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Kick /K-1 News

K-1 アンディ・フグ選手 略歴

1964年9月7日生まれ。
10歳より極真空手スイス道場に入門。
1987年11月の極真空手第4回世界大会で、当時歴代外国選手最高位の準優勝を遂げる。(優勝は現極真空手(松井派)館長、松井章圭氏。延長戦においてフグ選手の徒手攻撃が松井選手の顔面に当たったことによる減点が響いての判定負け)
1992年7月、極真空手を離れ、正道会館主催の「格闘技オリンピックII」に電撃参戦。以後正道会館主催大会を主戦場とし、同年の「格闘技オリンピックIII カラテ・ワールド・カップ」で優勝、翌93年の「カラテ・ワールド・カップ」で準優勝(この時の優勝は佐竹雅昭選手、組み手試合での決着が付かず、試し割判定による判定負け)。
1993年に開幕した「K-1 GrandPrix」第一回大会に参戦(この時は空手ルールのワン・マッチ試合でトーナメントには不参加)、以後逝去の直前までK-1選手として活躍を続けた。
K-1トーナメントでは1994年対パトリック・スミス戦、1995年対マイク・ベルナルド戦と2年続けて1回戦KO敗退。「フグ限界説」が囁かれる中、1996年の第3回大会決勝戦でベルナルドにKOリベンジを果たして優勝、「不屈の鉄人」「Mr.K-1」といった称号で呼ばれるようになる。
以後1997年、1998年大会でも連続準優勝の好成績を上げ、K-1屈指の実力者の一人として活躍。昨年の1999年は調整不充分等の影響もあり、東京ドーム1回戦で当年優勝のアーネスト・ホーストに判定負け、ベスト8に留まった。しかしこれを契機に K-1トーナメントへの集中を決意、国民的人気を誇るスイス本国での引退を表明し、 2000年6月9日の国内引退試合対ミルコ・フィリポビッチ戦を勝利で締めくくる。
その試合後間もなく来日し、10月福岡で行われるK-1 GP'2000予選大会への準備を始めたばかりだった。

2000年8月24日逝去享年35歳

(高田敏洋)


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