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'99 天皇杯全日本選手権レスリング選手権大会 −総評− / [大会表紙に戻る]

王国復活の日は来るのか


 
開会式

 11月29日、午後4時過ぎ。天皇杯レスリング大会全日本選手権、決勝戦最後の試合が始まった。フリースタイル76kg級の決勝戦は小柴健二(自衛隊体育学校)と小幡邦彦(山梨学院大学1年)の組み合わせだった。前日に太田拓弥(和歌山県教育庁、アトランタ五輪74kg級銅メダル)が茨城・霞ケ浦高校教員時代の教え子でもある小幡邦彦に破れていた。フリー76kg級は、太田の復帰以来、太田と小柴の二人の争いとして常にトップの座がかけられている。試合前の予想としては、十中八九、99年世界選手権代表の小柴が勝利すると見込んでいた。
 確かに小幡は、昨年、高校三年生ながら全日本選手権4位に入賞している。ジュニアの世界選手権でも3位に食い込んでいる。学生の大会では失ポイント0の記録を更新している。高校時代はスーパー高校生といわれ、現在も学生の中では「別格」に扱われている。しかし、それはあくまでも「ジュニアのなかでは強い」という限定付きの肩書きであった。

 現在、日本のレスリングの勢力図は、全日本クラスのシニアと、本来はシニアの年齢である大学生との力量の差が開く一方となっている。実際、99年の世界選手権でも学生代表はグレコ130kg級の鈴木克彰(拓殖大学4年)ひとりきりだった。全日本チームの合宿にパートナーとして大学生が来るのを何度も目にしているが、合同練習を見る限りにおいても代表選手と大きな力の差があるのは明らかだった。その力の差は、学生の中で飛びぬけて強いといわれる小幡邦彦についても例外ではなかった。「あの年齢にしては筋力はすごいけど、技術を知らないから。下手なんじゃなくて、知らないね。」全日本クラスの選手からそう評されていた小幡は、実際にジュニアの世界選手権で好成績を修めて帰ってきても、10月末の熊本国体では太田拓弥に惨敗していた。

 99年の世界選手権代表は、96年のアトランタ五輪当時の全日本主力メンバーがほぼそのまま残っている。フリーでは69kg級・和田貴広(当時は62kg級)、85kg級・川合達夫(当時90kg級)、グレコでは58kg級・西見健吉、76kg級・片山貴光、85kg級・横山秀和(当時はフリー80kg級)がアトランタ五輪出場者だ。このメンバーのうち和田、片山、横山が同じ1971年度生まれなのだが、今年の世界選手権代表で彼らより下の年齢は、全16階級中四人しかいない。これほど平均年齢が高いナショナルチームは、世界中を見渡してもなかなかないだろう。よその国の代表選手を見ると、飛びぬけて強い選手を除いて主力は二十代前半となっている。二十代後半から三十代前半が主力の日本代表は、異常な事態と言っても過言ではない。しかし、日本での代表選考会で、その肝心の二十代前半の選手たちは、ベテランをどうしても負かすことが出来ない。そして、負けることを受け入れてしまっているような態度を示す。
 しかし、この日はちょっとした変化がそれまでの試合結果から現れていた。まず、グレコ63kg級決勝。平井満生(日本体育大学4年)が元木康年(自衛隊体育学校)をしりぞけ、一年間明け渡していた全日本トップの座を取り戻した。そして、グレコ85kg級では松本慎吾(日本体育大学4年)が横山秀和(秋田経法大附高教)をようやく下し、初めて代表権一位の座を手にした。それ以外にも、フリー63kg級の決勝は1976年生まれの宮田と伊東が争うなど、第一線の争いをする選手が今までに比べて若返っているらしいことを思わせる動きはあった。しかし、それでも、他の国の代表は、20歳そこそこで代表を勝ち取り、シニアの大会で互角以上の戦いをし、そういった選手のみがメダルを狙える選手として残っていく。そこまでの到達度を見せてくれる若手の台頭は、日本ではまだ見られない。そう判断する範囲での微々たる世代交代劇だった。今回の全日本選手権の結果をもってしても、ナショナルチームの編成はまた代わり映えのしない顔ぶれになるのだろうと想像していた。

