沢村忠に真空を飛ばせた男―昭和のプロモーター・野口修 評伝― 著者・細田昌志インタビュー【Part1/3】「キックボクシング創始者・野口修を調べるうち、『これは完全なる戦後右翼史だ』と思ったんです。」
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今から約50年前に「キックボクシング」を命名・創設し、沢村忠をスター選手にし、歌手の五木ひろしを世に送り出した伝説のプロモーター・野口修の生涯を描いた「沢村忠に真空を飛ばせた男―昭和のプロモーター・野口修 評伝―」(新潮社)。戦前からの野口家のファミリーヒストリーを追い、戦後のキックボクシング創設・ブーム・衰退の過程を緻密な取材・調査で描き上げ、野口修の晩年の没落まで記した560ページの大著は、2020年10月末の刊行から少しずつ多様な人達に読まれ、Amazonレビューでも42個の評価・星5つ中の4.5と高い評価を獲得(2021年1月13日現在)。毎日新聞やサンデー毎日の書評欄でも紹介されている。
既にBOUTREVIEWでは昨年末に絶賛の書評を掲載したが、その前の12月上旬、著者の細田昌志氏に取材秘話や野口・沢村評について話を聞いた。その内容を3回に分けてお届けする。(聞き手・写真:井原芳徳)
【Part1/3】「キックボクシング創始者・野口修を調べるうち、『これは完全なる戦後右翼史だ』と思ったんです。」
――東京都心の目黒雅叙園という高級ホテルでインタビューを行うのは、この本を読んでいない方からするとなぜ?と思われそうですが、細田さんの著書「沢村忠に真空を飛ばせた男―昭和のプロモーター・野口修 評伝」において、重要な場所です。この本の主人公・野口修さんの父・進が、戦争直後にいた四国の愛媛県新居浜から東京に戻り、雅叙園の近くに建てたのが、キックボクシング発祥のジム「目黒ジム」の前身となるボクシングジム「野口拳闘クラブ」でした。
細田 終戦直後の労働運動が盛んだった時代、元プロボクサーの野口進はスト破りの要員として新居浜に住んでいて、東京に帰って来るきっかけの一つが雅叙園です。
――雅叙園のお家騒動をいつでも制圧できるよう、雅叙園の関係者から、この近くの土地を提供されたんですよね。
細田 面白いのが、当時の読売新聞を読むと、はす向かいの野口拳闘クラブのボクサーや、とある相撲部屋の力士が、雅叙園でストライキをしている労働者のピケを破ったとか書かれていたんですよね。
――野口進は戦前、元日本ウェルター級王者のボクサーでありつつ、右翼団体の構成員でもありました。その息子の野口修さんに取材する前から、そういった戦争前後の右翼の話を掘り下げることになるとは思っていましたか?
細田 ちょっとは考えていたんですよ。でも、その話で冒頭の50ページも使うとは思っていなくて。
――しかも2段組みですから、普通の本なら100ページ相当です。
細田 それだけで1冊の本になるじゃないかって(笑)。お父さんが右翼だったことは普通に修さんからも聞いていましたし、若槻礼次郎・元総理大臣の暗殺未遂事件を起こした人だとも知っていましたけど、表面的なことだけでした。掘り下げる一つのきっかけになったのは安部譲二さんですね。
(安部は自伝的小説『塀の中の懲りない面々』が87年にベストセラーになった元暴力団員。野口修の作った日本キックボクシング協会はTBSで中継されていたが、4局で放送されていた昭和40~50年代のキックボクシングブームの頃、安部はライバル団体の日本テレビでの中継の解説者だった。)
――安部さんに初めて会ったのは?
細田 2012年です。野口さんと初めて話したのは2010年で、取材を進めるうちに野口さんの人脈やあの時代のキック界について知りたくて、お会いしたんですね。安部さんのご自宅の書斎にお邪魔して初対面した時、静かで重い口調でこう言われたんです。
「野口家っていうのは特殊な家なんです。古い関係者でも、その背景についてあまり知らないし、知ろうとしない。蓋をしているものを開けることになりかねないから。いろんなものが出てしまいかねないから。あなたは、そのことを判った上で取材をしていますか」って。
元暴力団員の方が、僕を心配するってよっぽどのこと。それでも取材を続けると、色んな出来事を右翼の世界観でつなげていくと、わかりやすいと思うようになりました。他の野口修を取材をした方には、そういう切り口は無かったと思うんですよね。あくまで空手やムエタイといった格闘技の文化が軸で、野口修がタイに行って、ムエタイが商売になると思った程度だったと思うんですけど、僕は「これは完全なる戦後右翼史だ」と思ったんです。
戦後右翼の中でも、笹川良一のように日本船舶振興会(今の日本財団)を立ち上げ、競艇で莫大な財をなした人もいれば、児玉誉士夫(よしお)のように政財界を操って、自民党の設立に大きく関わった人もいる。
――右翼史であり、保守政治史ですよね。児玉がCIA(米国政府の情報機関)に協力していたという話は有名です。
細田 児玉がオーナーだった東京スポーツが、アメリカの娯楽であるプロレスを日本に広めるために力を入れたのも、親米保守としての活動の一環でしょう。ボクシングも、戦前はともかくとして、戦後は同じ側面があった。白井義男があのタイミングで世界王座を獲得できたのはまったく偶然ではないんです。そういった文脈の中でボクシングの普及に関わったのが野口進です。そのせがれの野口修がタイ式ボクシング(ムエタイ)を日本に持って来て「キックボクシング」という新しい娯楽にしたのも、右翼と格闘技の関わりの系譜の延長にあると考えれば、納得できたんですよね。
