REBELS 10.3 新宿フェイス:現役と引退のはざまで。炎出丸、大川一貴、原島モルモット佑治、30代キックボクサーインタビュー集
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REBELS.66(10月3日(土) 新宿フェイス)のメインイベントで対戦する炎出丸(クロスポイント吉祥寺)と大川一貴(青春塾)、引退式を行う原島 モルモット 佑治(TESSAI GYM)のインタビューが、主催者から届いた(文・撮影 茂田浩司)。炎出丸は37歳、大川は33歳、原島は38歳。それぞれの苦労を抱えながら、現役と引退のはざまでこれまで揺れ動いてきた彼らの思いが語られている。
炎出丸(ひでまる・クロスポイント吉祥寺)
自分のキックボクシングの集大成を見せる戦い。
『新しい炎出丸』で、インパクトのある試合で勝つ。
10月3日(土)、新宿FACEで開催される「REBELS.66」。メインイベントに登場するのはプロ16年目を迎える炎出丸。自身のYouTubeチャンネル「炎出丸ヒデマルチャンネル」開設し、KNOCK OUTが全面協力した映画「きみの瞳が問いかけている」に出演するなど、常に新しいことに挑戦し続ける炎出丸は、大川一貴(青春塾)との1戦に並々ならぬ決意で臨む。
炎出丸(ひでまる)
1982年10月4日、沖縄県中頭郡出身。37歳。
66戦31勝(5KO)27敗8分。
元J-NETWORKスーパーバンタム級王者。
横浜流星君の体力と集中力には
さすが一流だな、って。いい経験でした。
「反響はもの凄かったですよ。ツイッターはどんどんリツイートされるし、インスタのアクセス数も凄いことになってました(笑)」
9月11日、映画「きみの瞳が問いかけている」(吉高由里子、横浜流星W主演。10月23日公開)に関する情報が解禁された。
キックボクシングイベント「KNOCK OUT」(ノックアウト)が全面協力し、キックボクシング指導は山口元気プロデューサーが担当。横浜流星演じる「塁」の対戦相手を小笠原瑛作、小笠原裕典、栗秋祥悟、炎出丸(以上クロスポイント吉祥寺)、与座優貴(橋本道場)の5選手が務め、キックボクシングシーンや格闘シーンに出演していることが発表された。
「横浜流星君と体格が近いのもあって選ばれたんですけど、僕はあまりテレビを見ないので横浜君をあまり知らなくて。出演が決まってから『すごく人気のある子なんだ』って知りました。
横浜君は、ジム(クロスポイント吉祥寺)にも練習しに来てましたし、スタジオで顔合わせしたり、撮影現場で会って、3、4回は会ってるのかな。
印象としては素直な子だな、って。可愛くて、周囲のスタッフさんからもの凄く可愛がられている感じでした」
撮影現場では「俳優・横浜流星」の凄さを実感したという。
「まず撮影現場の空気が凄かったんですよ。スタッフさんの誰かがミスると『お前、何やってんだよ!』って罵声が飛んで、格闘技界よりも体育会系だなって(笑)。あれはびっくりしましたね。
撮影時間も結構長くて、僕らクロスポイント吉祥寺の選手たちは内心『早く終わらないかなー』って思ってたんですけど(笑)。僕らは4人いるから出演シーンが終わると控え室に戻って休めるんですけど、横浜君は主演だから一人だけずっとリングの上にいて、黙々と撮影をしていくんですよ。
僕は『ハイキックを喰らってよろめく』シーンを1時間くらい撮ってて。横浜君のハイキックを受け続けるので『腕が痛いな。そろそろ終わらないかな』と思ってたんですけど、その間、横浜君はずっと集中してて、ハイキックを蹴り続けたんですよ。あの体力と集中力は凄かったです。一流だな、って思いましたね」
格闘技ジムや格闘技イベントとはまるで違う映画の撮影現場の空気に触れて、炎出丸は大いに刺激を受けたという。
「映画一本にこれだけ大勢の人が関わっているんだな、って思ったし。そう考えると格闘技イベントもいろんな人が関わって作り上げてるわけで、勉強になったし、本当に出演できてよかったです。これは人生の経験としてデカいなって思いました。それに……」
炎出丸はこう続けた。
「ここ数年、食生活を見直したり、新しいトレーニングを取り入れてきて。今は若い選手でも、コンディショニングとかケアをおろそかにして、どこかしら壊したりしてるんですけど、僕はホントにピンピンしてるので(笑)。そうやって現役を続けてきたからこそ、映画出演のチャンスを貰えたと思いますし。続けてきてよかった、と思いましたよ」
