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(レポ&写真) [やれんのか!] 12.31 埼玉:三崎×秋山は無効試合に

やれんのか!大晦日!2007実行委員会, M-1 GLOBAL, FEG, DEEP事務局 "やれんのか!大晦日!2007 supported by M-1 GLOBAL"
2007年12月31日(月) 埼玉・さいたまスーパーアリーナ  観衆:27,128人(超満員)

  レポート&写真:井原芳徳  コメント編集:木佐木昭  【→カード紹介記事】 【→掲示板・M-1グローバルスレッド】


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第5試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
三崎和雄(GRABAKA/PRIDEウェルター級(83kg)GP '06優勝/84.9kg)
秋山成勲(フリー/HERO'Sライトヘビー級(85kg)トーナメント'06優勝/84.9kg)
1R 8'12" ノーコンテスト

※当初、三崎のKO勝ちとの裁定が下っていたが、秋山陣営の抗議が受け入れられ、ノーコンテストに裁定が変更となった。1月22日の変更発表文はこちら。(以下のレポートは1月3日に書かれたものです)

 会場で流された佐藤大輔ディレクター制作の紹介VTRは、秋山が去年の桜庭戦で体に塗っていたローションのボトルの映像を織り交ぜつつ、秋山のある種の悪魔性を強調するような内容。秋山の入場テーマ、サラ・ブライトマンの「Time to say goodbye」が清らかに場内に鳴り響き、秋山が姿を現すと、会場を埋め尽くしたPRIDEファンからは大ブーイングが巻き起こる。いつものように秋山が舞台上でセコンドと一緒に正座で一礼するシーン、リング上でアナウンサーが秋山をコールするシーンでもブーイング。対照的に三崎には大きな声援が飛ぶ。ファンの声の大きさと一体感は、次の試合に登場したヒョードルに対する声援よりも大きかった。秋山は三崎の入場中に道衣を脱ぎ、審判のボディチェックを受ける。開始直前、三崎が秋山の手をはたき握手を拒否するが、秋山は一礼。背景のストーリーを抜きにして、入場からの行動だけを見れば、殺気むき出しの三崎のほうが悪役に見えてしまう。

 試合はスタンドオンリーの展開に。リング中央で構える秋山に対し、三崎はいつもどおり遠い距離でシャドーボクシングのような動きをしながら攻撃のチャンスをうかがう。三崎は空中で自転車をこぐようなトリッキーなステップでフェイントをかけてから、秋山の前足にローを集中する。秋山はローをもらっても動じず、右ロー、右ストレート、左フックを着実に当て応戦する。

 どちらもタックルに行く気配が無いまま6分が経過し、ようやく試合が動く。秋山が左ジャブ、右ローと攻撃を散らした後、すぐさま素早い左右のワンツーストレートを命中。三崎がダウンし秋山が追い打ちをかけようとすると、場内は悲鳴と三崎コールに包まれる。「意識は飛んでいた」という三崎だが、足を使ってうまくガードポジションとなり、回復すると蹴り離してスタンドに戻すことに成功。ダウン前までと全く同じ攻防に戻る。

 均衡状態が続き、秋山は右、三崎は左のパンチを当てる場面が増え、1Rも終盤に。普通の選手でも集中力と体力がキツくなる時間帯であるが、秋山は06年3月の石澤戦(5分2R制)の2R 1分41秒が過去のキャリアでの試合最長時間で、7分以上は未開ゾーンとなる。対する三崎は長丁場の経験は豊富。その差が勝負のポイントになるのではと戦前に予想する声もあり、実際その差が出たかどうかは定かではないが、8分過ぎ、勝負の時が訪れることに。