――野口修がキックボクシングブームを起こしたことで、沢村忠の試合を放送していたTBS以外の局も、キックボクシングの放送を開始し、新団体の立ち上げを後押しし、団体乱立・多局化が進みました。そういった昭和のテレビ業界史としても面白い本でした。
細田 その陰で右翼の大物の児玉が影響力を及ぼしていたという話には僕も驚きましたね。ボクシングのプロモーター時代、右翼に助けられていた野口修にとって、ある時期から右翼が、くびき(活動の妨げ)になっていくわけです。
――戦後、米国が3S政策(Screen=映画、Sports、Sex=性産業の普及)で日本人の政治への関心を弱めたとも言われていますが、CIAの協力者の児玉にすれば、スポーツ振興の一環として、TBS 1局だけじゃなく多くの局でキックを放送させて人気を拡大したかったんでしょう。そして、戦後の海外渡航の制限の厳しかった時代、なんで野口修にタイのルートがあったかというと、さかのぼれば戦前から続く右翼人脈と無縁ではないことも、本に詳しく書かれています。
細田 あと野口修についてこれまで書いた方が見落としがちだったのは、彼が元々はボクシングのプロモーターだというところです。そこでのつながりを論じないと、なぜキックボクシングを作ったかに辿り着かない。一方で、戦前から戦後のボクシングの勃興期を記した本でも、野口修さんの名前は出てこなくて。若くして世界戦をプロモートした人なのに、ボクシング界からも無視されて、キックボクシングも彼が作ったけど、その歴史を書いた本からも無視される。なんでそんなに各方面から無視されるんだろうと疑問に思いながら、史実を一個一個押さえて、つなげていくと、いろいろ納得がいきました。
――まとまった形の資料が無い人でしたよね。
細田 沢村忠の引退でキックボクシングのブームが終焉し、野口修もあらゆる事業で失敗し、80年代中盤に野口プロモーションが解散状態になって、数々の貴重な資料が散逸したんです。でも当時のスポーツ新聞や雑誌は国会図書館に残っています。そこで沢村忠の戦績や、野口修がプロモートしたボクシングやキックボクシングの試合記事を一個一個押さえました。当時のスポーツニッポンの記者で今も健在の川名松治郎さんとか、当時キックボクシングに関わった人達にも話を聞きました。
――当時の記者、キックと空手の選手、テレビ局員、芸能プロダクション関係者、さらにはビートたけしのようなボクシングに詳しい芸能人や、右翼、銀座のクラブの元ホステス。取材対象は実に多岐に渡ります。
細田 当時のテレビ局の関係者に会って、「なんで修なんか取材してんの?」って、あきれた感じで言われながらも話を聞いて、わからないことがあると、さらにまたその方の人脈で当時を知る方を紹介してもらったり……。その連続でどんどん取材対象が広がりましたね。でも昔のことですから皆さんの記憶も曖昧になっていますし、何年探しても見つからない重要人物もいましたし、大変でした。
細田昌志著「沢村忠に真空を飛ばせた男―昭和のプロモーター・野口修 評伝―」紹介(新潮社の資料より)
◆内容
2016年3月31日に亡くなったプロモーター・野口修の生涯を描く。野口修の父野口進は「最高最大の豪傑ボクサー」と呼ばれた人気拳闘家。「元首相暗殺未遂事件」を起こした国士でもあったため、野口修は右翼人脈に囲まれた環境で育つ。
大学卒業後、家業のボクシングジムを継いで、プロモーター業に就いた修は、タイ式ボクシング(ムエタイ)からヒントを得た新しいスポーツ「キックボクシング」を創設。沢村忠を送り出し、巧みなメディア戦略で大ブームを巻き起こす。
さらに芸能界にも進出。無名のクラブ歌手をスカウトし「五木ひろし」と改名させ、日本レコード大賞を受賞。日本人歌手として初めてラスベガス公演まで行う。
数々の栄光とその裏で繰り広げられた葛藤を描きながら、野口修の数奇な人生と、共に刻まれた壮大な昭和裏面史を活写する。
◆目次
序章 日本初の格闘技プロモーター
第一章 最高最大の豪傑ボクサー
第二章 若槻礼次郎暗殺未遂事件
第三章 別れのブルース
第四章 新居浜
第五章 日本ボクシング使節団
第六章 幻の「パスカル・ペレス対三迫仁志」
第七章 プロモーター・野口修
第八章 散るべきときに散らざれば
第九章 死闘「ポーン・キングピッチ対野口恭」
第十章 弟
第十一章 佐郷屋留雄の戦後
第十二章 空手家・山田辰雄
第十三章 タイ式ボクシング対大山道場
第十四章 大山倍達との袂別
第十五章 日本初のキックボクシング興行
第十六章 沢村忠の真剣勝負
第十七章 真空飛び膝蹴り
第十八章 八百長
第十九章 山口洋子との出会い
第二十章 よこはま・たそがれ
第二十一章 野口ジム事件
第二十二章 一九七三年の賞レース
第二十三章 ラストマッチ
第二十四章 夢よもういちど
第二十五章 崩壊
終章 うそ
あとがき
参考文献
◆著者略歴
細田 昌志(ほそだ まさし) 1971年生まれ。CS・サムライTVの格闘技番組のキャスターをへて放送作家に転身。いくつかのTV、ラジオを担当し、雑誌やWebにも寄稿。著書に『坂本龍馬はいなかった』(彩図社・2012年)『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか』(イースト新書・2017年)。メールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」(博報堂ケトル)同人。
Twitter https://twitter.com/kotodamasashi