KNOCK OUT・REBELSの新プロデューサーに宮田充氏が就任「K-1を真似しちゃいけない」、山口元気氏「宮田さんの色に染めてもらいたい」
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KNOCK OUT・REBELSの山口元気プロデューサーが退任し、新たにK-1・Krushの元プロデューサーの宮田充氏が就任した。新たな運営組織として「KNOCK OUT・REBELS実行委員会」が立ち上がり、大会主催会社・デフフェローの山口代表はその一員として引き続き運営に携わり、宮田氏をバックアップする。
宮田氏は現在52歳。1990年に全日本キックボクシング連盟の運営会社に入り、興行部長を務め、2009年の連盟解散後はKrushのプロデューサーに。14年からは新生K-1(K-1 WORLD GP JAPAN)の運営に携わり、16年9月から18年12月にはK-1プロデューサーを務めた。今年6月末でK-1・Krushの運営会社から退職しフリーとなったが、山口氏の熱烈なラブコールを受け、キックボクシング業界に早くも復帰する。
新生K-1旗揚げ後、いわゆる「非K-1」の立ち位置だった山口氏だが、近年はクロスポイント吉祥寺の代表者として、日菜太、不可思といった主力選手をK-1・Krushに送り込み、その交渉を通じて宮田氏とも接点があった。過去に魔裟斗、小林聡、大月晴明、武尊ら、数多くの名選手をマッチメイクや広報戦略を通じて育て輝かせた宮田氏の手腕を、山口氏は以前から高く評価していた。9月28日の東京都内での発表記者会見で、山口氏は「宮田さんの色に全部染めてもらいたい」「僕が作って来たものを気にせず、ぶっ壊してもらって、選手にとって魅力的なリングにしてもらいたい」と話した。
山口氏は現在50歳。90年代、全日本キックのライバル団体だったMA日本キックボクシング連盟のフライ級・フェザー級で王者となり、2003年に山木ジム時代の同門だった伊藤隆氏らと共にR.I.S.E.(今のRISE)を旗揚げ。後にRISEを離れ10年にREBELSを旗揚げし、昨年5月、KNOCK OUTの小野寺力氏に代わる新たなプロデューサーに就任。今年6月15日、ブシロードがKNOCK OUT事業を、山口氏が代表を務めるREBELSの運営会社・デフフェローに譲渡すると発表。その直後のインタビューで山口氏は「本当の意味でKNOCK OUTを引き継ぐのは、新体制になるこれからだと思います」と話していたが、それからわずか3か月半で宮田氏にバトンタッチする。その経緯について山口氏は「REBELSは今年10周年を迎え、時代の流れに応じて変化をして続いてきましたが、今回、格闘技業界で生き残るため」と話しており、宮田氏のプロデュース手腕を借り、KNOCK OUT・REBELSを一皮剥けさせたいと考え、今回の大胆な決断に至った模様だ。
宮田氏の挨拶とマスコミとの主なやり取り
(宮田氏の挨拶)6月をもって今までの仕事を退職しまして、そこから3か月経ち、本日このような形となりました。山口さんからはちょっと前からお声かけいただきましたが、フリーになり、格闘技以外の仕事ができるのか?何ができるのか?を考えつつ、山口さんに待ってもらう時期が結構ありました。そんな中でも熱く声をかけていただいて、(REBELSの)櫻田(貴士)オーナーとも話をさせていただいて、自分で良ければやらせていただきますと返事をさせていただきました。
やらせてもらうからには、歴史のあるイベントですし、山口さん、ジムさん、ファイター、関係者、桜田さんが作り上げたものが既にあるわけで、そこに自分が加わることで、さらに当然良くしていきたいですし、何ができるかを、これから考えていきたいです。
最後に今回、プロデューサーの大役を仰せつかることになったんですけど、元々働いておりましたK-1の矢吹(満)オーナーには事前に報告をさせていただいて、快く「頑張って下さい」と返事いただいております。そのことには大変感謝しております。この場を借りて申し上げさせていただきます。
(これまでのREBELS・KNOCK OUTの印象)見たこと無かったんですよね。もちろんニュースは入って来るんですけど、見ないと決めていて。山口さんに声をかけていただいて、8月のREBELSと、先日のKNOCK OUTの昼夜大会を客席で観戦させていただきました。面白い選手はいましたね。鮮やかなKO勝ち、KOに結びつかなくてもつばぜり合いの試合もありましたし。一番面白かったのは鈴木(千裕)君ですね(下写真)。非常に元気があって、空回りするところも含めて、この子は触ってみたいなと感じました。(兄の)鈴木宙樹君は見たことあったんですけど。MMAから来た兄弟を知っていて、倒しっぷりを含め、粗削りなところを含め、印象に残りました」
