上背こそ高くないが、「鋼の肉体」という言葉が遜色なく当てはまるモンスターだ。
UFCで1999年に第5代ヘビー級チャンピオンの座に就き、満を持してPRIDEリングに襲来したものの、
パッとした印象を日本のファンに与えられなかった。
というのも緒戦は総合格闘技歴1戦しかない小原道由に決め手がないまま判定勝利。
続く山本喧一、ムリーロ・ニンジャ戦で連勝したものの、クイントン“ランペイジ”ジャクソンに負け、
その年のPRIDEミドル級GPへの出場機会を失し、体重差で有利だったにも関わらず桜庭和志に敗北したからだ。
しかし、2004年、ウェイトアップを図りPRIDEヘビー級GPに参戦するや、
優勝候補の一角とされていたミルコ・クロコップを失神KOに沈め、
そのキャラクターとあいまって一躍日本での人気を勝ち得る。 |