コロナの自粛期間は引退も考えた。
負けたら、そこで終わりかもしれない。
炎出丸はここ数年「REBELSの門番」として初参戦の強豪と対戦することが多く、KING強介、大野貴志、壱・センチャイジムは炎出丸に勝って、タイトル戦線に浮上していった。
現在37歳。すでに66戦をこなした。キック界全体に10代ファイターが増えており、そろそろ引退も頭をかすめる。
「特にコロナの期間はきつかったです。まったく先が見えない状況があったじゃないですか。若かったらいいんですけど、いつ試合ができるかも分からなくて『引退しようか』という考えも浮かびました。
ひたすら家にいたんで、ひたすら勉強しました。YouTubeを見漁って、いろんな人の言葉とか考え方、働き方とか。それで『行動しよう』と思って、自分でもYouTubeを始めたんです。人に伝える力は今後、生きていく中で大事じゃないですか。結果が出ないと恥ずかしいとかは考えずに、ダメだったら反省してまたやればいいし」
自身のYouTubeチャンネル「ヒデマルチャンネル」を始めて、前向きに取り組むうちに考え方も変わったという。
「キックでも『これからどうしようか? どこに向かえば?』って、今思えば中途半端で、モチベーションが上がらない時期もあったんですけど、リセットされたというか、世界観が広がりましたね。YouTubeは自分で店を構えてるみたいで、どういう商品をどうやって出すか、みたいな感覚でやってます。キック以外のことをやってみると考え方が柔らかくなって『これは自分の試合にもつながるな』って」
今回は10か月ぶりの試合。炎出丸にはずっと取り組んできたことがある。
「具体的に言うとリズムです。今まで5Rで力を発揮するタイプだったのが、だいぶ3R仕様に変えられたと思います。パンチの打ち方も変わってますね。僕と同じビジョントレーニングをしてる村田諒太選手のYouTubeを見てたら、僕がイメージしてたパンチの打ち方と違うことに気づいたんですよ。それで、真似して打ってみたらしっくりと来て。クロスポイント吉祥寺で新しく教えるようになった石塚勝久トレーナーとのミット打ちでも新しい打ち方に取り組んできて、結構変わったと思うし。やっぱり研究して、新しいことを試してみてっていうのは楽しいですよ(笑)」
だが、炎出丸はこう言い切った。
「だけど、試合は厳しいのは分かってるんで。負けて、気づくこととか得るものって多いんですけど、さすがにこの年齢で負けて気づくのはキツいんで(苦笑)。
新しいことをいろいろと取り入れてきたのも『ただ勝てばいい』じゃなくて『インパクトのある試合をして勝つため』です。試合で『新しい炎出丸』を全部出し切って、勝つ。REBELSにはランキングがないんで、その分、一発逆転のチャンスはあると思ってるんで。ベルト戦線にも絡んでいくためにも、インパクトのある試合をして勝たないと。
これからは、勝てば『その次のチャンス』が貰えるかもしれないし、負けたらそこで終わりかもしれない。自分のキックボクシングの集大成を見せていく戦いになるんで、すべて出し切りたい、という気持ちです。コロナでいろいろと大変だと思いますけど、ぜひ会場に来て応援をよろしくお願いします」
大川一貴(おおかわ・かずき。青春塾)
かつての名門ジムの、現在唯一のプロ選手。
「炎出丸選手に必ず、圧倒的に勝ちます。
竹島会長や石川直生さんの期待に応えなくては」
10月3日(土)、新宿FACEで開催される「REBELS.66」。メインイベントに登場するのは、山本優弥や石川直生を輩出した名門・青春塾の看板を一人で背負う大川一貴。新空手優勝の実績を引っ提げてプロに転向しながら良い結果が残せていなかったが、今回のメイン抜擢は大きなチャンス。紆余曲折のプロ生活と、この試合に賭ける思いを語った。
大川一貴(おおかわ・かずき)
1987年6月28日、静岡県島田市出身。33歳。
青春塾所属。
2011年7月、Krushでプロデビュー。
プロ戦績14戦4勝(1KO)10敗。
人生を決める瞬間は、ある時、唐突に訪れる。
大川一貴にとっては、初めて青春塾を訪れた日がそうだった。岐阜経済大学在学中に新空手で優勝し、プロ転向を考えて様々なジムを見て回っていた時だった。
