98・12・23
WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT'98

第1回FNRカップ SEMI-FINAL

福岡国際センター
第1試合(20分1本勝負)
×
リングスオランダ
ディック・フライ
(D=0E-6)
12'29"
TKO
リングスジャパン
坂田亘
(D=0E=0)
  「老いた闘牛」Text by 井田英登

 

 ングと同時に飛び出したのは坂田だった。

 「お、始まるのか?」といった風情で、のんびりコーナーを離れたフライの緊張感のなさを尻目に、坂田は左右の掌底を打ち込み、一機にその首を抱え込んでロープに押し込む。元々、自分のペースでしか試合を組立てられないフライは、何をされているのかもわからない様子であさっり引き倒され、マウントを奪われてしまう。坂田は一瞬迷ったようなそぶりを見せたが、すぐボディにパンチを打ちはじめた。

 リングスではこの大会からグラウンドでのボディパンチを解禁した。来年以降、フリーファイト系やブラジリアン柔術選手の投入が検討されているリングスにとって、グラウンド打撃のゼネラルルール化は既に既定路線であるといっていいだろう。ヴァーリトゥード経由でやってくる選手に、グラウンド打撃への禁忌はない。今後、適応が遅れた選手が旧ルールのつもりで寝そべっていれば、致命的なダメージを負うこともあるかもしれない。

 スロースターターのフライも、さすがにそのまま寝ているとボディパンチでなぶり殺しにされる可能性がある事に気付いたらしい。ブリッジで脱出を試みるが、がっちりバランス良くのしかかった坂田のマウントを崩す事は出来ない。首を抱え込んでさっさと十字狙いの下ごしらえに入る坂田。あわててエスケープを計るフライ。

 実際、この日の勝負はもうこの段階で9割がた決まったようなものであった。

レイクの度に打撃でラッシュの糸口を探したいフライではあったのだが、坂田はその間合いで勝負をしてくれない。

 フライの打撃がかつての勢いを失ったというのではないだろう。現にこのリスタートの直後放ったハイキックのスピードなどは従来のそれと少しも変わってはいなかったはずだ。

 ただ、今のリングスジャパンの若い選手達は、そうした動きを読んで射程を外す技術を持っているのである。例えば、今日の坂田であれば、フットワークを使って適当に打ち気を逸らしておいて、掌底を見せ玉に素早くタックルを決めてしまう。


 引に大砲をぶっ放していれば派手な乱戦が展開できた、リングス創世期とは時代が違う。かつてフライが名声を築いた時代のリングスは正面突破のぶつけあいである”剛”の技術が支配する世界であった。しかし、今、高阪や田村といったトップランナー達が繰り広げる現在のリングスは、駆け引きや透かしあい、手のうちの読みあいを縦横に張り巡らせた“柔”の時代である。若いジャパン選手は皆タックルを自家薬篭のものとしており、さまざまな局面で自由自在に使いこなしてくる。

 もう15エスケープする前に10カウントのダウンを奪えばいい、そんなオランダ伝来の大味な大砲勝負はすっかりすたれてしまっている。大砲一発を放つにも、細やかに戦局を見定め、それに応じたタイミングを計らねばならない。今や王座に君臨する”大砲ファイター”の代表格ビターゼ・タリエルですら、グラウンド勝負に持ちこまれないための方法論を確立するまで、かなりの期間戦績が低迷した。

 うした時代の趨勢に対応する事が出来なかったフライには、その単純な事実が身に染みていない。時代はどんどんフライを追い越し、取り残してしまったのだ。

 肉体が衰えたのではない。進歩を止めた精神が、彼を時代遅れの浦島太郎にしているにすぎない。

 それでもなんとか坂田のタックルにヒザを合わせる事に成功したフライは、そのまま坂田を押しつぶし、グランドで上になる。今回のグラウンドパンチ解禁というルール改正は、この老兵にわずかながらではあるが勝利への道を開いたのかもしれない。全く迷うことなく、坂田のわき腹にパンチをぶち込んでいく。今浦島になってしまっているフライにとって、身についた攻撃本能を開放するだけで対応できる数少ない局面である。ひじでぐりぐりと坂田の顎をえぐりながら、もう片手の拳を脇に打ち込む。それだけを繰り返している分にはいいのだが、リングスにはブレイクという近代的なシステムがあり、「5分経過」のコールに即されたようにあっさりフライの千載一遇のチャンスを奪ってしまうのであった。

 体が衰えることなく、ただ頭が惚けてしまった老人には、世界は非常に悪意に満ちたものとなる。身体は昔通り動く。だからオファーを受けてリングにあがるのだが、試合をするとなぜか勝手がちがってしまう。得意の打撃で相手をぶったおそうにも、彼には理解できないスピードで標的が姿を消してしまう。そして、大嫌いなグラウンドにアッというまに引きずり込まれて何も出来ない。ロープやコーナーを使って踏みとどまろうにも、駄々っ子を寝かしつけるように掬い上げられるのが関の山。うっかりトップロープを掴もうものならば、ロープエスケープまで取られてしまう。

 果たして、自分は何を成し遂げるために、この場に連れてこられたのだろうか?

 フライのロープを探す悲しげな視線は、全身に剣の山を突き立てられて血まみれで死期を悟った闘牛を連想させる。

 かくしてみるみるうちにフライの背中に5つのエスケープの剣がつきたてられた。


 客の興味もその老牛がいかなる最期を迎えるかの一点に絞られてきた。

 果たして、若き闘牛士がそのとどめに選んだのはクラッシックなアキレス腱固めであった。今のリングスマットでこの技をがっちり決められるまで待っている選手は皆無に近い。しかし、坂田がフライの足を取った途端、勝負は決してしまった。

 悲しげなうめきを上げて、老牛はロープに手を延ばす事しか出来なかったのである。

 その手が己に止めを刺す6本目の剣になるとも、もうその頭脳は判断する力も残してはいなかったのかもしれない。

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取材:入嶋照紀 浅田秀人  カメラ:井田英登
HTML編集:井原芳徳