青春のエスペランサ
PRIDE統括本部長
名前 所属 生年月日 身長 体重 出身地
高田 延彦 高田道場 1962.04.12 183cm 95kg 日本 神奈川県
たかだ のぶひこ
経歴
小学(野球・オール横浜選抜)→中学(野球部)
新日本プロレス→UWF(1985年〜1988年)→第2次UWF(1988年〜1990年12月6日)
→UWFインターナショナル(1991年〜1996年12月27日)
→フリー(キングダムに参加・1996年12月28日〜1998年)→高田道場(1998年〜)
紹介
90年代のプロレス史で最強は誰だったか?と問えば真っ先に名が挙がる一人である。
IWGPヘビー級王座にも輝く。
格闘技界にグレイシー一族の名が広がると、プロレスラーこそ最強と信じて疑わなかった者達は
「誰があのグレイシー一族を倒すのだろう」と期待と不安を隠さなかった。
その中でヒクソン・グレイシーに闘いを挑んだプロレスラーが、平成の格闘王と呼ばれていた高田であった。
多くのプロレスファンは高田の勝利を期待したが、格闘技に精通していた者の多くは高田の敗北を予想した。
そして運命の1997年10月11日は、高田の敗北によって日本格闘技界を大きく転換させた一日となった。
それがPRIDE.1であり、現在の日本の総合格闘技に大きく繁栄する事となったPRIDEの始まりである。
総合格闘家としては苦難の連続が続き、ファンから多くの叱責を浴びる事もあったが、
それは裏返せばプロレスラーに対する期待の表れであり、
そして高田延彦にかけるファンの期待がどれだけ高かったのかを示している。
現在は自身の経営する高田道場で後進の育成に励む傍ら、
総合格闘技界における中心人物としてPRIDE統括本部長の要職を担っている。
リンク
日々是発見(日記)
日付 大会名 対戦相手 結果 場所
1997.10.11 PRIDE.1 ヒクソン・グレイシー × 5×12R 1R 4:47 腕ひしぎ十字固め 東京ドーム
1998.06.24 PRIDE.3 カイル・ストュージョン 10×3R 1R 2:17 ヒールホールド 日本武道館
   .10.11 PRIDE.4 ヒクソン・グレイシー × 10×無制限R 1R 9:30 腕ひしぎ十字固め 東京ドーム
1999.04.29 PRIDE.5 マーク・コールマン 10×2R 2R 1:44 ヒールホールド レインボーホール
   .07.04 PRIDE.6 マーク・ケアー × 10×2R 2R 3:04 アームロック 横浜アリーナ
   .09.12 PRIDE.7 アレクサンダー大塚 10×2R 2R 1:32 チョークスリーパー 横浜アリーナ
2000.01.30 PRIDE GP 開幕戦 一回戦 ホイス・グレイシー × 15×1R 判定 3-0 東京ドーム
   .10.31 PRIDE.11 イゴール・ボブチャンチン × 10×2R 2R 3:17 マウントパンチ 大阪城ホール
   .12.31 INOKI BOM-BA-YE ドン・フライ
ケン・シャムロック
23:18 体固め 大阪ドーム
2001.11.03 PRIDE.17 ミルコ・クロコップ 5×3R 時間切れ 東京ドーム
   .12.31 INOKI BOM-BA-YE マイク・ベルナルド 3×3R 時間切れ さいたまSA
2002.11.24 PRIDE.23 田村 潔司 × 3R(10/5/5) 2R 1:00 KO 右フック 東京ドーム
全成績 打撃 極め技 判定
全成績 11戦3勝6敗2分 0勝2敗 3勝3敗 0勝1敗
対日本人成績 2戦1勝1敗 0勝1敗 1勝0敗 0勝0敗
対外国人成績 9戦2勝5敗2分 0勝1敗 2勝3敗 0勝1敗

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