突然のキック引退、MMAに完全転向する雅駿介の #覚悟 「ノゲイラが滅茶苦茶好きでした」
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昨年2019年にムエタイオープン、スック・ワンキントーン、WMC日本のライト級タイトルを獲得し、KNOCK OUTにも出場し、上り調子だった雅駿介(みやび・しゅんすけ)が、2020年4月28日をもってキックボクシングを引退し、総合格闘技に転向することが、所属先のPHOENIXの公式サイトにて発表された。
上記の雅の転向表明によると、元々、総合志向だったが、「流れでキックボクシングの魅力にのめり込んでいき、次第にキックボクシングでチャンピオンになることが僕の夢になりました」といい、「キックボクサーとしてキャリアを歩んでいく中で、総合格闘技への情熱を心の片隅でずっと持っていて総合格闘技へチャレンジしたいという気持ちが捨てきれずにいました」と明かしている。
プロキックボクサーとしての通算戦績は20戦17勝3敗。PHOENIXとの契約も解消しフリーとなって、裸一貫からの再スタート。突然の転向表明の翌日のツイートには「キックボクサーがMMAに挑戦するんじゃない。キックボクシングを引退して、MMAに完全転向する。 #覚悟」と記した雅に、その“覚悟”について聞いた。(聞き手・写真:井原芳徳)
【ご報告】
3本の日本タイトルを返上しキックボクシングを引退します。
最高の5年間でした。今後は総合格闘技の舞台で、夢に向かって人生懸けて勝負します。
絶対1番になる。
これからも応援お願いします!ー
ジムのHPにてご挨拶させていただきました。
詳細
↓ ↓https://t.co/RZ0WEtNPgT pic.twitter.com/E3CwKKbAr0— 雅 駿介 (@shunsuke_miyabi) April 28, 2020
キックボクサーがMMAに挑戦するんじゃない。
キックボクシングを引退して、MMAに完全転向する。#覚悟 pic.twitter.com/6fmpd9Wp0C— 雅 駿介 (@shunsuke_miyabi) April 29, 2020
4年前にも転向を考えたけど、これだと逃げになっちゃうなって
――突然のMMA転向の発表には驚きました。PHOENIXのサイトでの転向表明も読みましたが、改めてどういう動機だったかを詳しく聞かせてください。
雅「元々、格闘技全般が好きでしたけど、特に総合が好きで、15歳の時に格闘技を始めようと思って、最初に行ったのが千葉県市川市のジムでした。練習スケジュールを見て、総合の時間に行ったら、キックの指導者の方がいたんですね。その方が会長だったんですけど、キックの入会者と思われたのかわからないですけど、結局キックを教わることになって。僕も若くて、よくわかっていなくて、やっていくうちにキックも楽しかったし、元々K-1とかも観ていたので、不満は特に無くやっていました。その後(東京都千代田区の)PHOENIXに移籍して、プロになって、気付いたらキックでチャンピオンになるのが僕の夢になっていたんですけど、総合もやりたいなってずっと心の片隅では思っていました。
4年前に1年ほどキックを休んでいた頃にも、総合に行こうかと考えたことがあるんですね。その時はちょうど大学4年生で、腰を怪我していましたし、周りが就職活動をしていて、自分も辞めて就職しようか…とか、色々考えていたうちの一つとして、昔やりたかったMMAに挑戦するという選択肢もありました。実際に(PHOENIXの)加藤(督朗)会長にも相談して、いくつか総合のジムに見学にも行ったんですけど、キックの実績がまだ中途半端で、これだと逃げになっちゃうなって思って、その時は思い留まり、キックを続けました。
それで去年の春、加藤会長がPHOENIXを辞める前、前村(基公)代表と加藤会長の間で話して、選手は自由にしていいよってなったんですよ。加藤会長の新しいジム(FAITH)に行った選手も何人かいましたし、TEPPENに行った前口(太尊)さんもいましたけど、(さらに選手が離れると)PHOENIXがどうなるかわからない状態でした。それに(2月のムエタイオープンで)翔(センチャイジム)選手との試合が決まっていて、それが初めてのタイトルマッチでしたけど、まだ(総合に転向するには)キックの実績が自分でも中途半端だと思っていたので、それだったら1年しっかりやり切って、2020年というキリのいい年でもありましたし、オリンピックイヤーでお祭り気分ってのもありましたし、僕自身も今年で26歳になるので(※インタビュー公開の5月4日が誕生日)、総合に行くんだったら最後のチャンスだと思ったんですよね」
――去年は2月に翔に勝ってムエタイオープンのライト級王座を獲得し、6月に永澤サムエル聖光に勝ってスック・ワンキントーン王座、12月に伊東伴恭に勝ってWMC日本王座を獲得し、気付いたら1年で3冠になりました。その前後にはKNOCK OUTにも上がって、PHOENIXの先輩の梅野源治選手に続く出世ロードを順調に進むかと思っていたので、総合転向表明には意表を突かれました。
雅「キックボクシング自体に不満とかは全然無かったですし、KNOCK OUTのトーナメントがあるかもという話もありましたし、ONE Championshipを目指すプランもあったんですけど、このままONEに行ったところで、総合の選手が同じ大会で試合をしているのを見たら、たぶんもっとやりたいなって思うだろうし、やりたいなっていう思いを抱えながらキックをやり続けるのはちょっと違うなって。キックでまだまだいっぱい強い選手がいるんですけど、それを挙げたらキリがないので、やりたいことを優先しようと考えた時に、やっぱり総合格闘技って感じだったんですよね」
退路を断って、覚悟を決めて、キックを引退して、一から総合でデビューしたかった
――市川のジム時代に総合の練習はやっていたんですか?
