REBELS後楽園大会で港太郎追悼セレモニー。師匠の山木会長「皆さん忘れないでください。港太郎という侍がいたことを」
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4月10日に多臓器不全で46歳の若さで死去した元UKF世界&MA日本ミドル級王者・港太郎(本名・田代義治)府中ムエタイクラブ代表の追悼セレモニーが、REBELS.55 4月27日 後楽園ホール大会で行われた。
冒頭、山口元気・REBELS&クロスポイント代表(左端)は「山木ジムに僕、伊藤隆・RISE代表、ラビット関たちがいた頃、その中心にいたのは港太郎でした。内弟子で僕らのミットを持ってくれましたが、まさかこんなに早く死ぬとは思いませんでした。あれから同窓会とかも無く、会場でたまに会うぐらいで、亡くなって田代の大きさを噛み締めています。港太郎という偉大なキックボクサーがいたことを心にとめて欲しいと思い、追悼式を開きました。毎年4月に大会がある時は港太郎追悼記念大会としてやりたいです」と話した。
続けて、港氏の教え子の一人だった三上ヘンリー大智(左2人目)が挨拶。「先生は強くて優しくて謙虚で、とても人情味あふれる方でした。先生と出会っていなければ、剣道を辞めてキックにのめり込み、キックでプロを目指すことも無かったと思います。今年夏、先生と一緒にプロを目指す予定だったんですけど、白紙となりました。先生の偉大な成績を超える成績を私が残したいです。それが先生への恩返しになり、弔いになると思います。これからも三上ヘンリー大智、府中ムエタイクラブの応援をお願いします」と話した。三上は中央大学2年生の時の2016年に全日本学生剣道選手権大会で3位の成績を残したが、昨年17年2月に剣道を引退。アマチュアのキック大会で経験を重ねていた。父は日本人、母はブラジル人。
港氏の師匠である山木ジム(現・アルファボクシングジム)の山木敏弘会長(右上写真中央)は「彼はこよなくムエタイを愛し、キック道を極めました。彼は何かに憑りつかれたように、一心不乱にキックの練習に取り組んでいました。このような追悼式を実現してくれた山口元気プロモーターには感謝しています。今日来てくれた山木ジムの仲間たちは港と同時期に活躍した選手たちで、才能あふれた選手たちでしたが、その中でも港太郎は別格でした。彼は特別な存在でした。皆さん忘れないでください。港太郎という素晴らしいキックボクサーがいたことを。キックボクシングに人生を賭けた男がいたことを。港太郎という侍がいたことを。本名・田代義治、リングネーム・港太郎、みんな君に会えて本当に良かったと思います。ありがとう。安らかにお眠りください。押忍」と、弟子の功績を称えた。
港氏の父は「このような場を与えてくれてありがとうございます。義治は中学時代に格闘技に目覚め、91年にここ後楽園ホールでデビューしました。現役中には心より声援をいただきありがとうございました。ジムをはじめてからも、たくさんの方に来ていただきました。現役の頃は自分の全てを懸け、このリングに立っていました。好きなことに、ただただ一生懸命で、幸せな人生だったと思います。長い間応援してくださった方、引退後もお世話になった方、港太郎を育てて下さった山木会長、本当にありがとうございました。セレモニーを開催してくださった山口元気さん、ありがとうございました。集まってくださった皆さんありがとうございました」と感謝の言葉を述べた。
最後は港氏の父が港氏の遺影を持ち、追悼の10カウントゴングを聞いた。会場ロビーには港氏の写真と試合時のトランクスが飾られ、色紙には来場客が港氏へのメッセージを書き込んでいた。