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パンクラス 99.9.18 東京ベイNKホール
"1999 BREAKTHROUGH TOUR KING OF PANCRASE TITLE MATCH"
セミファイナル(パンクラチオンマッチ 15分1本勝負) 
P's LAB
船木誠勝
 
1'16"
ギブアップ
アメリカ
トニー・ペテーラ
 
×
 

2000年の向こう側


 古い話を持ちだして恐縮だがUWF時代に船木につけらたキャッチフレ−ズの一つに「2001年のエ−ス」というものがあったように思う。誰が付けたのかは知らないが、船木にとってはあんまりなネ−ミングというものだろう。1969年生まれの船木が2001年にならなければエ−スになれないとしたら、そのころ船木は32歳である。当時ののんびりしたプロレス風土であれば32歳でエ−スになれれば御の字という常識もあったかも知れないが。15歳で業界に入った早熟児にそれだけの時間を我慢しろというのはあまりに酷というものだろう。今にして思えば、UWFの崩壊も藤原組からの離脱劇も結局、この呪われた予言から逃げ出すための全力疾走ではなかったのか。

 気が付けば、3カウントはもちろん、ロ−プエスケ−プもダウンカウントもない、それどころか自分がプロレス界に持ち込んだはずの掌底すら消え去った異質なリングの上に立つことになっていた。プロレスを壊すことでしか、プロレスの呪いから逃れる事のできなかった船木。タイムリミットまであと一年を残して、パンクラスはほぼ完ぺきにプロレスの残滓から脱皮した姿を完成させたと言える。

  しかし、プロレスを遠く離れた極北の地平に立った船木達を待っていたのは決して約束の地ではなかった。この日、NKホ−ルの動員は公式発表で5800人。しかし、実際会場で客席を見た目で言うならばその数字から受ける印象よりも遥かに空席が目立っていたように思われる。

 一般的に解釈すればメインイベントの魅力不足と言うことになるのだろうが、もっと大きな理由がそこにはある。これは極めて個人的な解釈になるが、この動員激減の一因は、恐らくこのセミファイナルの船木の試合のマッチメイクによるものではなかったかと思われる。

 一年前、船木がノ−ル−ルマッチに乗り出すと発表した時はこうではなかった。パンクラスファンはもちろん、一般格闘技ファンまでが期待に胸をうち振るわせ、その一戦を目撃するために満員の客が横浜文体を埋め尽くしていたのだから。なにしろU系のファイタ−がことごとくノ−ル−ルファイタ−の前に敗れ去っていく現実を前に、沈黙を守り続けた船木が「ついに動いた」と誰もが思ったからだ。この一戦の向こうには世界有数のVTファイタ−と刃を交え、船木が個人としての強さを追及する旅が見れるはず。当時は誰もがそう思った。

  しかしパンクラスの経済事情もあってか、船木の対戦相手はVT界の有名所ではなく知名度の低い選手が選ばれるという事が続く。エベンゼ−ル・ブラガという未知の強豪を発掘したのは僥倖とは言え、そのブランドネ−ムを確立したのは皮肉にも、めった打ちされた船木自身の姿によるものであった。結局、船木は対外試合に乗りだしたのではなく、パンクラス内部でのノ−ル−ルマッチを行っているに過ぎないらしい、ということが観客にも伝わりだし、ブラガ戦では意外な脆さも露呈した。

 そうこうするうちに、”世界の強豪に挑戦する船木”という幻想はしぼんでいき、期待した分の乱高下の結果として、NKには空席が目立つ結果となった。

 では観客の期待を裏切りながら、船木が目指した地平は何処か?

 


 
 今回髭をたくわえた船木は、シューズを履いていない。前回の苦い経験から導き出した、これも一つの結論なのだろう。表情に気負いや興奮は見られない。落ち着いているというのとも違う、何か憑きの落ちたような表情。その心境を推し測る術はない。

  ゴングが鳴る。ペテーラが軽いフットワークから距離を詰めると、船木が左のローをペテーラの左膝内に入れる。続いて両者の右フック。船木は頭を下げ、上から弧を描くように打つ。船木のパンチだけが音を立てて当たったが、ペテーラにダメージはない。船木は一二度頭を振りながら、今度は左フックっ!これがペテーラのアゴを完璧に捕らえ、ペテーラが尻餅をつく。船木すかさず足をまたいで、正面からマウント。腹の下にあるペテーラの頭に、左の肘を落とす。ペテーラは右手で頭頂部を守り、左手を船木の腰に回して密着。一度はブリッジして脱出を試みるも、船木は動じずマウントをキープ。船木が空いている左側頭部にパンチを5発入れると、ペテーラは両手で顔面をガード。構わず空いた部分に両手でパンチを落とす船木。たまらず右向きに反転するペテーラ。なおも殴りつづける船木。ペテーラはうつ伏せになると同時にタップ。チョークに入ろうとする船木とペテーラの間にレフェリーが割って入る。初めてのVT・ジョン・レンケン戦同様、船木が強いのか相手が弱いのか分からない、船木らしい快勝劇だった。

 


 
 試合後の船木のコメントに、この一年の船木のパンクラスマッチの意味が込められている気がするんで、一部紹介しよう。

「パンクラチオンマッチは今回で打ち止め。来年からパンクラスル−ルもグロ−ブを付けて闘う事になるわけで、掌打を出したのもオレだし、閉じたのもオレって感じですね。UWFの影を引きずっていたのを洗い落とすという。もういいでしょう。2000年のパンクラスルールは完成に近い。おれの頭の中では。もうひとひねりで完成。UWFのイメージとは決別です。強いものが残らないとおかしいし、弱いやつは下がるし、そこからはい上がるために努力する。それが大事なんです。格闘技というものを追求するのに一番適したルールにしたいですね」

 そう、格闘技として試合内容いかんで下克上が可能になるル−ルを確立すれば、船木はプロレスの、そしてUWFの桎梏からのがれることができる訳である。呪われた「2001年のエ−ス」という予言から逃れるために、パンクラスを作り、ル−ルを先鋭化してきた船木、という指摘はまさにこれを指す。パンクラチオンマッチの三戦も実は、船木個人の挑戦ではなくパンクラスル−ルへのグロ−ブル−ル導入への布石と考えればすべての平仄は合う。

  合い過ぎるほど合う。

 我田引水を誇るわけではないが、昨年の船木のパンクラチオンマッチ開始当時、当誌は船木が従来のパンクラスル−ルに戻ることはないだろうと指摘している。戻るとすれば、パンクラチオンマッチを経て、従来”本道”と呼ばれていたル−ルを大きく書き換えるような動きに出るに違いない、と。当時”本道”護持を唱えた選手達、近藤・國奥あたりからも異論を唱える声は聞こえてこない。おそらく、パンクラチオンマッチル−ルと大きく変わらない新ル−ルが、そのままパンクラスル−ルとして制定され、それを選手もファンも受け入れる事になるのだろう。

 そして、2001年まで1年を残して、船木の逃走はついに完結を見ることになるだろうか?



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レポート:誉田徹也・井田英登 カメラ:井田英登