小幡の飛行機投げ

 そのとき、会場からはどよめきが湧き起こった。小幡が小柴を飛行機投げでしとめ、2ポイント獲得、さらにボーナスポイントの1を得て、合計3ポイントを先取した。
 試合開始から小柴のタックルを、小幡は冷静に待っていた。小柴が得意とするタックル。得意とするだけあって、何度も同じ技を受けているし見ている。たびたび、全日本チームの合宿でパートナーを務めているから、十分に研究できている。小幡は自分が全日本王者になるための方法を真剣に考えていた。そして、本当に勝てると信じていた。決勝戦の前、客席にいる母親に「勝ってくるから。」と言葉をかけていた。
 正直なところ、学生チャンピオンになっても、さらに全日本チャンピオンを本気で目指す選手は今は少ない。どこか諦めているのだ。勝つ要素は確実にあると見える選手でも、具体的に勝つための方策を得ようとしない印象が学生選手には強い。そのためか、全日本クラスの選手に負けても、サッパリしたものでさほど悔しがったりすることが無いように見える。しかし、小幡は19歳という自分の年齢を飛び越えて、全日本王者になることを本気で考え、どうしたら勝てるかの対策を立てていた。

ボーナスポイントを獲得する小幡  小柴が小幡へタックルをかける。待ち構えていた小幡は、タックルを入らせて小柴の左腕を自分の右手でとらえる。さらに、左手で脚をつかもうと腕を伸ばす。そこから小柴の胴を巻き込むようにして小幡がみずからの身を翻すと同時に、小柴の体も宙に浮く。飛行機投げで2ポイント。続けてボーナスで1ポイント追加。試合開始冒頭のこの攻防が、ようやく訪れた世代交代を高らかに謳った。
 クールなレスリングが身上の小柴が慌てている。いつもスタンドから差しに行き、タックルに入って崩しに行くのに、自分がやりたいレスリングがどこかへ行ってしまったようだ。小柴のレスリングが混乱したまま、第1ピリオドが終わる。


パーテルをとっている小柴

 第2ピリオド。小柴が小幡のバックをとり、1ポイントを取り返す。ここから肩を返してさらにポイントをねらう。しかし、小幡の肩は返らない。アップが命じられる。
 3ポイントを獲得した優位性を、小幡はよく把握していた。レスリングは3ポイント以上を獲得しなければ試合成立と見なされず、リードしていても勝利することはできない。しかし、小幡は冒頭の攻防で3ポイントノルマを達成している。いつリードされるのかとびくびくしながら自信のない試合をすることなく、3ポイントを得た誇りを堂々と勝利に結びつけていく。
 6分。試合終了のブザーが鳴ったとき、応援していた山梨学院大学の学生は歓声を上げ、十代の全日本王者誕生を客席も感嘆の目を持って眺めた。そして、小幡はマットの上で宙返りをして見せた。


76kg級表彰式。中央が小幡、左端が小柴

 表彰台で満面の笑みを浮かべる小幡。試合終了後のコメントでも、「嬉しい」を連発し、オリンピックを目指せることに喜びを隠さなかった。
 十代王者の誕生は非常に喜ばしいことだ。いつまでたっても世代交代が実現せず、全日本チームはソウル五輪(1988)の頃からのメンバーを抱えたままだ。しかし、今、この時期にようやくの世代交代では遅すぎる。
 毎年、世界選手権は開催されるが、五輪は四年に一度の特別な大会だ。普段ほとんど報道されないレスリングでも取り上げられる。それも、メダルを取れば、の話だが。その状況をわかっているレスリング協会も、その関係者も「五輪でメダルを」のかけ声が強い。特に、ソウル以来途切れている金メダルを切望する声は大きい。そのためには五輪の時期を軸とした堅実な強化策が必要だと思われるが、その五輪まで一年を切っている段階でようやく世代交代を見せるなど、強化の面での無計画性を露呈していると言わざるを得ない。


トロフィーを片手に笑みを浮かべる小幡

 若手の台頭によって敗れた選手たちが、世界でトップクラスの戦いを続けてきているのならそこまでの判断は下さない。だが、今の日本のレスリング選手で、世界選手権で優勝候補に挙げられる選手はまったくいない、と言ってもおかしくない状況だ。そんなレベルの中で経験の薄い若手選手が競り合った末に台頭してきても、手放しで喜んでよいのか。単純に、年齢からくる衰えのために、トップ選手に限界が来ていることを示しているだけではないのか。
 新世代の台頭に喜びを覚えつつ、方針の無い競技の強化計画のに思いを巡らす。優勝した選手に対して「おめでとうございます」と素直に言えない。
「王国復活宣言。」と名付けられた99年の全日本選手権。本当に金メダルを確実に獲得する競技といわれたレスリング王国復活の兆しは見えているのだろうか?

(横森 綾)



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写真:茂木康子・石渡知子


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