ONE Lossから得たもの 長谷川賢インタビュー「あんだけ殴り合って、痛かったけど、楽しかった」
MARTIAL WORLD PRESENTS GYM VILLAGE
中野トイカツ道場
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4月からのAbemaTVの生中継再開、各大会2人以上の日本人出場、AbemaTVでの新人発掘のリアリティショー「格闘代理戦争」と、日本の格闘技ファンの間でも話題にのぼる機会の増えたシンガポールの大会「ONE Championship」。大手広告代理店・電通の協力の元、来年3月30日の初の日本大会も予定されている。
だが日本大会の主力として期待される日本人のうち、期待の高かった初参戦勢の結果が芳しくない。元DEEPメガトン級王者・長谷川賢、DEEPフライ級王者・和田竜光、UFC出場経験もある元パンクラス・ライト級王者・徳留一樹、ROAD FC 100万ドル争奪ライト級トーナメント・ベスト4の下石康太の敗戦が、ファン・関係者に与えたショックは小さくなかった。
しかし希望はまだあるはず。1つの敗戦から得たものは、当の戦った選手にはきっとあるはず。6月29日、ミャンマー・ヤンゴン、灼熱のトゥウンナ・インドア・スタジアム大会で、地元ミャンマー出身の2階級王者の英雄・アウン・ラ(オングラ)・エヌサンに挑み、長谷川賢は最終5Rに右アッパーをもらって力尽きたが、ONEのチャトリ・シットヨートン会長兼CEOは「ONE Championshipの7年間で歴史の中で私の一番好きな試合だった」と絶賛し、両選手にそれぞれ5万ドルずつのボーナスを支給した。
長谷川は持てる全てを出し切り、人々に感動を与え、その感謝は長谷川にもフィードバックする。まだ顔に腫れの残る長谷川に、初のONE Championshipで感じたこと、発見できたこと、そしてMMAを巡る状況に対する思いを聞いた。
「準備期間が短かったけど、いい状態に持っていけました」
――試合から1か月弱経ちましたが、まだダメージはありますか?
長谷川 体はまだちょっと痛くて、顔と目はまだ腫れています。なので今はできる練習からしています。組み技も接触はあんまりしていないですし、打撃はもらわない範囲で。
――さかのぼって話を聞きたいのですが、ONEからのオファーはいつあったのですか?
長谷川 2月のDEEPの試合(林源平戦)が終わって、4月ぐらいかな、耳を向けて聞き始めたのは。数年前にも話はあったんですけど、その時の目標はUFCって思っていて。でも1年前の住村戦があって、まだ裁定には納得していないですけど、UFCにこだわらなくていいのかなって。
(17年7月のDEEPの住村竜市朗とのウェルター級王座決定戦。バッティングにより長谷川が試合続行不可能となり、ルールに基づき1R 3’48″時点までの短い時間の試合内容だけでジャッジの判定が行われ、住村の勝利となった。長谷川は王座を獲得した先にUFCを見据えていたため、プランが崩れることとなる。)
――4月のオファーの時点でエヌサンとのタイトルマッチという話だったのですか?
長谷川 その時点ではまだそういう話は無くて、ONEで2、3試合勝ったらタイトルマッチが組まれるのかなぐらいに勝手に思っていたんですけど、5月に急に連絡が来て、「6月29日にミャンマーでタイトルマッチやれないか?」って。試合まで5週間しか無いので、ちょっとだけ考えましたね。まず体重がその時点で103kgあったので、水抜き無しで(ミドル級の93kgまで)10kg減量できるのか? 5分5R戦い抜く体が作れるのか? って。でもチャンピオンとやるならタイトルマッチじゃなきゃ意味が無いとも思っていたから、これはチャンスだなって。その日のうちに返事して、急ピッチで追い込みました。
その週は風邪をひいていたので練習できなかったんですけど、その次の週からスパーリングをガッツリ始めました。実質キャンプ(追い込み)は4週間無いぐらいですね。その分、凄く濃いキャンプになってしまって、地獄みたいな(苦笑)。みんなに追い込まれる日が続いて、朝起きるたびに「今日も動くのかあ。体動かねえや。疲れ溜まってんな」って憂鬱になっていましたね。でもみんながコンディションを見て「週末休んだほうがいいよ」って言ってくれて。見てくれる人のほうが冷静な判断ができるから、疲れに関しては自分の主観で動くことをやめました。怪我するのが一番嫌だったので、スパーリングも途中で「やめろ」と言われたら絶対やめていました。疲れてからはもう1本スパーをやるべきか周りに聞くようにしていました。なので準備期間が短かったんですけど、いい状態に持っていけました。
――エヌサンの研究は?
