第1回K-1 GP優勝者・ブランコ・シカティックが死去。65歳
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1993年の第1回K-1グランプリ優勝者・ブランコ・シカティック氏が母国クロアチアで3月22日(現地時間)に死去した。65歳だった。
シカティック氏は1954年10月3日生まれ。12歳からテコンドー、16歳から空手を始める。キックボクシング転向後はオランダ、米国等でも活躍。93年に第1回K-1グランプリに参戦し、チャンプア・ゲッソンリット、佐竹雅昭、アーネスト・ホーストをKOし、初代王者となり、のちのK-1ブームの礎を築く。94年にはクロアチア紛争に参加するため一度引退し、97年にK-1で復帰。同年10月のPRIDE.1にもキックルールで出場。以降、PRIDEではMMAにも挑戦し、マーク・ケアー、モーリス・スミスとも戦った。以降は引退状態だったが、50歳になった05年にOYAZI BATTLE後楽園大会に出場している(下写真)。
同年11月のK-1 WORLD GP 決勝戦にもゲストとして来場した(下写真左4人目がシカティック)。
指導者としては96年、弟子であるミルコ・クロコップをK-1に送り込んだ。2000年代以降は母国で大会をプロモートし、17年にはパンクラスとK-1に選手を派遣し、17年11月のK-1 WORLD GP初代ヘビー級王座決定トーナメントでは弟子のアントニオ・プラチバットが優勝し初代王者となった(冒頭写真左がシカティック氏、右がプラチバット)。だが18年夏から、肺塞栓症、敗血症のために入院。日本からもドージョーチャクリキ・ジャパンを通じて募金活動が行われていた。
正道会館館長でK-1創始者の石井和義氏はTwitterに「93第1回K-1グランプリ王者、無名のダークホースの優勝から僕達のK-1はスタートした。無口な本物のサムライだった、早過ぎる!合掌 安らかに。」と追悼の言葉を投稿し、同GPの表彰式の写真を添えた。
ドージョーチャクリキ・ジャパンのノブ・ハヤシ館長からのコメントが届いている。(下写真は05年7月の来日時のシカティック氏とハヤシ。提供:ドージョーチャクリキ・ジャパン)
◆ノブ・ハヤシ「ブランコ・シカティックさんと初めてお会いしたときには、彼の眼光はとても鋭く、ほんまに怖い人だなって思いました。でも、その後に何度も会ううちに、本当は気が優しい人だとわかってきました。そして格闘技に対してはとても熱い人だと知るうちに怖さは尊敬の気持ちに変わりました。僕が白血病から復活したとき、優しい笑顔で喜んでくれたことを思い出します。また大好きなワインを飲んで、陽気に酔っ払った姿も最高でした。ブランコさん、あなたが居なくなってとても寂しいです。出来ればもう一度会いたかった。偉大なるK-1チャンピオン、安らかにお眠りください」