シリル・アビディ インタビュー

「“持つ者”と“持たざる者”」

アビディは謙虚だ。

基本的にK-1ファイターというのは、リングを降りると非常に紳士的で謙虚であることで有名だが、それは彼らに与えられたステイタスを物語るものでもある。ファイトマネーはもちろん、社会的地位や見つめる観客の賞賛や期待の大きさをが爆発的に大きいことを彼らが自覚している。結果として、他の格闘技の選手と比べると、ライバル達へのコメントも優等生的で刺激に掛ける場合が多く、下手をすると社交辞令の域を出ない事もある。

一方、アビディはまだ24歳、K-1シーンのなかでは圧倒的に若く、圧倒的に貧乏でもある。この間のアーツ戦での勝利で突如スポットライトを浴びたものの、他のK-1ファイターと比べて圧倒的に“持たざる者”である。普通、こうした立場に置かれた若者であれば、下から追い上げる者の勢いや傲慢さをぷんぷんさせていても不思議はない。ましてや、この男は気性の荒い船乗りが住む港町マルセイユ生れで、十代にはストリートファイトで鳴らした事も公言してはばからない。気性もざっくばらんであり、既にアーツという大物を倒した実績もある。若さの特権でもっと傲慢なセリフを吐いたとしても、誰も驚かないだろう。

しかし、アビディはそれでも謙虚なのだ。
今回のアーツ戦の勝利を踏まえて、マスコミはアビディに「堕ちたチャンピオンを罵倒する若者」的なアングルを想定して、質問を投げ掛ける。しかし、それに対するアビディのコメントはクールそのものだ。「やってみなければわからない」「僕は若いからもっと練習して強くなりたい」・・・だからといって、アビディ自身のコメントが全てつまらないかといえばさにあらず。太ももに彫られた死に神に関する「死」の概念や、スーツを着ないことに関する彼の人生哲学などを聞くのは非常に楽しい。さすが思想大国フランス出身だけあって、しっかりした根拠と彼自身の人生経験に裏打ちされた中身のあるコメントが返ってくる。この若者は決して中身の無いうわっつらの言葉を吐く人間ではないのだ。

それだけに、逆にこの謙虚さは不気味ですらある。

既に他のK-1トップファイター達は30代に突入している。それだけK-1という世界のトップに登り詰めるには時間と経験を必要とする事の証拠でもあるのだが、アビディはたった4戦でその一角に食い込んでみせたのだ。

若く、才能豊かであることは、イコール可能性が無尽蔵であると言うことでもある。彼が己の実力と才能について浮ついたことを語らないのは、今我々がリングで見ているそれがまだ氷山の一角でしかなく、もっと巨大な可能性があることを彼自身が十分すぎるほど知っているからなのではあるまいか。

その意味で、アビディは他のどのK-1ファイターよりも“持つ者”であるのだ。
アビディの謙虚さはまさにそこから生まれてくる。
既に全ての可能性を掘り尽してしまった成長の余地の無い富者と、これからいくらでも若さという資源を元手に成長できる才能豊かな貧乏人であれば、当然後者の方が100倍恐ろしい。

とすれば、東京ドームでいちばん恐ろしい存在になるのはこの男かも知れないのだ。


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