長谷川 それもここにはトップファイターの人たちがいるので任せちゃいました。僕もパッと見ましたけど、矛盾していることを言われなければ聞き入れて、そのプランで攻めるための練習をしていました。あとは試合で対峙した時に細かい修正をしようと。
(長谷川が語る「ここ」とは、取材先にもなった東京・大久保のGENスポーツアカデミー。昼のプロ練習には岡見勇信、水野竜也、安西信昌、ストラッサー起一ら、ウェルター級以上の比較的体の大きい選手が10人近く集まる)
――ONE初参戦ですけど、試合全体で判定する点は旧DEEPルールと大きく変わらないから、そんなに気にしなくても良かったですよね。
長谷川 そうですね。ただ、ONEに4点膝があるのはかなり違うなって思いました。今までだったらタックルに行って、がぶられたらマットに手をついていれば大丈夫ですけど、膝蹴りがあるのが怖いですね。上四方からのフィニッシュも今までならノースサウスチョークしか無いのが、膝が打てますし。練習でもそこは注意していました。
「ケージに入ったら『何か暑いな』って」
――ミャンマーの雰囲気はどうでしたか?
長谷川 面白かったです。なんだろ、楽でしたね。凄く楽でした。チケット売らなくていいし、ホテルにいたら全部(スタッフが)来てやってくれますし、会見の場所だけホテルとは別でしたけど、部屋を出てバスの集合場所に行けばいいだけでしたし。セコンドの濱村(健)さんと(山田)崇太郎さんも気を遣わなくて済むメンバーですし、リラックスして、試合に集中できたファイトウィークでした。
――ONEの計量のシステムはどうでしたか?
長谷川 最初は神経質になりましたけど、体のことは崇太郎さんに理論を聞いて、想像通りでした。尿比重の検査は楽勝でした。飯も計量前日まで普通に食べていました。実質、普通のミドル級(83.9kg)より少し楽ですね。いつもは91kgから水抜きを始めていたんで。
(尿比重とは尿中の水分と、水分以外の物質の割合。高いと脱水症・心不全、低いと腎不全の危険性がある。15年12月にONEで減量中の選手が死亡する事件が発生して以降、水抜き等による急激な減量を規制するルールが設けられた)
――試合当日は会場の気温が高く、それが試合に大きく影響しましたね。
長谷川 同じ大会に出た山田哲也選手のツイートで40℃あるって知りました。空調が無くて、照明がケージの真上にしか無くて、直接当たるので焼かれているような感じで、ケージに入ったら「何か暑いな」って。ケージの外と気温が違ったんですよ。ちょっと経ったら汗がじわっと出てきて。でも入った時点ではそんなに気にしませんでした。
――どんな試合プランでしたか?
長谷川 5分5Rなので、4R・5Rに印象付けたいなって。1R・2Rはあんまり行かないつもりだったんですけど、行っちゃいましたね。結構パンチの手ごたえがあったんですよ。いつもだったら倒せている手応えだったんですね。ミドル蹴られた後の右フックとか。3R目も相手がちょっと効いたような下がり方をしたから、このまま押し切れるんじゃないかなって。その後、僕が左目を殴られてちょっと後退したんですね。痛みが無いから折れてないのはわかったんですけど、立った状態のままだとマズいかもと思って、テイクダウンしたらできたんですよ。さっき言ったようにグラウンドで膝が使えるから、上四方に回ろうって色気を出したんですね。そうしたらスリッピー(汗で滑りやすい)ってのもあったんですけど、そこで立たれてしまって、1個ミスを犯したなって。
――お互い汗が凄かったですね。
長谷川 寝技は無理だなって。それで立ちに戻ったら、自分のスタミナが切れ始めたのを自覚して。いいのを当ててるし、行けるって思いましたけど、4Rはもう動けなったですね。手は出てたけど勢いは無いし、足を動かせる体力が無くて、インターバル中に言われたことも覚えていないですし、判断力が無くなって、5R制ってのも忘れて「倒さなきゃ勝てない」って、自己暗示みたいになっていました。
――柔道時代の練習を含めて今までの人生でそういうシチュエーションは?