「青春塾に連絡して、待ち合わせ場所のファミリーマートにいたら山本優弥さんが迎えに来てくれてビックリして。道場では石川直生さんに『ああ、会ったことあるよね! 新空手で会ったよね!』って話しかけられて。『え、覚えてるの!?』と(笑)。僕からしたら、二人ともスーパースターですから」
大川は、学生時代に士心館に通い、元全日本キックのライト級ランカー、岩田志郎氏の指導を受けていた。
「直生さんと岩田さんが全日本キックの同期で、新空手の大会で岩田さんがセコンドに付いた僕を直生さんが覚えてくれてて。直生さんや優弥さんのセコンドをする姿を見てた竹島会長がミットを持ってて、凄い熱で『ここで練習したい!』と思って青春塾に決めたんです。あの頃はめちゃめちゃ盛り上がってましたし、僕と同じように青春塾に入りたくて上京してくる選手が何人かいました」
2011年、24歳の時にKrushでプロデビュー。
だが、思うような成績を残せず、2013年の試合を最後に3年8か月もの間、リングから遠ざかった。
「怪我が多かったんです。二十代の頃は気持ちばかりが先走って、むしゃらに練習したんですけど回復が全然追いつかなくてよく怪我してました(苦笑)。直生さんには『大川はバカだから』とよく注意されていたんですけど、もっと気をつけないといけなかったです」
プロ生活と仕事の両立も思うようにはいかなかった。
「大学を卒業してから5年間は正社員で働いていました。金曜日の夕方まで普通に働いて、夜から減量をして、土曜日に計量して、日曜日に試合をして、月曜日の朝から普通に出勤です(苦笑)。会社に上手く伝えられなかったのもありますし、今みたいにネットでの情報もないので『社員なんだから休むな』という感じで。試合前はかなりキツくて、それが本当に嫌になってしまって『正社員とプロの両立は厳しい』と思いました」
プロ生活にいったんピリオドを打ち、勤めていた会社を辞めて、大川は違う分野に飛び込んだ。
「銀座にある先物取引の投資会社に入って、営業をやりました。上司に『ただガムシャラにやるんじゃなくて、工夫しろ』と言われて、仕事をしているうちにキックとリンクしてきたんです。『こうやって工夫したら、もっとプロで頑張れたんじゃないか』と思うようになって、10か月で退職して、青春塾に戻って会長に『復帰したいです』と申し出たんです」
当時の青春塾は、長くエースとして看板を背負った石川直生が引退してプロ選手のいない状態。大川が復帰するとなれば、竹島会長はそのための練習に付き合わなければならなくなる。
「会長も、僕の練習を見るとなれば家族のこととか犠牲にしないといけないんで。『まずはお前が誠意を見せてくれ』と言われて、それから1年くらい青春塾に通って、体力や技術を戻していきました」
2017年7月にKrushで復帰して勝利。さあここからという時だったが。
「そこでまた怪我をしてしまったんです。復帰戦で勝って、連戦で行きたかったんですけど」
2018年は玖村将史、小倉尚也に連敗を喫した。
「復帰して3戦して、全然思うようにいかなくて『才能ねえな』と。何となくやってても仕方ないので、会長に『最後に試合をして、ケリを付けたいです』と話したら、会長も『分かった』と。色々と試合を組んでくれるところを探して、REBELSの山口代表に連絡して試合を組んで貰ったんです」
2019年10月の「REBELS.63×KNOCK OUT」鈴木貫太戦でREBELSに初参戦。ここから大川のプロ人生は変わっていく。
「『これでやっと辞められる』と思ったんですけど、試合中は終始パニクってました(苦笑)。マットは滑るし、ヒジヒザありのルールが初めてで、やりたいことが何も出来なくて。会長にも『あんなんじゃ辞められないだろ』と言われて、すぐに練習を再開したんです」
その矢先、大川のもとに驚きのオファーが届く。「2月11日、大田区総合体育館でのKNOCK OUTに出てほしい」というのだ。
「会長は最初『大川じゃ無理ですよ』と断ったんですけど、山口代表に『ぜひ出てほしい』と言われたそうです。会長は熱い人なので『あんなに言ってくれるんだから、頑張らないとダメだぞ』と。
僕も、自分の格闘技人生で、この戦績で、あんなに大きな会場で試合が出来ると思ってなかったですし、会長も気合いが入って作戦を立ててくれて。試合は、会長も僕も『作戦通りにいった。勝ったな』と思ったんですけど負けでした(森岡悠樹に0-3の判定負け)。悔しくて、すぐ練習を再開したらコロナが始まってしまって」
