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Report

k-1K-1 WORLD GP 2000 in 名古屋
7月30日(日)名古屋市総合体育館 レインボーホール

第5試合 スーパーファイト第1試合:金引退試合 
金 泰泳
(日/正道会館)
3R判定 2-0

30-29,30-28,29-29
スタン・ザ・マン
(オーストラリア/フィッツロイ・スタージム)
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「さらば、金泰泳 〜 K−1青春時代の終焉」

Text By 高田 敏洋 & 井田英登

 泰泳の歴史はK-1の歴史と歩みを重ねてきたと言って過言ではない。創成期以降のK-1において、中量級のトップとしてチャンプア・ゲッソンリット、オーランド・ウィット、イワン・ヒポリット、ポータイ・チョーワイクンら世界のトップに君臨する選手層と勝ち星の奪い合いを演じ、まさにK-1の名を世界に轟かせる一翼を担った名選手であった。
 しかしヘビー級の大男達の一撃KOに代表される「分かり易さ」にファンの目がシフトしていくのにつれ、徐々にK-1の中で軽中量級の比重は軽くなり、金の活躍の舞台はK-1以外の場所に求められるようになっていく。やがて2年半前のMAキックでの対港太郎戦を最後に金の勇姿は我々の前から消えてしまった。金自身はこの港戦を最後の試合と考えていたそうであるが、当時の金が実力のピークを越えていたというわけではない。むしろ脂の乗りきった、最も安定した爛熟期にさしかからんとしていた時期に、突然彼の姿が消えてしまったようなもどかしさを覚えたファンは少なくなかったはずだ。
 しかし、金自身はあくまでそれまでの闘いを、プロ格闘技選手としての活動とは考えては居なかったようだ。市井の空手家が現役生活を終えれば社会人として普通の生活に戻っていくように、金もまた「結婚すれば格闘技はすっぱり辞めて家業を継ごうと考えていた」というのだ。

 その後K-1 JAPANシリーズがスタートし、K-1の舞台を目指す若者たちはプロフェッショナルファイターを目指して正道会館の門を叩く時代がやってきた。石井館長を先頭に、佐竹雅昭や後川聡之、角田信朗らが一丸となって正道空手の有効性を世に問うた90年代の怒涛の日々は遠い過去となった。彼らにはプロ格闘技選手になるという明確な目標が有ったわけではない。ただ、自らの積み重ねてきた技術を試す場として石井館長に舵を任せた航路を辿ってきた結果、K-1という大舞台にたどり着いてしまっただけなのだ。いわば、遮二無二アメリカ大陸を目指してヨーロッパを後にした、大航海時代のフロンティアのようなものである。

 そして、あるものはK-1のリングを去り、あるものは後進の指導に当たるようになった。10年という一区切りが終わったあと、そこにはK-1という巨大大陸と世界から訪れた新たな選手達が群雄割拠する新世紀<ミレニアム>が待っていたのである。その荒波に洗われるようにして、かつての冒険者金泰泳もそのキャリアを終える日がやって来た。

 の名選手の引退に当たって、ふさわしい舞台をということで石井館長もいろいろなシチュエーションを提案したという。曰く、エキシビジョンマッチを、あるいは引退の10カウントだけをドームで、などいろいろなアイディアがあった中で、金はあえて「もう一回思いきり闘って、燃え尽きるために」と、あえてヘビー級のスタン・ザ・マンとのワンマッチを自分で選んだのだという。

 二年間近く現役生活を離れ、身体もすっかりなまった金にとってそれは余りに過酷な挑戦であったはずだ。しかし、それぐらい過酷な条件でなければ、燃え尽きることが出来ない、そんな熱い思いがまだ金の中にあったという意味でもある。その残り火を全て吹き飛ばしてしまうような、過酷な引退試合を選び取ったことで、金は自分の中の未練をすべて吹き飛ばしてしまおうと考えたのではなかっただろうか。そうでなければ、ファンもまた自分自身も、いつまでも若き冒険家金泰永の幻影を見続けてしまうことだろう。そんな気持ちを持ったままでは金も守るべき家族を支えることはできないだろうし、K-1もまたいつまでも90年代の創世記を振りきることが出来ない。