 三崎は一瞬サウスポーに切り替えてからオーソドックスに戻すと、左ボディブローを秋山に命中。すると次は踏み込んでの左フックを秋山のあご先にヒット。カウンターで左フックを振っていた秋山は真後ろに尻餅をついてダウン。とはいえ目は死んでおらず、ダウンの悪印象を消そうとばかりに、すぐに立ち上がろうとしたが、逆にこれが裏目に。両手をマットから離して立ち上がろうとした瞬間、三崎のサッカーボールキックを鼻柱にもらってノックアウト。ロープ際まで吹き飛んで仰向けになった秋山に、三崎が追い打ちのパウンドを仕掛けようとしたところでレフェリーが制止し、決闘に終止符が打たれた。

 やれんのか!のルールは、体の4点以上がマットについた状態をグラウンド状態とする点はPRIDEルールと同じだが、PRIDEと違い、グラウンド状態の相手へのサッカーボールキックは禁止となる。三崎が右の蹴り足をマットから離した瞬間、秋山はマットに両手両膝をついたグラウンド状態だった。しかし、蹴りが鼻に当たった瞬間はマットから両手を離したスタンド状態になっている。ルールに無かった反則で騒動を起こした男が、1年後、反則スレスレの攻撃でKO負けを喫するという、“因果応報”ともいえるドラマチックな結末だった。

 秋山への“制裁”と大逆転勝利に成功した三崎に、PRIDEファンは総立ちでこの日一番の大歓声。10年前のPRIDE.1でメインを務めた高田延彦やれんのか!統轄本部長もリングに上がって三崎と抱き合い、平手打ちで激励した。

 試合決定以降、秋山への挑発発言を封印していた三崎は、秋山に勝利すると、堰を切ったようにマイクアピール。まず「秋山!」と呼び捨てにすると、「お前はたくさんの人と子供たちを裏切った。俺は絶対に許さない」と痛烈に批判する。しかし続けて出てきた言葉は一転、「でも今日は試合してお前の気持ちが俺にも届いた。だからこれからはリングの上でたくさんの人と子供たちにお詫びと誠意の気持ちを持って戦ってほしい」とエールを送る内容に。昭和の大映テレビ系ドラマのような急展開にどよめく観客も少なくなかったが、秋山の“みそぎ”が済んだと感じとったであろう観客からは拍手も起こった。

 さらに三崎は「柔道最高!」と秋山に代わって叫び、「日本人は強いんです!」とPRIDE時代からの決めセリフを叫ぶ。そして最後、「PRIDEを10年間愛してくれた皆さん、ありがとうございました」と話しマイクを締めくくった。

 試合後、秋山は病院に直行し、鼻骨骨折および左膝内側側副靭帯損傷と判明。陣営は三崎のサッカーボールキックを反則だと抗議した。秋山をやれんのか!に派遣したFEGの谷川貞治代表は、ビデオで検証するとしつつ、秋山のホームとなる6月のHERO'S韓国大会での両者の再戦をプランとして掲げている。

◆三崎「(どういう気持ちで戦いましたか?)試合をできない重圧の中で練習をしてきて、誰にもその悩みを言えず、リングに上がってもその重圧が抜けず、戦いが始まっても重圧で意識が無く、意識が戻ると魂で戦っていました。(パンチでダウンしましたが意識はありましたか?)意識があるように見えましたか(笑)。意識は飛んでました。(秋山選手にブーイングがありましたが?)ブーイングが起きてたんですか?歓声だと思ってました。(フィニッシュは?)自然の流れでした。
(試合後、秋山選手にメッセージを送っていましたが?)直接目を見て伝えたかった事を、彼に伝えたいという気持ちがあった。リングで向かい合った時、戦う中で魂が伝わった気がして、もう一度この男をリングに呼び戻さないといけないと感じました。(「柔道最高!」と言っていたが?)僕も柔道をやっていたので、そういう意味も込めての「柔道最高!」でした。また、子供たちにもそう伝えたかった。(今改めて秋山選手への想いは?)ここで交わったのも何かの縁だから、また会って話しをしたいですね。まぁ、向こうがそうしたいか分からないですけどね。(リング上で向かい合ってみてどうだった?)恐かったです。それが僕の攻める気持ちを躊躇させたのかも。
(今後戦う場所は?)これからの方向性としては、その時自分の行きたい方に行きたいです。色んな垣根があると思いますが、自分は格闘家なので、本能でそのリングに行きたいですね。海外とかも関係なく。」