試合が出来るメドは立たなかったが、コツコツと練習を続けるうちにさらなるチャンスが巡ってきた。
今回の「REBELS.66」で、大川は格闘技人生初の「メインイベント出場」を果たすのだ。
「山口代表から『宣伝に使ってください』って大会ポスターの画像が送られてきた時は、画像を見て『どういうことだ?』と(笑)。メインイベントになると知らなくて、状況把握にしばらく時間が掛かりました。
会長からは『お前がメインイベントを出来るなんて』『お前は変わらないといけないぞ』と檄を飛ばされています。熱い男なんで、練習でも気持ちを入れてくれるので、その気持ちに応えないといけないと思ってます。ここまで結果が出せてないのに、チャンスをくださった山口代表の期待にも応えたいです。
炎出丸選手は66戦もして、リスペクトすべき選手ですけど、すべてを奪うつもりでいきます。前に出てくる選手ですし、僕も打ち合いがしたいので、熱い、盛り上がる試合がしたいです。
練習してきたことを出し切る試合をして、炎出丸選手に必ず勝つ。圧倒的に勝ちます。見てる方もコロナでストレスが溜まってると思うんで、スッキリするような試合をしますので、ぜひ応援をよろしくお願いします」
原島モルモット佑治(テッサイジム)
100年に一人の“愛されキックボクサー”、
原島モルモット佑治。引退式で最後のチャレンジ!?
10月3日(土)、新宿FACEで開催される「REBELS.66」で引退式をおこなう原島モルモット佑治(テッサイジム)。REBELSの記者会見では、モルモット帽をかぶり、持参したスケッチブックで得意のイラストを披露して、殺伐としがちな会場をなごませてきた癒し系の男がとうとうリングを去る。
惜別のインタビューは、しみじみといい話で、感動のうちに終わりそうだったのだが……。
ずおずと「引退式で最後の挑戦をしようかと思ってるんです」と言い出した。
いったい、何をしようというのか!?
原島モルモット佑治
1982年6月16日、北海道出身。38歳。
テッサイジム所属。
生涯戦績51戦13勝(4KO)30敗8分。
J-NETWORKフェザー級9位。
REBELSの名物キャラ、100年に一人の「愛されキックボクサー」原島モルモット佑治がリングを去る。
16歳からキックボクシングを始め、21歳でプロデビュー。プロ生活17年で、通算戦績は51戦13勝(4KO)30敗8分。
引退のきっかけは昨年10月「REBELS.63×KNOCK OUT」での浦林幹(クロスポイント吉祥寺)戦。2Rに浦林のタテヒジ一撃で鼻骨を陥没骨折して、レフェリーが即座にストップ。緊急入院し、一時はICUに入るほどの重傷を負った。
原島さん(すでに引退してるので以降は「さん」付け)は「38歳の誕生日までにベルトを獲れなければ引退」と公言していたものの、どんなにやられてもあきらめずに戦う「モルモット魂」で退院後も復帰を目指した。が、モルモットの名づけ親であり師匠の小磯哲史テッサイジム会長に「もう試合は組めない」と宣告され、悩んだ末に今年3月に現役引退を決断した。
今はフルタイムで働きながら、週2回、テッサイジムでトレーナーを務める生活をしている。
「試合に向けてのキツい練習も、減量もなくなってホッとしてる部分もあるんですけど。たまに、特にREBELSさんの発表を見たりすると『あと1回か2回でいいから最後にやりたかったなー』って思います。もうちょっといい動き、勝ち負けは別というか勝ちたいんですけど、やっぱいい動きをして終わりたかった……」
インタビュー中、何度も原島さんは消え入りそうな声でこうつぶやいた。
「悔しいです。くっそ……」
キックボクサー・原島佑治のストーリーは、20歳から所属した山木ジムを離れ、2012年に小磯会長が設立したテッサイジムに移籍した時から始まった。
すでに30歳になっていたが、小磯会長は「一生懸命にやってるつもりだろうけど、プロで勝つための練習が全然出来てない」と指摘。以降、会長と共に厳しい練習に明け暮れた。
その一例が最高気温38度の猛暑の中での坂道ダッシュ。二人は試合に向けて、黙々と鍛え上げていた。
【REBELS.57】才賀紀左衛門を倒す!テッサイジム、小磯哲史&原島モルモット秘密特訓に潜入!!