雅「いや、全くやっていなかったですね。会長が総合の試合に出る時の練習に付き合ったことはありますけど、教わるとかじゃなかったです」
――キックと並行してMMAをやる選択肢もあったと思います。
雅「両方をやっている選手もいますけど、やってみてダメだったらキックに戻るって感じになるのも嫌でした。自分に追い込みをかける意味でも、退路を断って、覚悟を決めて、キックを引退して、一から総合でデビューしたかったんですね。総合格闘家、MMAファイターになりたいってのが希望でした」
――MMAの練習は始めているんですか?
雅「少ししていますけど、コロナの影響で閉まっているところも多くて、なかなか自由にはならないですね」
――練習先はどこですか?
雅「去年10月のスアレック戦の前から、キックの練習で(千葉県の)津田沼のFIGHT FARMに出稽古に行っていて、2月のKNOCK OUTの試合が終わって、総合に転向すると固まった時点で相談して、それから総合の練習もするようになりました。それから知り合いを通じて(東京都葛飾区の)K-Clannを紹介してもらって、練習させてもらったりしています」
――まだフリーの立場ですか?
雅「そうですね。もちろんどこかに所属するつもりなんですけど、話をしていたりとか、ジムの見学とかに行っている間に、(新型コロナウイルスの感染拡大に伴う)緊急事態宣言でジムの営業が自粛に入って、なかなか話が進まない状況なんですよね」
――FIGHT FARMとK-Clannで総合の練習をしてみて、どうですか?
雅「全然別物ですね(苦笑)。プロのトップファイターのいる練習に入れてもらっているんで、ボロ雑巾のようにやられてばっかりで、ホントにこれヤベえなって感じですね。本当は初心者クラスからやらないといけないレベルですけど、プロ練習しかやっていないんですよ」
――たしかに今は大半のジムの一般クラスが営業していなくて、プロ練習とか少人数のパーソナルとかしかやっていないタイミングですよね。
絶対王者のヒョードルに食らいつく感じが好きだった
――ところでちょっと遡りますけど、元々MMAファンとして好きだった選手とか、きっかけって何だったんですか?
雅「親父の影響でPRIDEが好きだったんですよ。(アントニオ・ホドリゴ・)ノゲイラが滅茶苦茶好きで、吉田秀彦選手も好きで」
――ストライカーよりもグラップラーが好きだった?
雅「なのにキックボクシングをやってて(笑)。ミルコとかも好きだったんですけど、一番といったらノゲイラですね」
――どういうところが好きだったんですか?
雅「技を追求している感じとか、ヒョードルっていう絶対的な王者がいるところに食らいついていく感じがめっちゃカッコ良くて好きだったんですよね」
――ボブ・サップ戦とか、ミルコ戦とか、やられ続けていて、最後は勝つみたいな。
雅「逆転劇とかもカッコ良かったですね」
――実際、そんな雅選手がMMAファイターになった場合、どういうスタイルを目指したいですか?普通に考えればキックボクシングの経験を活かすとは思いますが。
雅「僕は寝技を頑張りたいなって。そもそも自分でも打撃のセンスはあんまり無いなって思っていて。首相撲は昔から強かったんですよ。総合に行くからにはレスリングとか寝技とかもしっかりやった上で、ちゃんとMMAファイターで出たい感じがありますね」
――アマチュア大会から出るつもりですか?
