曙太郎氏が死去。大相撲初の外国出身横綱、2003年大晦日K-1 Dynamite!!ボブ・サップ戦で紅白越え43%視聴率
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大相撲の元横綱でキックボクシング・MMAの試合もしていた曙太郎氏が亡くなった。54歳だった。
曙氏は米国ハワイ州出身。1969年5月8日生まれ。相撲界入り後は88年に初土俵を踏み、90年に入幕し、93年に外国出身初の横綱に昇進する。96年に日本国籍を取得。身長2mm、体重200kgの巨体を活かし、通算11度の優勝を果たすも、2001年に引退。03年11月にプロ格闘家への転向を表明すると、同年大晦日のK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!ナゴヤドーム大会でボブ・サップと対戦した。
試合は1R終了間際にサップの右ストレートをもらって曙氏はKO負けしたが、放送したTBSの視聴率がNHK紅白歌合戦を超え、瞬間最高43.0%を記録するほど世間でも大きな話題を呼んだ(ビデオリサーチ社調べ)。同年大晦日はフジテレビがPRIDE男祭り、日本テレビがイノキボンバイエを放送し、地上波最多の3局で格闘技中継が並ぶ、いわゆる「格闘技ブーム」のピークだった。
その後も曙氏はK-1の大会で試合を続け、武蔵、レミー・ボンヤスキー、チェ・ホンマンらに敗れ、角田信朗に勝利し、キック通算戦績10戦1勝9敗。サップ戦の翌年の大晦日にはMMAデビューし、ホイス・グレイシーに1R一本負け(下写真)。その後もボビー・オロゴン、ドン・フライ、ジャイアント・シルバに敗れMMA戦績4戦0勝4敗。
格闘家としての実働期間は06年大晦日のシルバ戦までの約3年間で、05年からはプロレスラーとしての活動が主体となり、WWE、W-1、全日本、新日本、ハッスル、ZERO1等のリングの主力として活躍した。
15年大晦日のRIZIN旗揚げシリーズ大会ではボブ・サップと12年ぶりに対戦し(シュートボクシングルール)、2R負傷判定で敗れ、不完全決着に終わっていた(下写真)。
17年4月の福岡でのプロレスの後に倒れて以降、闘病生活を続けていたが、最近は東京近郊の病院に入院し、4月に入り容体が悪化し、心不全で亡くなったという。告別式は家族のみの密葬で行われるという。
4月11日午前、曙氏の死去が報じられた。その数時間後、元K-1イベントプロデューサーの谷川貞治氏(上写真左)は「2003年の大晦日九州場所。アポなしで高砂部屋の朝稽古に押しかけ、電信柱の陰で口説いたK-1参戦。『サップと試合しませんか?』『サップかぁ』一夜で口説けた奇跡の大逆転。曙太郎さんのご冥福をお祈りします」等とXに記している。
RIZINの榊原信行CEOは同日午後の会見冒頭「曙さんは日本の格闘技界に本当に大きな貢献を果たしてくれました。2015年の(RIZIN)旗揚げの時にボブ・サップとの再戦をシュートボクシングルールで戦ってくれたことを今でも記憶しています。旗揚げの時に出てもらえたことを光栄に誇りに思っています。彼が亡くなったことに心からご冥福をお祈りしたいと思います。残された我々日本の格闘技界が、さらに進化を続けられるように精進したいと思っています」と追悼の言葉を述べた。