「会長の言うことに反発したことは一度もないです。炎天下での坂道ダッシュもキツかったですけど、会長の言うことは昔の体育会系じゃないですけど絶対なので」
2014年、小磯会長から1つ指令が出された。「REBELS.32」(新宿FACE)での浜本“キャット”雄大戦を前に「負けたら改名」。判定負けを喫し、顔と雰囲気から「似てる」と名付けられたのが「原島モルモット佑治」である。
「最初、リングでコールされるときにめっちゃ恥ずかしいですし、早く普通の名前に戻りたいって思ってました。でも指導してるキッズとかにすぐ覚えて貰えるのが分かって、覚えて貰えるならいいかな、って(笑)」
トレードマークの「モルモット帽」も小磯会長のアイディアだった。
「会長が通販で『モルモット』を探してくれたんです。でも実際のモルモットはモルモットっぽくなくて『カピバラ』を買って、僕は『会長が言ってるから』ってモルモットだと言い張ってます(笑)。でもこれ、今はどこを探しても売ってないんですよ」
以来、モルモット帽をかぶって計量に臨むようになったが、その格好で試合のリングに上がる時は相当に悩んだという。
「会長には、キャラ付けというか『絶対にその方がいいから』と言われて計量ではかぶったんですけど、かぶったままリングに上がる時は『失礼になっちゃうかな?』とかめちゃめちゃ考えてしまって、メンタル的に良くなかったことを覚えてます(笑)」
この「原島モルモット」というキャラクターを一番面白がったのがREBELSだった。
「他の団体ではモルモット帽をかぶった写真はポスターに載せて貰えなかったんですけど、REBELSさんのポスターとパンフレットは必ずモルモット帽をかぶった写真を使って貰えて、めちゃめちゃ嬉しかったです(笑)」
REBELSでの原島さんは、大会前の記者会見で大いに活躍した。モルモット帽をかぶり、スケッチブック持参で「次戦への意気込み」や「対戦相手の倒し方」を得意のイラストをまじえて披露。紙芝居形式で発表してみたり、カズ・ジャンジラと「システマ」を披露して、観覧に訪れたファンを喜ばせた。
「スケッチブックも、会長が『書け』って案をくれて、やってみた感じです(笑)。めちゃめちゃ恥ずかしくて、滑った時のことを考えてドキドキでしたけど、みんな優しいんで(笑)。会見で喋った『倒し方』の話を、試合の解説で話して貰ったのもめちゃめちゃ嬉しかったです」
原島さんの傑作「三浦翔(かける)の倒し方」はこうだ。
「三浦選手はイケメンで、顔が小さいからアゴが弱い。スタイルが良くて、足がスラっと長いからローに弱い。アゴへのパンチとローで倒します」
相手の長所を褒めて『でもそこが弱点。倒します!』という「誰も傷つけない攻略法」には隣で聞いていた三浦も大笑い。殺伐としがちな前日会見をほんわかした空気に包み「モルモットワールド」の真骨頂だった。
ちなみに、試合結果は三浦翔が試合開始早々に飛び膝蹴り一発で原島さんの額を切り裂いて1RTKO勝ち。アゴも足も触われずに負けてしまった原島さんの悔しそうな顔はいまだに覚えている。
37歳の誕生日、原島さんは自身のツイッターでこう公言した。
「38歳の誕生日までにベルトを獲れなければ引退します」
その真意を聞いた。
「ズルズルと35、36歳になって、やめどきを失ってる感じになってて。ランカーでもないし、チャンピオンでもないし。それで会長が『ダラダラやっててもしょうがないから区切りをつけろ。いつにするかは自分で決めていいぞ』と言ってくれて。最初は37歳の誕生日と決めたんですけど、公言はしてなかったので1年伸ばして。それで、こうなりました(苦笑)」
陥没骨折した鼻を指さして「すごいダサいんですよ」と原島さん。怪我した直後は嗅覚を失ってしまったが、現在はほぼ戻ったという。ドンマイ。
2017年に3連勝をマークし、初めてJ-NETWORKフェザー級9位にランク入りを果たした。
当時、原島さんは「勝利の方程式」を掴み掛けていた。
「僕は首相撲に苦手意識があって、ずっと練習してたらこんな耳に(ギョーザ耳)になってしまったんですけど(苦笑)。組まれたくない、でも一発がないんで手数を出したい。それで、組まれない距離で打ち合うと、ムエタイスタイルの人って凄くスタミナをロスすると気づいて。3連勝した時は相手がものすごく疲れてて、スタミナの差で勝てました」