(山口さんは「宮田さんの色に全部染めてもらいたい」と話したが、宮田さんはどういう色に染めたい?)1990年からこの仕事をやってきて、時代ごとにカメレオンのように色を変えて来た男ですので(苦笑)。まあ、ジムさん、選手と共に、運営がぶつかり合って作っていくのが色かなと思います。今まで運良く、いいイベントに携わってきたのですけど、それはそれとして、これからやることはゼロから始まることだと思います。山口さんが作った世界に飛び込んで行って、変えるというより、一緒になってやっていくんで、こうしようというのは今は無いですね。思い通りならないのがこの仕事の面白いところだと思うので。喧嘩してぶつかり合って、どうにかしていくということですかね。
(今のKNOCK OUT・REBELSでメディア露出多い、ぱんちゃん璃奈の印象は?)初めてこの間、試合を見させていただいて、先ほど、鈴木(秀樹)会長と一緒にいらっしゃるところでご挨拶しました。マスクをしていましたが、いい目をしていて、この子は違うなって思いましたね。魅力のある選手だと思いました。キャリアは短いですけど、チャンピオンになって、これからが楽しみです。大きな舞台登場もあるでしょうし、それに刺激を受ける選手もいるでしょうし、どんどん外に打って出る選手は必要なので、彼女にはそうなって欲しいです。
(具体的な仕事はいつから?)今日はお披露目で、始動は10月1日からで、現場は3日の新宿フェイス大会からで、前日の計量から立ち合います。既に山口さんが決めたマッチメイクとその流れがあるので、11月8日の後楽園大会までは、僕が手を入れるものは無いですね。12月6日の昼夜の後楽園大会の仕上げはこれからだと思います。
(どの辺に魅力を感じて引き受けた?)山口さんの気持ちですかね。根気強く待っていただいて。僕なんかでいいのか?って気持ちも正直あったんですよね。でも客席で見ていて、こうしたいなって気持ちは生まれて来たので、やらせてくださいって流れですかね。
(6月に辞めた時、この業界に戻る可能性はあった?)何もなかったですね。1か月ぐらい“無”でした。何も決めずに辞めてしまって、本当にバカだなってたくさんの人から言われたんですけど。
(K-1に対するライバル意識は?)真似しちゃいけないし、なぞっちゃいけないし、違うことで何ができるかの勝負だと思います。ジムの代表者さん、マスコミの皆さん、ファンの皆さんの意見もどんどん聞いてみたいです。既にKNOCK OUT、REBELSのファンの方がいっぱいいると思いますけど、より友達を連れて会場に来てくれる流れにしたいですね。違う輝き方を目指したいですね。
(これまでよりも組織は小さくなる分、小回りも効くと思います)イベントは“熱”が勝負なので、大きい小さいは関係無いと思っています。メディアを通じてたくさんの人に届ける術もありますし、観客動員だけじゃないと思うので。どれだけ殺伐としたものを見せられるかかなと思いますね。自分から小さいとか思っていないですし。これから見せていくことが全てだと思っていますので。見ていてください。
(KNOCK OUTとREBELSには肘有りと肘無しのルールがあるが、今後も両立する?)そこですね。(REBELSからの歴史の)流れがあってのこの形だと思うんですけど、見てもらってナンボなんで、ファンの方が見てわかりやすいようにしたいです。どうしたらいいか山口さんと話しているところです。
(長年キック団体の離合集散が続くが、どういう決意で臨む?)ファンが白けちゃうことは避けないといけないと思います。違うイベントと何かを一緒にやるといったら、気を入れてやらないといけないです。(離合集散に)冷めてファンじゃなくなった人もいますし。応援している人をガッカリさせない気持ちを持っていれば大丈夫だと思いますし、裏切らないようにやっていくだけですね。
また、会見では、女子キックのミネルヴァの竹越義晃・実行本部長もKNOCK OUT・REBELS実行委員会入りし、女子選手の育成を担当することも発表された。竹越氏の談話が会見では読み上げられた。
◆竹越氏「過去、全国各ジムで女子プロキックボクサーがいる中、なかなかメジャーに取り上げられる機会がありませんでした。そこで立ち上げたのがミネルヴァです。出場機会の恵まれない選手たちに王者になるという目標を設定し、また、男のイメージの強いキックボクシングを、女子の華やかな魅力でイメージアップできるよう、2015年から団体の垣根を越えて、オープン参加としてやってきました。そんな中、山口代表からお声をかけていただき、今回、お手伝いをさせていただくことになりました。女子キックボクシングという魅力的なコンテンツを、より大きなエンターテインメントとして、また、全国の選手の励みになり成長できるよう、微力を尽くしたいと思います。何卒よろしくお願いいたします」