長谷川 無かったです。後でAbemaTVの映像を見たら、エヌサンが入場して来る時がアイドルのコンサートみたいな盛り上がりだったじゃないですか。
――向こうの攻撃が軽く当たるだけで歓声が凄かったですね。
長谷川 でも今までの試合で一番落ち着いていたかもしれないですね。ただ目の前にいる相手と戦うだけだなって。日本じゃないし「やるだけだな」ってのがありましたね。
「対角線に立っているアイツを倒すことしか考えていなかった」
――エヌサンもフラフラですけど、現地の声援を受けて「絶対に負けられない」って感じもありましたね。
長谷川 4R残り1分にテイクダウンされた時は動けなかったですね。でも向こうも疲れてて、パウンドをちょっと打たれたんですけど、全く力が入っていなかったですね。休んでいるのがわかったんで「俺も休もう。次のラウンドで勝負しよう」って思いました。強いのを打ってくるなら、スクランブル(寝技でもつれ合う状態)に持ち込める体力は残そうと思いました。4Rが終わってコーナーに帰ってきたんですけど、なんとなく歩いて、座らされて…、全然思い出せない。(セコンドについていた)濱さーん、4R終わった時どんなでしたっけ?
濱村 何も聞こえてないな、って(笑)
長谷川 あ!1個だけ覚えていて「水くれ」と言って飲まされたら、飲まされ過ぎて「ウェッ」ってなって。
濱村 それは自分ですね(笑)。カットマンが長谷川の顔の処置しているから口元までが遠いんですよ。
長谷川 「多い」って文句さえ言う体力が無いんですよ。最終5Rは何も考えていなかったですもん。対角線に立っているアイツを倒すことしか考えていなかったです。
――でも5R入ったら、エヌサンは一気に来ましたね。
長谷川 何であいつ回復したんですか(苦笑)
濱村 ミャンマーの秘薬じゃないですか(笑)
長谷川 ステップが踏めるようになってましたからね。
――5R序盤2分ぐらいに行かなきゃ勝ち目が無いという戦略だったのか?
長谷川 まあ、あそこで復活して来たのは何にせよアッパレですよ。回転の肘が来て、何でこいつこんなにスピード戻ってるだよ、ヤバッって思ったんですよ。あれは偶然よけれたんですけど、その後のバックスピンキックで腹が効いちゃって。その後は棒立ちでしたね。もう玉砕覚悟で行くしかないのかなって。ああいう時にやっぱり、長年やってた(柔道の)組みが出るんですね。相手の左フックが僕の後頭部に入って、そこから覚えていないです。手を伸ばしたまま、相手に突っ込んでいってアッパー食らったという。疲れて、ちゃんとしなきゃいけないことができなくなったのかなって。
濱村 相手のほうが様々なことをやってきて、芸が広かったよね。右アッパーやってきたじゃないですか。消耗した時の空手テイクダウンみたいなのとか。あそこであれするかって。
――試合の後は病院直行でしたね。
長谷川 気づいたら病院でした。ロレックスが欲しかったです。金無垢のロレックス。あれ400万ぐらいするんですよね? 勝ったほうがもらえたんですよ。事前に知らなかったんですけど。
濱村 ベルトと一緒にエヌサンに渡すの見て「おい!ロレックスやぞ!長谷川!」って。
長谷川 ボーナスに、ファイトマネーに、ウィン(勝利者)ボーナスに、ロレックス?