努力を重ねて、やっと勝ち方を掴んでランク入りし、悲願のチャンピオンベルトにようやく近づいたものの、2018年以降は失速。ほとんど勝てなくなってしまう。
今度は「減量」という壁にぶち当たったのだ。
「水抜きの量が4キロ、5キロと増えていって、計量をパスした後、年齢的なこともあると思うんですけど体が全然回復しないんです。会長には『ライト級に上げたらお前はパワー不足。もっと脂肪を削って水抜きを少なくしろよ』と言われて、やろうと思うんですけど、結局最後は『落とせるから水抜きでいくか』となってました。それでだんだん反応も悪くなってて、最後はこんな顔面へのヒジを喰らって。ちょっと避けるなりの反応も出来てなくて、気づいた時は時すでに遅しです。ダメですよね(苦笑)。だから、水抜きをしないで、何なら1階級上げてでもあと1回か2回、やりたかったです。最後、いい動きをして終わりたかったですね」
そうして、原島さんはため息をつき、何度もつぶやいた言葉を繰り返した。
「悔しい……」
小磯会長はこう述懐する。
「原島には、技術的なアドバイスなんてほとんどしたことがないんですよ。50戦もしてるのに、試合前は毎回デビュー戦の選手みたいにガチガチに緊張するんですから」
気持ちの優しい原島さんには、倒すか倒されるかの過酷なキックボクシングは、もしかしたら不向きな競技だったのかもしれない。
しかしながら、チャンピオンという夢を追い、ド緊張で震える心を奮い立たせて、51回もリングに上がり、戦い続けた勇気と根性と、ひたむきな姿勢が見る者の心を打った。だから、負けが多くてもキックボクシングのファンに愛されたのだ。
10月3日(土)、REBELS.66(東京・新宿FACE)で「原島モルモット佑治引退式」が行なわれる。
チャンピオンにはなれなかったが、REBELSを盛り上げた功労者としてファンとスタッフから「心のチャンピオン」としての10カウントゴングで送り出される。
涙と感動の引退式に向けてのメッセージを聞くと、原島さんから驚きの「最後のチャレンジ」を明かされた。
マジか……。
それが何かはここでは明かせない。
ぜひ10月3日、新宿FACEで「原島モルモット、最後のチャレンジ」を見届けてください!!
対戦カード
※REDルールは肘有りキックルール、BLACKルールは肘無しキックルール
第6試合 メインイベント BLACKルール 55.5kg契約 3分3R
炎出丸(クロスポイント吉祥寺)
大川一貴(青春塾)
第5試合 セミファイナル REBELS-RED 53.5kg級王座決定リーグ戦 3分3R
工藤“red”玲央(TEAM TEPPEN)
前田伊織(北流会君津ジム)
原島 モルモット 佑治 引退エキシビジョンスパーリング
原島 モルモット 佑治(TESSAI GYM)
浦林 幹(クロスポイント吉祥寺)
第4試合 BLACKルール 61.5kg契約 3分3R
小野幹晃(IGGY HAND’S GYM)
岩郷泰成(HIGHSPEEDジム)
第3試合 BLACKルール 63kg契約 3分3R
柴崎“ワンパンマン”亮(team AKATSUKI)
長谷川尚登(TEAM FOREST)
第2試合 BLACKルール 67kg契約 3分3R
高橋祥容(菅原道場)
高橋祐弥(クロスポイント吉祥寺)
第1試合 BLACKルール 55kg契約 3分3R
宮下友樹(team AKATSUKI)
井熊知也(クロスポイント吉祥寺)
アマAクラス 女子43.5kg契約 2分2R
曽我さくら(クロスポイント大泉/NJKFジュニア-43kg級王者)
優月(闘神塾/K-GATE35kg級王者、宮野道場全日本少年少女空手道選手権リアルチャンピオンシップ2019優勝、日本武道振興会チャンピオンカップ全日本大会2019優勝)
概要
大会名 REBELS.66
日時 2020年10月3日(土) 開場・17:30 本戦開始・18:00
会場 新宿フェイス
チケット料金 カウンター席¥20,000 最前列席¥15,000 S席¥7,000 ※新型コロナウイルス感染症対策のため座席数を制限して販売 ※カウンター席、最前列席は¥5,000分のグッズ引換券付 ※入場時ドリンク代500円が必要 ※当日500円増し ※6歳未満は入場無料(座席を必要とする場合は有料)
チケット販売所 チケットぴあ 出場選手・所属ジム
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