港太郎氏が死去。90年代にMAキックで活躍。山木ジムOBの山口元気氏・伊藤隆氏が追悼の言葉
MARTIAL WORLD PRESENTS GYM VILLAGE
センチャイムエタイジム錦糸町
最強のムエタイで最高の“美Body”を目指す!初心者の方、女性の方、大歓迎。見学無料!
90年代にマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(MAキック)のトップ選手として活躍した、元UKF世界&MA日本ミドル級王者の港太郎(本名・田代義治)・府中ムエタイクラブ代表が4月10日夜、多臓器不全のため死去した。46歳だった。
港氏は神奈川県出身、1971年9月21日生まれ。中学生時代にスーパータイガージムに入門してシューティング(現在の修斗)を学び、高校卒業後に山木ジムに移籍し、91年に山木ジムでプロデビュー。村上竜司、吉鷹弘、金泰泳、ラモン・デッカー、マンソン・ギブソンら国内外の強豪としのぎを削り、MA日本、UKF世界のミドル級王座を獲得した。
99年にキックを引退した後は総合格闘技に転向し、05年までリングス、パンクラス、DEMOLITION等に参戦し、北岡悟、中村K太郎らと対戦した(下写真は北岡戦)。12年に東京都府中市に府中ムエタイクラブをオープン。最近までプロ選手ともスパーリングをしていたが、4月に入ってから体調不良を訴え、10日に病院で息を引き取ったという。
山木ジムの同僚で1歳上の山口元気・REBELS代表は、港氏のフェイスブック上に「田代は、僕より後に入ってきたけど、とにかく真面目で練習の虫。どんなに遅くに行っても、田代はミットを持ってくれて本当に助けて貰った。プロというより、求道者でキックに対する姿勢が本当に尊敬していた」等と追悼の言葉を記した。伊藤隆RISE代表は11日のRISEの記者会見の直前に先輩の港氏の訃報を知り「田代さんが亡くなられたということで、まだ心の整理がつかないのですが、心より冥福をお祈りいたします」と話していた。(下写真は06年6月の山木ジム21周年記念興業 山木祭りの時のもの)
通夜は17日(火)18時~19時30分頃、告別式は18(水)10時より、日華斎場 行華殿 竹の間にて(東京都府中市多磨町2-1-1)。
REBELS.55 4月27日(金) 後楽園ホール大会では、第1部終了後に港氏を追悼する10カウントゴングが鳴らされる。会場ロビーでは生前使用していたキックパンツなどを展示。ファンがメッセージを書き込める色紙を用意し、遺族に贈呈される。