第6試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア/レッドデビル/PRIDEヘビー級王者/106.5kg)
×チェ・ホンマン(韓国/フリー/165.0kg)
1R 1'54" 腕ひしぎ十字固め


 元々、ヒョードル戦は今大会のメインイベントだったが、TBSの中継枠の都合上、第8試合から第6試合に繰り上げて行われた。
 開始すぐ、組み付いておおいかぶさった巨大なホンマンを、ヒョードルが下から腕十字でつかまえる。だがホンマンは強引に腕を振り脱出してしまう。しかし再びヒョードルが下になって腕十字をトライすると、今度はきっちり極まりホンマンはタップ。ヒョードルがマイクを持ち「これからも日本で試合をすることを約束します」と話すとファンの喝采を浴びた。

◆ヒョードル「(テイクダウンされたが?)かなり力も体重もあった。2回目はロープが邪魔して投げれなかったのが原因。(顔に大きな赤アザができてますが?)彼のパンチを受けた記憶はない。腕十字を仕掛けた時にマットに擦れたんだと思います。(やれんのか!は今後も続くのか?)M-1グローバルとしては事業を引き継ぐのだと思います。(M-1は日本では?)春頃に行われるのでは?(具体的に誰か戦いたい選手は?例えばランディ・クートゥアとか)クートゥアとやれるのは光栄なことです。現在交渉中でいずれ戦うと思います。(次戦はいつ?そして2008年は何戦を予定?)次は2月後半か、3月にアメリカでの予定。今年は3〜4試合を予定しています。」

◆ホンマン「(感想は?)準備期間が短く残念だった。(また総合の試合はやりますか?)機会があればやりたい。思ったより面白かった(笑)。(2回トップポジションを取ったが?)緊張していて覚えてない。シルム(韓国相撲)をやっていたので自然とそうなったのかも知れない。(これからも総合を続けるなら戦ってみたい相手は?)ヒョードル。もう一度。(これからのプランは?)2007年はたくさん試合をしたので、1〜3月まで休んで、4月に試合がある予定なのでそれに出ます。」

第8試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
青木真也(パラエストラ東京/修斗ミドル級(76kg)世界王者/69.7kg)
×チョン・ブギョン(韓国/チーム・ユン・ドンシク/69.8kg)
判定3-0 (大橋=青木/ヒューム=青木/足立=青木)


 ヒョードル戦の繰り上げ実施で、自動的に大会のメインイベントとなったのがこの青木戦。J.Z.カルバンの代役で急遽エントリーしたブギョンは柔道シドニー五輪銀メダリスト。練習仲間のユン・ドンシクが「彼の腕十字を見れば世界が驚くだろう」と試合前に評していたが、腕十字を得意とするドンシクの評価がここまで正確だと誰が予想しただろう?
 開始すぐ、ガードポジションから素早く青木の腕を捕まえチャンス。1R中盤と合わせ2回腕十字で青木を極めそうになる場面があった。青木は伸ばしきられる直前に脱出すると、再三アキレス腱固め等の足関節技を狙うが、ブギョンは防御の面でも卓越したセンスを発揮する。
 1Rは完全に劣勢だった青木。2Rは確実に勝ちに行く戦略を取り、間合いを詰めて上になると、まずはきっちりとパスガード。そしてマウントに移行するとパウンドの連打でブギョンをTKO寸前まで痛めつける。残り1分を切ってからの腕十字は極められなかったものの、与えたダメージ差で勝利。事実上のPRIDE最後の試合を辛うじて白星で飾ることに成功した。

◆青木「(2回腕十字で危ない場面があったが?)並の選手ならあれで極まっていたが、瞬間で逃げた。1回目の方が深かった。(ブギョンについて)気持ちが強かった。もっとキャリアを積めばもっといい選手になれる。(試合順の変更で急にメインになったが?)それも4月からのゴタゴタも含め、メンタル的に強くなれた。(開会式の時、涙ぐんでいるように見えたが?)声援が聞こえて、本当に待っていて良かったと思った。(今後は?)まずはカルバンと3月。(修斗に出る予定は?)空気読んで下さい(苦笑)。オファー自体がないので予定はありません」

