寺戸伸近、Krushスーパー・バンタム級王座返上「これは自分が選んだ道」
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寺戸伸近(Booch Beat)がKrushスーパー・バンタム級(-55kg)王座を7月1日に返上した。同日の東京・大久保のGENスポーツパレスでの記者会見で、寺戸と宮田充K-1プロデューサーが返上の経緯等を語った。
寺戸は16年3月、当時の王者・堀尾竜司に判定勝ちし第5代王者に。全日本キック、M-1ムエタイチャレンジ(今のM-ONE)、RISE、ISKAオリエンタルルール世界に続く5冠を達成した。16年9月30日にはチャールズ・ボンジョバーニに1R KO勝ちし初防衛。17年11月5日には久保賢司との延長戦を制し2度目の防衛を果たすと、前月に生まれた娘をリングに入れ、一緒に記念撮影していた(写真)。
Krushの防衛期限は1年。本来ならその前の同年9月8日のKrushで防衛戦を済ませないといけなかったが、同年4月のK-1 WORLD GP 第2代スーパー・バンタム級王座決定トーナメントの準決勝で賢司にKO負けした際、眼窩底骨折となり、同じK-1 JAPANグループの大会での負傷という理由で、防衛を約1か月猶予されていた。寺戸の3度目の防衛戦は今年9月30日の大会、10月28日の大会のいずれかになりそうな流れだったが、早くも6月30日のKrushから一夜明けた7月1日の会見のタイミングで返上が発表された。
宮田氏は「昨年11月5日の試合の後、試合のオファーだったり、寺戸選手と話し合っていく中で、現時点まで試合は決まっていません。11月4日の防衛戦の期限があるので、寺戸選手とどうなんだと(話していました)。キャリアを積んで来た選手ですので、寺戸選手の意思も尊重しつつ、コンディションも相談しながら試合を組んで来たんですけど、結論としましては、11月までに防衛戦を行うことが難しいということになり、寺戸選手と相談し、本日7月1日をもってKrushのスーパー・バンタム級のベルトは返上となります」と経緯を説明した。
寺戸は返上の経緯や思いをこのように語っている。
◆寺戸「この度、こういう形でKrushのベルトを返上させてもらうことに決めました。僕はKrushのチャンピオンとして、このKrushのベルトの価値を見出せなくなりました。それは様々なトラブルがありまして、もう解決はしてもらいましたけど、金銭トラブルもありました。そういった面でも、僕はこの先、現時点でKrushで試合をできないのかな?人に迷惑をかけることだったり…。僕が好きで格闘技を始めてチャンピオンにならせてもらって、頑張ってやってきたんですけど、その格闘技は自分の中で嫌いになっちゃうんじゃないかな?それぐらい思いましたね。なので、これは一つの大人のケジメとして、借りた物は返さなきゃいけないと思うんで、借りてる物じゃないですけど、もう今年の年明けぐらいから話させてもらっていたんで、きっちり、こういう形で返上させてもらうことになりました。
このことに関しても、宮田さんと長い期間、話させてもらったんですけど、宮田さんは僕を全日本キックの時から10何年育ててくれて、手をかけてくれて、そのことに関しては凄く感謝していますし、今もKrush関係者の皆さん、Krushのファンの皆さんがいてくれて、僕たちも試合ができていると思うので、僕に関わってくれる人、Krushに関わってくれている方たちのおかげだと思うんで、その辺は本当に感謝したいと思います。
僕はKrushに創成期から出させてもらっていますけど、ある意味、こういう形になったのも、少し悲しいかなと思いますけど、これは現実なんで、大人として、一つの節目として受け入れて、これから先、長い人生あると思うんで、それについて僕は頑張っていこうと思います」
寺戸はベルトの扱いについて「今年の年明けぐらいから話させてもらっていた」ことを明かしている。その前の昨年11月、賢司戦で2度目の防衛を果たした後、バックステージで今後について聞かれると「次はK-1のベルトですけど、条件次第です」とコメント。K-1 3.21 さいたま大会でK-1 WORLD GPスーパー・バンタム級王者・武居由樹に賢司が挑戦することが1月21日の会見で発表された際、宮田氏は寺戸にK-1王座挑戦をオファーするも「コンディション調整が間に合わない」という理由でキャンセルされたと説明していたが、既にその時点で寺戸とK-1側の間に関係のこじれが生じていたようだ。
冒頭の寺戸の話を受けて宮田氏は「2008年(11月8日)からKrushをスタートして、当時、全日本キックがある中でしたけど、寺戸君も60kgでワンロップ(・ウィラサクレック)とやってもらったりとか(写真)、ベルトも無い中でスタートして。今はKrushに色んな階級があるんですけど、スーパー・バンタム(-55kg級)は一番最初の(王座設定時の)2011年から創設されていて、初代チャンピオンに瀧谷(渉太)選手がなって。寺戸選手の戦いはタイトルマッチもそうですし、ノンタイトルの試合を含め、Krushの歴史が来年10周年になるんですけども、ベルト含めイベントの価値も高めてくれた選手なので、こういった形でいったんベルトはKrushで預かる形になるのですけど、私がK-1のプロデューサーもさせていただいて、K-1 WORLD GP・Krush・KHAOS、3つのブランドがありますので、寺戸選手はチャンピオンではなくなるんですけど、今後も変わらず試合のオファーは投げて行って、話をさせてもらえたらと思います」と話し、寺戸のこれまでの功績を称えると共に、今後の関係継続に意欲を示した。また「空位となったベルトは新たな選手たちで争うことになると思いますので、それにつきましては明日以降考えていきたいと思います」とも話している。
最後にファンへのメッセージを求められ、寺戸は「僕は2009年(1月4日)に全日本キックのベルトを取ってから、今まで9年半、なんらかのベルトを保持していました。そういったこともあり、こうやって今Krushのベルトを返上になるのを、ファンの皆さんに申し訳ない気持ちもありますけど、これは自分が決断したことですので、後悔も何もありません。これは自分が選んだ道だと思います。人に決められるものでもないし、自分の選んだ道なので、自分はこれを受け入れて、しっかり前に進んでいきたいと思うので、本当に今までファンの皆さん、応援していただいてありがとうございました」と話した。
寺戸は1980年9月9日生まれでもうすぐ38歳。2003年12月7日にプロデビューしキャリアは15年を超えた。おそらくキャリア晩年となる今後、寺戸がどのような道を選んでいくか見守っていきたい。