暴走機関車 |
|
|
反骨の柔道王 |
名前 |
|
所属 |
|
生年月日 |
|
身長 |
|
体重 |
|
出身地 |
秋山 成勲 |
|
フリー |
|
1975.07.29 |
|
177cm |
|
86kg |
|
日本 大阪市 |
あきやま よしひろ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
生野区 |
|
経歴 |
清風高校(柔道)→近畿大学(柔道・1996年、全日本学生体重別 2位)
→韓国の市役所勤務(柔道・韓国代表)→平成管財(柔道)→フリー |
|
紹介 |
柔道をやっていた父親の勧めで3歳の時に柔道を始める。
大学卒業後に祖国韓国へ渡り、市役所に勤務しながら韓国代表として活躍する。
2001年9月に日本国籍を取得。
2003年、世界柔道 81kg級 日本代表。
2004年7月に柔道界を引退し、プロ格闘家へ転向するや、
柔道出身とは思えない打撃センスを発揮し快進撃を続ける。
柔道選手時代から選手関係者達の間では、「胴衣に細工をしていたのではないか?」と噂があり、
その噂に自ら追い討ちをかけるように、2006年大晦日の桜庭戦で、「クリーム事件」という過ちを犯してしまう。
それ以降、秋山バッシングを加熱し、主戦場だったHERO'Sにおいて無期限出場停止の処罰を受ける。
しかしながら、その実力・実績の高さ、そして話題性の点で格闘技ファンの注目を浴び続ける。
韓国で復帰すると、下馬評で不利を目されていたデニス・カーン戦で戦慄のKO勝利を収める。
日本での復帰戦となった2007年大晦日、ファンから多大ならブーイングと野次を浴びせられ、
いまだ格闘技ファンの反感をかっている事を証明した。 |
|
タイトル |
2001年、東アジア競技大会柔道 81キロ級 優勝。
同年、全日本実業柔道個人選手権 81キロ級 優勝。
同年、講道館杯日本柔道選手権 81キロ級 優勝。
2002年、日本国際柔道大会 81キロ級 優勝。
同年、パリ国際柔道大会 81キロ級 優勝。
同年、釜山アジア大会 柔道81キロ級 優勝。
2003年、全日本選抜柔道体重別選手権大会 81キロ級 優勝。
2006年、HERO'S ライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント 優勝。 |
|
リンク |
柔道★最高.com(公式HP)
秋山成勲Blog |