◆青木戦をリングサイドで観戦したカルバン「(足の怪我は?)前回9月のHERO'Sの前から怪我はしていた。試合と練習を行う中で半月板を損傷した。3週間後に手術する。関節内視鏡手術という簡単な手術なので、朝手術すれば夕方には退院できる。(12月5日に既に手術したという噂が流れているが?)その日はMRI検査をして、手術が必要だとわかっただけだ。(青木戦の感想は?)対戦相手が急に変更されて、戦略や気持ちの入れ替えなどの準備が大変だったんだろう。彼はもっとやれる選手だ。(青木との対戦の可能性は?)3月15日のHERO'Sで戦えると聞いている。」

◆ PRIDE終結。夢の続きは桜咲くころ?

 PRIDEの名称・ロゴ・映像・音源等が使えない中行われた、事実上のPRIDEの最終興行「やれんのか!」だったが、審判団・アナウンサーはPRIDEと同じのため、映像・舞台製作陣がPRIDEの様式美をほぼ忠実に再現することに成功。開会式前のルール説明、レフェリー・ドクター紹介の時点で、熱狂的なPRIDEファンのボルテージは高まっていた。恒例の島田レフェリーへのブーイングでさえも、目一杯ブーイングができるファンの喜びで満ちているように聞こえた。

 さすがに「ダン!ダン!ダダン!」でおなじみのPRIDEのテーマは流れなかったが(閉会式後の会場解体作業中には流されていた)、フジテレビ中継のテーマ曲だったレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ゲリラ・ラジオ」がその代わりの曲となり、PRIDE的な重厚感を演出する。男祭りの風物詩・高田本部長の和太鼓伴奏も健在。試合のインターバルや試合後に流れる曲は、メロディが若干違う程度で、コード進行やアレンジはほぼPRIDEと同じだ。そしてPRIDEの世界観の支柱ともいえる、佐藤ディレクター制作の紹介VTRのクオリティも、PRIDEと変わらない。

 PRIDEの強さの象徴であったヒョードルの紹介VTRで使われた曲は、ビートルズの「フリー・アズ・ア・バード」。30年近い時を経て、故ジョン・レノンの未発表音源を残りのメンバーたちが再編集して作った曲だ。ジョンのいないビートルズと、PRIDEの名称を使えないPRIDEのイメージを重ね合わせた粋な演出だった。

 VTRの最後には「Final Dream Stage」の文字。かつてのライバル番組・TBSのDynamite!!の生中継の時間枠の都合に振り回され、ヒョードル戦は急遽第8試合から2試合繰り上げ行われたため、本当の最後の紹介VTRとならなかったところに、末路の哀しみを感じた。だが、三崎×秋山の後の休憩中、ヒョードル戦の試合順繰り上げが突然発表された際は、「我々に地上波が戻ってまいりました」と朗らかな場内アナウンス。PRIDEは散り際まで強気な自尊心を失わなかった。

 誇りの花は散っても、夢の樹は残る。新年のカウントダウンの後、リングの上方からは「桜咲くころ、夢の続きを…」「今年もやれんのか!」の垂れ幕が現れ、閉会式後にアナウンサーは「桜が咲く頃、皆さんとまたお会いしたいと思います」と叫んだ。青木戦の前にリング上で挨拶したM-1グローバルのモンテ・コックス代表は「2008年に日本で開催されるM-1グローバルを楽しみにしていて下さい」と話し、青木と対戦予定だったカルバンは、3月15日のHERO'Sで青木と戦うと明言した。

