世界選手権代表獲得
和田貴広インタビュー


  1. 代表選考会を振り返って
  2. 減量と膝の怪我について
  3. 「もう悩み無いですよ」


予選決勝・川鍋戦−−日本での試合は10月末の国体 以来ほぼ半年ぶりだったわけですよね。そのまえのアジア大会のプレーオフ 見てるんですけど、すっごい調子悪そうだったじゃないですか。

「悪いでしょ。バテバテで。レスリングになってないでしょ。」

−−勝つには勝ったけどどうしたんだろう?て感じで見てたんですけど。

「うーん、もう、限界でしたね、あれが。今回の試合と全然違うでしょ?勝ちたいんだけども、試合やる前から時間が経つにつれてバテる、て分かってるから。勝とう、て意識だけが強くて。で、勝ち急いじゃって。練習通りのことをやらないもんだからすぐバテて。」

−−それって、やっぱり減量がキツくて?

「うん、そうですね。」

−−減量がきつくなったのはいつぐらいからなんですか?

「大学2年生の時に62キロに上げたんですよ。4年生の時にはもう団体戦とかは68で出てましたから。それでもそこそこやってたし。元々脂肪がないから減量はきつかったんですよ。あんまり楽じゃなかったんです。アトランタオリンピックの時もきつかったですね。楽じゃなかったですね。」

−−体脂肪率は8%とか9%とか?

「一回、挟むかたちの測定で4%とかありましたね。もう挟めないんですよ。それで、何キロ減量するのか聞かれて答えたら『無理がある』と言われましたね。」

−−階級を変えようというのは、本当はいつぐらいから頭の中にちらついていたんですか?

「アトランタオリンピックが終わったときに、レスリング辞めようかと思ってて。セルゲイ に説得されて、続ける、て決めたんです。セルゲイに『続けるんであれば68でやりたい』て言ったんですけど、『68じゃ厳しいから、まだ63でやれ』と言われて。そのとき自分の意見を通して68に上げても良かったんですけど、どうしてもやっぱり63が、セルゲイの言うことが正しく全部聞こえて。上げたかったんですけどね。」

−−去年の世界選手権 、無理な減量もあってきつかったんじゃないですか?

「そうですね…きつかったし…世界選手権は…イランですよね…風邪ひいてたんだ。またです。本当に抵抗力無くなったというか、ひきやすくなっちゃって。風邪かな、と思ったときに、ひきはじめすぐに分かるんで、ビタミン剤とか補給するんですけど結局風邪ひいちゃうんですよ。」

−−少なくとも、減量すると風邪をひきやすくなりますよね。

「そうですね、やっぱりね。栄養足りないから。食ってないし。」

−−じゃあ、アジア大会のプレーオフの頃はもう『階級どうしようかな?』て結構思ってました?

「いや、63で行くんだな、と思ってましたね。減量はしょうがないな、と。もうずっとだったから。上げたいとは思っていましたけど。」

−−国体の時は?

「キツイと思ってましたけど。国体くらいは来年は69で出してもらおうかと思ってましたけどね。」

決勝リーグ・天谷戦

−−国体で膝を痛めたんですか?

「膝はもう、去年の7月くらいですかね。菅平 で。パキンと音がして、それからもう全然練習できなかったですね。」

−−音がするんですか?

「パキンと音がしたんですよ。あのスキー場になるところの上の草っぱらで相手と打ち込みやってたんですけど、パキンと音がして、そこから担いで降ろしてもらって。もう曲がらなかったんです。結局それで、この前手術したんです。半月板だったんですけど。」

−−膝は2,3回手術してますよね。

「左が2回、右が1回です。」

−−怪我だけじゃなくていろいろ状況が苦しかったと思うんですけど、それでもレスリングを続けるモチベーションが保たれているのはなぜ?

「僕、もう何回もありましたよ。もうダメかなあ、と思うの。だからもう、シドニーは僕、最後だから何とかやってやろうという気持ちありますけど。最後だから、と思うから。」

−−膝の状態は国体でさらにひどくなったんですか?それとも、その前からかなり?

「国体、ひどかったですね。痛かったですね。やっぱり走れないから総合的な体力が無くて、やれない練習が多くて。ランニングだけは欠かさずやりたかったんですけど。すごく不安でしたね。」

−−試合に出ても自信がないし、結果的に勝ててもちょっと納得がいかないという状況?

「勝たなきゃいけないし、でもこの状態じゃいい試合もできないし。」

−−勝って当たり前だったんですもんね。

「去年、和歌山(県庁)に入ったばっかりじゃないですか。入った年くらいなんとか勝ちたいですからね。入ったは入ったでなにも結果が残せないようじゃ怒られちゃいますから。」

−−それから手術して、69キロ級で全日本にエントリーしましたね。69に、というのは、どこで踏ん切りをつけたんですか?

「日露戦あたりでもう69に上げようかと思いはじめてはいましたね。プレーオフに勝ってアジア大会決まって、でも膝が痛くて練習できないから。本当に階級を上げるんだったらすぐ上げて、膝をまず治して、どうしてもまず筋力を戻して、4月の全日本選抜に備えようと思ったんですよ。アジア大会に出て63で結果を残すよりも、オリンピックが最終的な目標なんだから。オリンピックを中心に考えて、アジア大会を辞退してすぐ69に上がろうと思ったんですよ。だから高田先生 にアジア大会を辞退したい、そして69に上がりたい、と伝えて。結局、69では全日本 出ませんでしたけどね。膝がまだ間に合わなかったんで。だから今回、シード権の無い一番下から出なきゃいけなかったし。でも良かったですよ。勝ったからいえますけどね、こんなこと。」

−−やっぱり、体調は全然よいですか?

「いいですよ。最高ですよ。勝ったから言えますけどね。」

カップ返還−−日露チーム戦の時セルゲイに相談したりしたんですか?

「いえ、何も。63でアジア大会出るとか、頑張れとか。その程度の話はしましたけど。アジア大会を辞退したあと、国士舘の子がセルゲイに電話したとき『和田コーチは辞退した』て言ったら、がっかり、というか『馬鹿なことしたなあ』というようなことを言っていたらしいです。63でやらなきゃだめだ、ということなんでしょう。」

−−セルゲイは『63じゃないと』という思いがあるんですね。

「今でもそう言いますからね。このあいだセルゲイから電話があったんです。選抜で勝ってから初めてだったので『日本で優勝しておめでとう』て言ってもらいました。でも、『最後だから63でやったらどうだ』て言われて。いや、それだけはもうねえ。ああいう思いしたくないですから。あんなキツイ思いしてそこそこの結果出すより、69で思い切って1回戦で負けた方が気分いいですよ。」

−−日本のレスリングだけ見てるとあんまりピンとこないんですけど、ビデオとかで外国の試合を見ると、かなり頭脳戦であるという印象を受けます。詰め将棋みたいな感じで。そうなると、無理な減量などで試合中に集中力が欠けやすい状態というのはすごくマイナスだと思うんですけど。

「そうですね。駆け引きみたいなことは大事ですね。日本の選手は苦手かもしれませんね。何も弱い選手に全部自分をさらけ出すことないし。弱い選手が相手のときには弱い選手なりの勝ち方、ていうのがあるから。スタミナがない選手もいるし、いろんなタイプの選手がいるから、それに合わせたやり方というか、戦術を覚えた方が効果的でしょうね。」


3. 「もう悩み無いですよ」→→