独自の格闘美学を貫き通しU-FILE CAMPを設立する。
その格闘美学のため、新日本プロレスとの全面抗争には参加せずUWFインターナショナルでは浮いた存在となる。
そして、団体エースであった高田延彦に挑戦を懇願しながらついに叶わなかった。
UWFインターナショナルを見放すかのようにリングスに移籍し、1997年には初代リングス無差別級王者となる。
2001年リングスを退団し、一時期フリーの身となる。
2002年、ついに叶った高田延彦との戦いは満身創痍の高田の引退試合であり、介錯人として右フックを放った。
2005年2月、PRIDE.29で手を骨折する。
格闘技ファンから独特の支持を得る。 2000年2月、リングスKOK1999 3位。 |