 資金・選手派遣・地上波中継等でやれんのか!を全面バックアップしたFEGの谷川代表は、Dynamite!!翌朝の元旦の大阪で「さいたまチーム(やれんのか!)といいチームワークでできたことがうれしい。今後も一丸となって日本の格闘技を盛り上げたい。3月の大会からが始まり」「HERO'Sの名称を変えてもいい。(旧PRIDE系を)吸収ではなく新しいものを作っていきたい。新党結成という気持ち」と語った。

 カルバンが明かした次回HERO'Sが開催される日の10日前の3月5日には、吉田秀彦らが参戦する「戦極」が旗揚げする。今回のやれんのか!には戦極サイドから瀧本誠が参戦したが、戦極と「大連立」陣営は、対立はせずとも、一定の距離を保ち続けそうな気配で、谷川氏の「3月新党結成」構想もその流れを意識したものでもあるといえよう。

 PRIDEファンには谷川氏やHERO'Sへのアレルギーが強いファンもまだ多い。戦極もイメージ戦略でPRIDE色を打ち出しつつあるが、PRIDEファンの大半はまだ様子見といった雰囲気だ。いまでも27,128人の超満員を集められるPRIDEというコンテンツの支持者を、どれだけ取り込むことができるかが、2008年の日本の総合格闘技市場のキーポイントとなるだろう。世界規模で見ればUFCの勢いは留まるところを知らない。桜が咲く前、アメリカで旗揚げするM-1グローバルの成否も気になるところだ。
 

第4試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
石田光洋(T-BLOOD/70.1kg)
×ギルバート・メレンデス(米国/ジェイク・シールズ・ファイティング・チーム/ストライクフォース・ライト級(70kg)王者/70.3kg)
判定3-0 (都鳥=石田/三宅=石田/小林=石田)


 石田が持ち前のタックルでしぶとくメレンデスに食らいつき、目まぐるしくグラウンドで攻守が入れ替わる展開に。背中からオンブでしがみつく石田をメレンデスが頭からマットに叩き付ければ、石田もリフトでメレンデスを頭から叩き付け返す。一進一退の豪快ファイトで場内を沸かせる。
 2R、またも石田は叩き付けられ下になるが、片腕でメレンデスの腕を絡め取り肘を伸ばすと、メレンデスは苦痛の表情を浮かべる。結局それは外され膠着状態が続き、両者に大差の無いまま試合は終了。とはいえメレンデスには石田を追いつめるような攻めは無く、結局石田のアームバーが勝敗の決め手となった。
 試合後、石田は涙を浮かべてマイクを持つと「みなさん、帰ってきました。ただいま」とファンに挨拶。会場は暖かい拍手で包まれた。

◆メレンデス「(感想は?)また石田選手と再戦したいです。できるだけ早いうちに。」

第3試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
瀧本 誠(吉田道場/81.9kg)
×ムリーロ・ブスタマンチ(ブラジル/ブラジリアン・トップチーム/83.0kg)
判定2-1 (大橋=瀧本/ヒューム=ブスタマンチ/小林=瀧本)


 1R、ブスタマンチが下から腕十字や足関を狙いつつ、たびたびバックやマウントを奪うなど優勢。だが再三のピンチを凌ぎ続けた瀧本は2R、スタンドで右左のフックを連打で当てブスタマンチをダウンさせる。その後上になってから攻めあぐねてしまったが、この攻撃が決め手となり見事金星を奪うことに成功した。
 この日、外国人強豪から金星を奪えた石田と瀧本に共通していたのはコンディションの良さ。大晦日へのモチベーションの高さも作用しただろうが、PRIDE休止による長期欠場期間中に、体をオーバーホールできたことが良かったのではないかとも思えた。

◆瀧本「(作戦は?)特に無かった。とにかくぶつかって行こう思っていた。途中で寝技では勝負できないと思って、スタンドで戦った。(ダウンを奪った手応えは?)なんで相手が倒れたのか分からなかった。相手が倒れた後もただガムシャラに行きました。(腕十字を取られて危険でしたが?)形には入っていたが、ポイントがずれていて極まる気はしなかった。(今年はどういう一年でしたか?)格闘技界が政治みたいになってて…、。でもまぁ個人的には2試合とも勝って良かったです。」

