山本“KID”徳郁が死去。享年41歳。“神の子”の戦いの歴史を振り返る
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がんの治療のため闘病中と8月26日に公表していた山本“KID”徳郁が、9月18日に死去した。41歳だった。KIDが主宰するKRAZY BEEの公式Twitterが同日昼に発表した。
山本KID徳郁を応援して下さった皆様へ
山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます。
尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます。
KRAZYBEE— KRAZY BEE OFFICIAL (@KB_official) 2018年9月18日
KIDは1977年3月15日生まれ。1972年ミュンヘン五輪レスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮氏を父に持ち、姉・美憂、妹・聖子と共にレスリング一家で育つ。99年の全日本大学レスリング選手権大会で優勝したが、同年の全日本レスリング選手権大会で準優勝に終わると、MMAに転向。当時美憂と交際していた初代修斗ヘビー級王者のエンセン井上氏の元でMMAを習い、2000年の第7回全日本アマチュア修斗選手権で優勝する。
01年3月2日にプロ修斗の塩澤正人戦でデビューし判定勝ち(上写真)。アマ修斗では比較的手堅く相手を押さえてポイントを取るスタイルだったが、プロデビュー戦では打撃主体で、第1試合と思えないほどに会場が沸く。「打撃戦を狙ったのはお客さんを意識したから」と話し、この時点で既にプロ意識が強かった。バウトレビューの見出しでも「マモル、大逆転の一本勝ち。山本“KID”徳郁、パンチ合戦でデビュー戦制す」と、第1試合ながらメインのマモルと並べて記したほどだった。
プロ修斗で3連勝後、02年5月5日、当時のトップ選手・ステファン・パーリングと対戦するが、タックルに膝蹴りを合わせられて額をカットし、わずか30秒でプロ初黒星を喫する。医務室で治療を受けた後のKIDは「かすり傷。今(再戦を)やりたい。(パーリングの)顔面の皮全部剥ぎたい」と強気にコメントした。
続く02年9月16日の勝田哲夫戦では、レフェリーストップ後も殴り続け、修斗コミッションから120日間のライセンス停止処分を受ける。トラブルの多い選手だったが、高いポテンシャルを評価する声は多く、04年2月24日のK-1 WORLD MAX 2004 日本代表決定トーナメントでK-1に初参戦し、一回戦で村浜武洋をKO(上写真。右拳の負傷で準決勝は棄権)。キックルール初挑戦ながら下馬評を覆す活躍をし、一気に世間に名を知られることに。紹介VTRでの「格闘の神様の子供、俺は。神の子」という発言から、“神の子”という愛称も浸透する。
村浜戦後、K-1のリングでのMMA、ミックスルールの試合で3連勝。04年10月13日、ジャダンバ・ナラントンガラグを右フックで1R KOすると、「年末、日本のみんなを盛り上げたいから、魔裟斗くん、僕と2人で試合でもして日本を盛り上げましょう」とアピールした。大晦日の大阪ドームでのDynamite!!では、魔裟斗に判定負けを喫したが、ダウンの応酬で沸かせ、スター選手としての地位を確立する。TBSで中継され、ビデオリサーチ調べの瞬間最高視聴率(関東地区)で31.6%を記録している。
05年、K-1がPRIDEに対抗して旗揚げしたMMA大会・HERO’Sのミドル級(70kg)世界最強王者決定トーナメントで宇野薫、須藤元気らを下し優勝。06年5月3日のHERO’S代々木競技場第1体育館大会では飛び膝蹴りで宮田和幸をわずか4秒でKO。「ヤバイ、カッコ良すぎる、俺」とのマイクも印象的だった。下写真は同大会後の集合写真。
宮田戦から2か月後、翌年の北京五輪出場を目指し、レスリング復帰を表明したが、07年1月28日、天皇杯の2回戦でアテネ五輪銅メダルの井上謙二の巻投げで右肘を脱臼し16秒で敗れる(左は父の郁榮氏)。以降は怪我や体調を悪化することが増え、MMAでも負けが込むように。11年2月5日のデメトリアス・ジョンソン戦からUFCに参戦するが、15年2月28日のローマン・サラザール戦まで4戦で1勝もあげることができなかった。
東京・中馬込に構えた自身のジム「KRAZY BEE(旧称KILLER BEE)」には菊地昭、朴光哲が加わり、福田力、山本篤、田村一聖、堀口恭司、矢地祐介といった実力者を輩出する。近年は姉の美憂、美憂の長男のアーセンもMMAに転向し、KIDの元で技術を習った。(上写真は16年8月1日のRIZINの会見で美憂がMMA転向を表明した際の一家の写真)
15年大晦日のTBSの特番では魔裟斗と11年ぶりに肌を合わせたが、戦う姿を見せたのはこれが最後に。最近ではAbemaTVの「格闘代理戦争」のシーズン1(K-1編)とシーズン2(MMA編)で連続して選手を発掘する“レジェンド”側として出演していたが、体調を悪化し、今年春のシーズン2では途中から登場しなくなり、姉・美憂の7月29日のRIZINの試合時も会場に姿を見せなかった。実は胃がんのため2年前から闘病生活を送っており、8月26日のInstagramで、がんの治療のため闘病中であることを公表した。「絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っています」と記していたが、9月18日、療養先のグアムで帰らぬ人となった。(文・井原芳徳)
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