濱村 逃がした魚はデカいぜ。
長谷川 半分逃がしましたね。でも強くなっている気がするんですよね。今までの試合と違って、安心して戦えたというか。
――暑くて、アウェーでしたけど、ちょっと環境が違っていれば勝てた可能性もありますよね。今後またエヌサンとチャンピオンシップで再戦の可能性もあるでしょうし。
長谷川 またやりたいですね。あんだけ殴り合って、試合後痛かったけど、楽しかったです(笑)。それにちゃんとディフェンスを練習してきたからなのか、怖くなかったですね。前までは左ストレートを打つのも、返しの攻撃が怖かったんです。今はボクシングの基礎をディフェンス含めて教えてもらうようになって、怖くなくなりましたね。「MMAでガードって必要なの?」って言う人もいますけど、ガードは重要だなって。ガードは手を上げていればいいんじゃなく、するもので、「上げる」と「する」では違うと、試合をして改めて凄くわかりました。
「一番の収穫は、試合が怖く無かったこと」
――ONEのチャトリ会長兼CEOは、負けた長谷川選手のことも評価して5万ドルのボーナスを出しましたね。
長谷川 凄くうれしかったです。スタッフの人たちも、試合の次の日に退院してホテルに戻ってきたら、わざわざ部屋に来て「素晴らしい試合をありがとう。感動しました」って凄く言ってくれて。同じ大会でキックボクシングの試合をしていた選手もそう言ってくれて。ヤンゴンの街に出たら歩けないぐらい人だかりができて、握手してくれ、写真撮ってくれってのが凄くて、濱村さんが「写真1枚1ドルや。俺がマネージャーや」って言いだして(笑)。空港の入管の人も、パスポートを返して通った瞬間に「ちょっと待て。写真撮ってよ」って。飛行機内では気圧で顔がパンパンに腫れて、日本の空港では顔認証が通らなくて、色んな人に「気持ち悪い顔」とか言われましたけど、だいぶ治りましたね。
まあ、過酷でしたけど、改めて、色んな人にMMAを見て欲しいなってことは思いましたね。つまらない試合もあるけど、面白い試合もあるし、どのスポーツもそうじゃないですか。分母を広げて、色んな人に見てもらうために、色んな人が動いてくれたらなって思います。このスポーツに関わっている人は面白いと思ってやってるわけじゃないですか。知らない人とかも楽しめる環境ができたらなって。
――ONE Championshipには毎回日本人が2人出て、AbemaTVの中継を見ている人がいて、少しずつ反響も上がって、以前とONEの注目のされ方も変わりましたね。UFCやRIZINには呼ばれない、だけどパンクラスやDEEPや修斗に留まるレベルを超えている、難しいポジションの選手が活きる機会にもなりました。
長谷川 そうですね。それは感謝しています。(住村戦で負けて)どうしよう、行くとこねえよ、ってなってましたけど。これで国内も活性化してくれたらなって。もっと盛り上がって欲しいなあ。どうしたらいいですか?
――AbemaTVの親会社のサイバーエージェントさんのお金がある限りは(笑)。来年3月に日本大会がありますから、そこに向かってこれから盛り上がって行くと思いますよ。
長谷川 AbemaTVでも地上波でもどっちでもやって欲しいですよね。
――話はまだ早いですが、いつ頃復帰できそうですか?
長谷川 今年もう1回ぐらいはやりたいですね。この前の試合で色々思ったことがあったんで、得た経験値を活かしたいですね。一番の収穫は、試合が怖く無かったこと。向き合っているプレッシャーへの恐怖が減りました。
――柔道からMMAに転向して何年でしたっけ?
長谷川 8年ぐらいですね。
――体重を上げ下げしたり、打撃にも適応できたり、やっとMMAファイターとして色んなものが形になってきた感じですか?
長谷川 この間の試合は、やっと自分でも見れるような試合ができましたね。不細工な打撃じゃないなって。そこで組めて、殴って極めれてみたいな。
(取材日:2018年7月25日 場所:東京都新宿区 GENスポーツアカデミー 聞き手:井原芳徳)
→ 長谷川賢 Twitter @kenhasegawa0226