90年代のプロレス史で最強は誰だったか?と問えば真っ先に名が挙がる一人である。
IWGPヘビー級王座にも輝く。
格闘技界にグレイシー一族の名が広がると、プロレスラーこそ最強と信じて疑わなかった者達は
「誰があのグレイシー一族を倒すのだろう」と期待と不安を隠さなかった。
その中でヒクソン・グレイシーに闘いを挑んだプロレスラーが、平成の格闘王と呼ばれていた高田であった。
多くのプロレスファンは高田の勝利を期待したが、格闘技に精通していた者の多くは高田の敗北を予想した。
そして運命の1997年10月11日は、高田の敗北によって日本格闘技界を大きく転換させた一日となった。
それがPRIDE.1であり、現在の日本の総合格闘技に大きく繁栄する事となったPRIDEの始まりである。
総合格闘家としては苦難の連続が続き、ファンから多くの叱責を浴びる事もあったが、
それは裏返せばプロレスラーに対する期待の表れであり、
そして高田延彦にかけるファンの期待がどれだけ高かったのかを示している。
現在は自身の経営する高田道場で後進の育成に励む傍ら、
総合格闘技界における中心人物としてPRIDE統括本部長の要職を担っている。 |