1996年11月、レスリング・ワールドカップ グレコローマン 100キロ級 4位。
母国韓国では総合格闘技のエースとされ、重戦車のニックネームを頂く。
強靭な足腰の強さを持ち、相手を引っこ抜くように投げるスープレックスは釜山投げと呼ばれている。
1997年、レスリングを引退しレスリングジムを開設。
韓国からPRIDE集団観戦ツアーで訪れた際に、偶然エメリヤーエンコ・ヒョードルのデモスパーの相手を任されると
脅威の力で抵抗を重ねた事が評価されPRIDE参戦する事となる。
技術に関して言えばまだまだ荒削りな面も多いが、PRIDE.28のソア・パラレイ戦では
信じられないような打たれ強さで逆転勝利するなど、不屈の精神力を感じさせる。
サタデーナイトフィーバーのポーズはもはや彼の代名詞となっている。 |