 金にとってこれは自らの青春時代に“けじめ”をつけるための通過儀礼なのだ。そしてそれはK-1における青春時代の終焉でもある。


重96kg、2年前から20kg前後も増えた金の体型は、「増やした」のではなく「増えてしまった」としか言いようのない変化を見せていた。2年以上前に既に現役を離れる意志を固めていたのであるから、この変化もやむを得ないところか。しかも相手は「日本人キラー」の異名を取るスタン・ザ・マン。「2 年半ぶりで、ヘビー級ワンマッチ形式でやるのは初めてやしね、スタンの身体見たときは(試合をやると言ったことを)ちょっと後悔しましたよ(笑)」
しかし試合が始まってみると、事前の予想通り、双方どちらも一歩も引かない真剣勝負に突入。とてもじゃないが「フィナーレを飾るエキシビション・マッチ」といった様相は感じられない。「練習仲間のパリス・バシリコスがホーストにKOされるのを見たりして、正直試合前に意気消沈しちゃった部分はあったよ。だけど俺は試合になったら相手に花を持たせることなんてしない、そういうことは出来ない性分なんだ」とスタン。
やはり金には全盛期ほどの技のキレはない。「もう半年あったらもうちょっと、1年あったら戻せるかもしれんけど、今の状態では、すみません、これが精一杯でした。」しかしスタンを中心に円を描くようにステップするその動きは往年の金のファイト・スタイルそのままだ。パンチを振るってくるスタンに、金の返しの右ローがヒットしたところでゴング。このラウンドはお互い警戒しあった感もありほぼ互角の展開。

(スタン-金 10-10、10-10、10-9)


タンがこのラウンドになって動き始めるが、金の距離感の取り方が絶妙。スタンのパンチの制空圏ギリギリ外側から、瞬間的にステップインしては右ロー、という動きを繰り返す。「インサイドに入って、奥脚を蹴って、戻って、それでまた一からスタートする、そういう作戦だったんです。」スタンが警戒して左脚を上げてブロックすると、今度は同じフォームから軸になる右脚をすくってバランスを崩す巧さも見せる。スタンのパンチも「いくつかコンコン貰ったけど」全体的には見えていたのでダメージは喰っていない。
「金先輩、いけるいける!」「右ロー効いてるよ!」アリーナ席から大声で声援を送るのは、武蔵、中迫ら正道会館の後輩選手達だ。流れに乗り始めた金を後押しするように、会場全体から手拍子まで沸き起こる。「周りの観客の声援も、ちゃんと聞こえてましたよ。」(金)

(スタン-金 9-10、9-10、10-10)


のラウンドに続いて、徹底した金の右ローが続く。スタンは「ほとんどブロック出来ていた」と語ったが、いくつか良い攻撃を貰ったことも敢えて否定はしなかった。「ラウンド数が5から3に減ったのも、金のスタミナがそれほどは保たないという(主催者側の?)判断があったせいだと思うんだが、実際試合が始まってみると、自分のモチベーションがどうにも上がらない、それでこっちの方が先に疲れてしまってた。」
金もかなりの汗を掻き、きつくなってきている様子は見えるが、何せかつて試合終了と同時に疲労困憊して昏倒、そのまま入院直行になるまで闘い続けたほどのファイティング・スピリットの持ち主である。この最後の試合の最後のゴングまで、その攻撃は途切れることなく続いた。「あかんかったらあかんかったなりの、脚一本奪うなり、脇腹ダメージ与えるなり、何かをしようと」そういった意志を後輩達に示したかった、と語った金は、こうして佐竹以外のどのジャパン勢にも勝ち星を渡したことのないスタンから、堂々の勝利を収めて有終の美を飾った。

(スタン-金 10-10、9-10、9-10)

「今は、スッキリさわやか。悔いは無いですね。」試合後インタビュールームに戻ってきた金はその言葉どおり、屈託のない笑顔を見せていた。「昨日は明け方五時くらいまで寝られへんかった。(睡眠時間は)4時間くらいですね。」
もうちょっと現役やってみたい、という気持ちはありませんか?と問われると、「うーん...」金はちょっと照れたような、困ったような笑いを浮かべた。
「正直ある言うたらありますけど、もう身体が言うこと聞かへんし。自分の中では、一区切りしたから...次の人生に向けて、出発します。」
 一言一言区切るように、しっかりとした言葉で、そして終始笑顔で、金は語った。
 「これまで、ありがとうございました。」

 同じ言葉を我々も彼に送りたい。
 さらば金泰泳、これまで素晴らしい試合をありがとうございました。

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写真:井田英登

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