ゼロ年代格闘技ブームの立役者の一人・ミルコ・クロコップ、20年以上の偉大な足跡を写真と共に振り返る
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ミルコ・クロコップが2日(日本時間)にインスタグラムを更新し、引退を表明した(速報記事)。初来日は96年。99年のK-1 GPで準優勝し、2001年8月のMMAデビュー戦で藤田和之を39秒でKOしたのをきっかけに、MMAに本格進出する。ヒョードル、ノゲイラと共にPRIDEヘビー級3強時代を築き、格闘技ブームの立役者の一人となり、キックボクサーのMMA進出のロールモデルを築いた。思春期に母国クロアチアの内戦に巻き込まれ、父を亡くし、家族との絆も戦いの原動力に。その姿勢はPRIDE時代の試合前のVTRでも度々紹介され、不屈の闘志と磨き抜かれた左のハイキックで数多くの感動的な場面を生み出した。UFC、RIZINに主戦場を移してからも、カリスマ的な人気は衰えず。晩年は引退と復帰を繰り返したが、ついにドクターストップがかかった。その偉大な足跡を写真と共に振り返る。
(動画はミルコの入場テーマ曲、Duran Duranの「The Wild Boys」)
ミルコは1974年9月10日生まれの44歳。子供の時からボクシング、空手、テコンドー等を習い、19歳でキックボクシングに転向。初代K-1 GP王者・ブランコ・シカティッ氏クの指導を受け、96年3月にミルコ・タイガーのリングネームでK-1に初登場し、ジェロム・レ・バンナに判定勝ちする。シカティック氏と決別後、99年4月に3年ぶりにK-1に復帰。元警察官であることから、この時からリングネームに「クロコップ(クロアチア人の警察官)」を入れるようになり、同年のK-1 GPでは武蔵、サム・グレコらを破り準優勝という好成績を残す。決勝の相手・アーネスト・ホーストには、翌2000年12月のGP準々決勝でも敗れる。
2001年8月、K-1の大会で行われたアントニオ猪木軍とのMMAルールでの対抗戦にミルコは抜擢され、藤田和之のタックルに左の膝蹴りを合わせて大出血させ、わずか39秒でTKO勝ち。同年11月の高田延彦戦(引分)でPRIDEに初参戦。01年大晦日のINOKI BOM-BA-YEでは永田裕志を左ハイでわずか21秒で沈める。
03年3月のボブ・サップ戦での勝利を最後にK-1を離れ、PRIDEへと完全に主戦場を移すと、得意の左の蹴りを最大の武器にKOを量産し、エメリヤーエンコ・ヒョードル、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと共にヘビー級3強時代を築き、格闘技ブームの立役者となった。03年11月の東京ドームでのヘビー級暫定王者決定戦ではノゲイラを打撃で追い詰めるも、腕十字で逆転一本負けし、MMA10戦目で初黒星。04年4月のPRIDEヘビー級GP一回戦ではケビン・ランデルマンの左フックで秒殺KO負けを喫したが、同年大晦日の男祭りではフロントチョークでランデルマンに秒殺リベンジし、MMA選手としての着実な進化を印象づける。
05年8月のPRIDEヘビー級タイトルマッチではヒョードルに判定負け。06年の無差別級GPでは美濃輪育久、吉田秀彦、ヴァンダレイ・シウバ、ジョシュ・バーネットを破って優勝を果たし、ヒョードルの王座への再挑戦の権利を獲得した。だが、同年6月のフジテレビとPRIDEの運営会社のDSEの契約解除の影響もあり、9月のGP制覇を最後にPRIDEを離れ、07年はUFCに戦場を移す。08年、DSEの元スタッフらがスタートしたDREAMに参戦したが、09年からは再びUFCに復帰。UFCで3勝1敗の後、フランク・ミア、ブレンダン・シャウブ、ロイ・ネルソンに3連敗。11年10月のネルソン戦をもって一度引退する。
12年からキックボクシングで選手復帰すると、K-1グローバル体制下のK-1に上がり、10月から開幕した無差別級のWORLD GPトーナメントに出場し、13年3月のクロアチアでの決勝トーナメントを制する。12年大晦日のIGFでの鈴川真一戦からMMAに復帰。14年8月と大晦日、現在の練習仲間である石井慧戦での2連勝を経て、15年4月にUFCに復帰し、ガブリエル・ゴンザガに勝利しリベンジに成功するが、11月の試合前のドーピング検査で陽性反応が出て、肩の怪我の影響もあり、再び引退する。
だが16年9月、RIZINで現役復帰。大晦日まで行われた無差別級GPではキング・モー、把瑠都、アミル・アリアックバリらを破り優勝を果たす。その後、怪我とも戦いながら、17年大晦日に高阪剛、18年9月にロッキー・マルティネスを圧倒し、今年2月17日(日本時間)のベラトールでロイ・ネルソンに判定勝ちでリベンジし、MMAでの連勝を10に伸ばしていた。だがその8日後の練習再開時、頭痛による体調不良を訴え、脳内血管から微量の出血痕が確認さ、医師からの引退勧告を受け、引退を余儀なくされた。
ミルコは退院後の3月2日(日本時間)にインスタグラムを更新し「何度が復帰しましたがこれが本当に最後です」「医師の警告を深刻に受け止めています。仮に3か月後のMRI検査で回復が確認でき、トレーニングを再開できたとしても、スパーリングをして頭に打撃を受けるのは危険なため禁止されるでしょう」「これまで応援してくれた人達に感謝します。後悔はありません」と、ファンに引退を報告した。
RIZINの榊原信行実行委員長もTwitterでミルコの症状を報告すると共に、続いてのツイートでは「キックボクサーであるミルコが果敢にMMAに挑戦をし、グラウンドの対応を身に付けコンプリートなMMAファイターに進化を遂げて来た彼の20年以上に渡る闘いの歴史には、心から敬意を評したいと思います。そして共に歩めた事を誇りに思います。本当にお疲れ様でした。」と、功績を称えている。
下写真は16年大晦日からの一夜明け会見でのミルコと那須川天心のツーショット。天心はこの時の写真をインスタグラムに載せ「前にミルコ選手が君はスターになる素質を持っている、頑張れよ!と言ってくださいました。現役生活お疲れ様でした。」とのメッセージを寄せている。