◆ブスタマンチ「(敗因は?)瀧本選手は私をダウンさせたし、勝利に値する戦いをしたが、判定に持ち込んだのが裏目に出た。2Rに入った時点で守りに入らず攻めて行ったのが、ダウンを奪われる事に繋がってしまった。」

第2試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
川尻達也(T-BLOOD/70.8kg)
×ルイス・アゼレード(ブラジル/シュートボクセ・アカデミー/70.9kg)
判定3-0 (三宅=川尻/足立=川尻/ヒューム=川尻)


 川尻が両ラウンドテイクダウンに成功し、トップポジションから右のパウンドを的確に当て続け攻勢。アゼレードも下からの蹴り上げや腕十字狙い、時にはバックを取る場面もあったが、川尻は対処し大きなピンチは無し。とはいえパウンドを多く当てた割にはTKOへの詰めが足りず、念願の復帰戦はやや苦い内容となった。

◆川尻&石田・共同インタビュー
−−試合の感想は?
川尻「納得していない。ただ勝ったっていうだけですね。」
石田「今は何も分からないです。とにかく頭が痛いです。」
−−(石田の)顔がキズだらけですが?
石田「ガード上だったんですけどパンチをもらい過ぎて、それが悪かったです。大会パンフレットに掲載されていた勝敗予想で、自分が負ける予想が多かったので、その予想をした記者さんたちに、ざまぁみろ!って言いたかった。(場内一同笑)」
−−一年ぶりの試合でしたが?
川尻「いまいちハジケられなかった。まだ攻めに躊躇していました。フワフワとして、リキんでいました。デビュー戦のような感じで緊張しました。」
石田「リングに上がった時、こんな感じだったかな?と思った。相手が強い選手だったので、ボコボコにされて病院送りにされるかもと不安でした。」
−−今後は?
川尻「日本の格闘技界をもう一回緊張感のある舞台にしたいです。」

◆アゼレード「(感想は?)非常にいい試合ができた。(かなり痛々しい顔になっていますが?)練習時の方がもっとダメージを受けているので、これくらいなんともない。(川尻選手の良さは?)グラウンドに持っていく技術に長けていた。」

第7試合 1R10分・2R5分(インターバル90秒)
桜井“マッハ”速人(マッハ道場/76.0kg)
×長谷川秀彦(SKアブソリュート/DEEPウェルター級(76kg)王者/76.0kg)
判定3-0 (大橋=桜井/三宅=桜井/小林=桜井)


 マッハが左右のフックや膝蹴りを当てると、それを嫌った長谷川が組み付いて倒れ込んで防御し、マッハが攻めあぐねて立ち上がり、スタンド勝負に戻るという展開の繰り返し。潰しきれないマッハ、悪循環を打開できない長谷川の攻防は次第に単調になり、場内は静まり返る。三崎戦・ヒョードル戦等の熱狂で疲れた観客の中には、夜11時を過ぎ、眠りこける人の姿もちらほら。圧勝だったマッハも煮え切らない表情のままリングを降りた。

◆長谷川「(感想は?)強いんだろうなと思ったら、やっぱり強かった。体が強かった、生き物として。(念願の舞台でしたが?)きもちいいですね。公開記者会見なども楽しめました」

第1試合 5分2R
×ローマン・ゼンツォフ(ロシア/レッドデビル/104.3kg)
マイク・ルソー(米国/チーム・エクストリーム/112.8kg)
1R 2'58" 前方裸絞め


 ルソーがタックルで上になると、あっさりとサイドポジション、上四方を取り、チョークを極め、危なげなく完勝した。

◆ルソー「(勝因は?)相手が立ち技中心の選手だったので、寝技で行こうと決めていた。極め技はノースサウスチョークという名前の技で、2ヶ月前から練習で色んな相手試していた。」

◆ゼンツォフ「(敗因は?)もっと華のある試合を見せたかった。試合一週間前の急なオファーで、ヒョードルとも練習できず、準備不足だった。」


Last Update : 01/03 14:45

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