雅「僕の入るジムの方針にもよると思うんですけど、キックの時もアマチュアの経験がプロでも活きたんで、しっかりアマチュアの経験を積みたいとは思っています」(雅はプロデビュー前年の2014年秋、KAMINARIMON(RISEアマチュア)全日本トーナメント65kg級優勝、全日本学生キック・ライト級王座獲得の実績を残している)
――とはいえ、練習もそうですけど、コロナを巡る状況が大変で、将来の計画が立てにくいですよね。何歳までにデビューして、何歳までにプロの国内タイトルを獲る…とか、普段のインタビューなら聞くところですけど。
雅「そうですね。でも最終目標はUFCで、世界の舞台で戦えるファイターになりたいです」
――RIZINが地上波のフジテレビでやっていることにも、転向にあたって刺激は受けましたか?
雅「RIZINが人気があるからとか、有名になれるから出たいとかはあんまり無いですね。もちろん有名になりたい欲もあるんですけど、RIZINの特にバンタム級は普通にレベルも高いと思いますし」
――キックで雅選手はライト級で、61.2kgですから、MMAだとバンタム級になりますね。堀口恭司や朝倉海の階級です。
雅「普通にあのレベルを目指したいとは思います」
――むしろ、15歳の時に志した、MMAをやりたいという思いが強くて、結果として有名になったり稼げたりしたらいいという感じで。
雅「そうですね。ただ、中高校生の頃はYoutubeで格闘技を観まくっていて、PRIDEの佐藤大輔さんの煽り映像が大好きで、それに出たいとは思っていますね(笑)」
――キックから総合に転向したというエピソードも、ドラマチックに扱ってもらえそうですよね。コロナの影響で、キックを続けるにしても試合が減りそうな状況で、人生を見直すきっかけにはなりましたか?
雅「いや、それはあんまりなくて、元々決めていたことで、そのタイミングでコロナでこんなんになっちゃったなって感じで」
この期間は充電期間にして、みんなで爆発したい
――こういう状況ですけど、MMAファイターとして、これからどうして行きたいですか?
雅「すぐに試合に出たいは出たいですけど、負けたくはないんで、しっかり今年は地盤を固めたいです。たぶんコロナの影響で試合もあんまりできないと思うので、逆にそこをうまく利用して、練習をたくさんして、地盤を固めて、来年とかデビューできるようにやっていきたいです。Twitterで発表した後に、思ったよりも反響があったので、ちゃんと期待に応えられるよう、下地を作りたいです」
――リングネームは「雅駿介」のままですか?
雅「本名が井上駿介なんですけど、前に同じ名前の読みの総合格闘家の方(=井上俊介)がいたみたいで、似すぎていますし、名前も『雅』で覚えられているので、このまま行こうかなと思っています」
――今は何か格闘技以外の仕事をしているんですか?
雅「大学卒業した後、フリーターをしながら格闘家をやっていたんですけど、国士舘大学のキックボクシング部時代の先輩の紹介で、ミライユという会社に正社員として雇ってもらっています」
――格闘家の就業支援や人材派遣の業務もしている会社ですよね。
雅「1年目は営業に出たり、仕事を探している人の面接について行ったりして、社会のことを一通り学ばせていただきました。今は事務職で、業務時間が1年目の半分ぐらいで、練習にも集中できる状態です」
――いわゆる実業団形式ですね。ご家族はいらっしゃるんですか?
雅「去年の11月に入籍して、奥さんと住んでいます」
――奥さんの存在が、総合転向に影響した部分はありますか?
雅「去年キックで6試合して、1年でファイトマネーも倍以上に上がったんですよ。収入的にマズくなると奥さんからストップがかかるかもと思ったんですけど、奥さんに相談したら『やりたいことをやったほうがいいよ』と背中を押してもらったんで」
――それは心強い。いい話ですね。最後に、コロナが広がり、多くの格闘技ファンも今後の格闘技界を心配している状況で、ファンに向けてのメッセージがあれば聞かせてください。
雅「今の時期って、試合とかがほとんどできないと思いますけど、いつかできる時が来たら、みんなが溜め込んでいるフラストレーションを爆発できると思うんで、その時を待っていてくださいって感じですかね。僕も待っているし、この期間は充電期間にして、みんなで爆発したいですね」
――ワクチンができるのが2年だとかになると、お客さんをぎっしり入れる大会もしばらくできないかもしれないですよね。雅選手の年齢なら、2~3年経ってもまだ30歳には届かない年齢なので…
雅「ギリギリですけど、まだまだやるつもりなんで、みんなが普通に戻れる時にはもっと強くなっていたいです」◆◆◆

2月11日のKNOCK OUTのシラー・Y’ZD戦が雅のキックボクサーとしての最後の試合に。プロのMMA選手として、勝ち名乗りを受ける日を楽しみに待ちたい