もここで勝てば東京で戦えるという思いがあって、それが結果につながったんでしょうね。幸輝は安保選手に、銀次は龍聖選手に、思いっきりやられちゃいましたから、もっとじっくり経験を積ませてからのほうが良かったんじゃないかという声もあります。でも、幸輝も銀次も地元での仕事もあるし、格闘技に専念できる時間も限られている。小さい大会で何試合もコツコツやってからよりも、できそうな選手であれば、行けるもんであれば、早いうちからどんどんやらせたほうがいいと思うんです。」
――東京に比べると、格闘技と仕事を並行することによる周囲の視線の冷たさやプレッシャーは厳しいものがあるでしょうね。特に地方ではチャンス自体が少ないです。
渡邉「1%でもチャンスがあれば、努力して食らいつけば何とかなる可能性があるし、意識も変わると思うんですよ。九州の片田舎の選手たちがKPKBの小さな会場でチャンピオンになって、強くなってメジャーの大舞台で結果を出してもらうのがまず最初の夢です。そうなってくれば応援してくれる人も増えて、試合一本で食っていける選手もたくさん出てくるでしょうし、そういう先輩に憧れてプロ目指すジム生も増えるでしょう。九州ドリームからジャパニーズドリームに発展してほしいですね。僕らとしても天心選手や武尊選手以上の選手を九州から作る夢がないとできないですね。そのためにも、これからも変わらずアマチュアを強化していきたい。プロは今年も来年も4~5大会やりますし、来年2月大会は去年今年同様にタイトルマッチを並べます。九州でもキックボクシングが盛り上がって、各ジムが活性化し、メジャーな競技になっていけばうれしいです。」
九州プロキックボクシング これまでのプロ大会一覧
vol.1 2019年7月28日(日) さざんぴあ博多
vol.2 2021年2月14日(日) アクロス福岡
vol.3 2021年5月16日(日) さざんぴあ博多
vol.4 2021年9月5日(日) アクロス福岡
vol.5 6 2022年2月13日(日) アクロス福岡
vol.7 8 2022年5月22日(日) アクロス福岡
vol.9 10 2022年9月25日(日) アクロス福岡
九州プロキックボクシング 今後のプロ大会予定
2022年11月23日(祝)フードパル熊本
2023年2月12日(日) アクロス福岡
2023年5月21日(日) アクロス福岡
九州プロキック(KPKB)9.25 アクロス福岡(レポ):日畑達也、佐藤九里虎に判定勝ち。八尋開人がスーパーライト級、YUZUKI BRAVELYがスーパーフェザー級王者に