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'99 フリー世界選手権大特集
矢山裕明 「プロテスト」

安達コーチに抱きついて喜ぶ矢山 ぶり返しで2ポイントが入り、矢山はセコンドのコーチに抱きついた。日本チーム初のベスト8当確が決まったと思われた瞬間だった。2−1矢山のリードで第2ピリオド終了。3ポイントのノルマを果たしていないため(たとえテクニカルポイント差があっても、3ポイント以上を獲得しなければ第2ピリオド終了時点では試合成立と認められない)延長戦に縺れ込み、8分14秒、矢山が2ポイントをとり勝利を収めた瞬間だった。Ramil Islamov(ウズベキスタン)に4−2で判定勝利をもぎ取った。これでベスト8。日本チーム初の五輪出場権がえられる。

 「おめでとうございます。」とスタンドにいる高田裕司強化委員長に声をかける。しかし、「プロテストがありますよ。」と厳しい顔のままだった。試合終了とともにウズベキスタンのコーチが走っていった。プロテスト(抗議)の申し込みだ。


 ロテストとはルールで定められた抗議の権利だ。レフェリーとジャッジとチェアマン、三段構えで審判を下しているとはいえ、瞬間の判断でありミスジャッジはどうしてもおこる。プロ野球で野手が実はボールを落としていることに気づかず、アウトをコールしてしまうのをときどき見かけるのと同じだ。しかし、野球と違ってレスリングは、レフェリーの判断を不服とするとそれを正式に覆す手段が明確に設定されている。それがプロテストと呼ばれるものだ。プロテストを申し込むと、FILA(国際レスリング連盟)の選んだ6人の審判が該当の試合のビデオを最初から見直し、テクニカルポイントを数え直す。その結果、試合終了時の勝敗が逆転した場合に限って再試合が決定される。

 落ち着かない気持ちで試合のマットで進行している次の試合を見る。プロテストの結果はどうなっているのだろう。95年の世界選手権、プロテストにより決勝の勝敗が入れ替わり、和田が1位から2位になったことがある。あのときはプロテストでひっくり返されるとそのままで終わってしまっていた。
 何か情報はないかとプレスルームを覗く。モンゴルのジャーナリストが「Congratulation!」と声をかけてくれた。矢山がベスト8当確と見て言ってくれたらしい。素直に喜べない。「多分、プロテストがあってひっくり返されてしまう。」と説明する。


 山の予選リーグは一回戦がBYE(試合無し)、二回戦がQing Su (中国)に7−0、三回戦はMohamad Ayman Shalabi (シリア)に4−6でそれぞれ勝利した。二連勝したことで決勝トーナメントへ勝ち上がり、あと一つ勝てばベスト8だった。その決勝トーナメント一回戦の相手はRamil Islamov(ウズベキスタン)。5月のアジア選手権、予選リーグ二回戦で対戦している。その時は2分47秒、テクニカルフォールで敗れていた。

返し技でポイントをとる矢山  決勝トーナメント一回戦第1ピリオド、先にポイントを取ったのはIslamovだった。でも、今度は負けない。矢山は対策を立てて、そのとおりに実行していった。防御をしっかりとり、技を返してポイントにつなげる。第1ピリオドが終わったとき、2−1で矢山がリードしていた。

 第2ピリオド。果敢に攻め続けるIslamov。矢山は諦めずにこらえ続け、6分たってもスコアは2−1のまま動かない。3ポイントのノルマが達成されていないため、そのまま延長戦へ。延長で先にポイントを取ったのはIslamov。片足タックルから1ポイント。しかし、合計2ポイントで矢山と並ぶのみ。3ポイントノルマを達成するにはいたらない。まだ試合は続く。どちらかが1ポイントでもとれば。8分14秒、タックルをがぶり返し、レフェリーが赤コーナーに2ポイントの獲得を示した。3ポイントのノルマを達成し、満面の笑みを浮かべた矢山が安達コーチに抱きついた。

勝ち名乗りを受ける矢山
タックルをうける矢山 かし、ウズベキスタンのプロテストにより勝敗が覆り、同じマットで再び試合をしている。さっきの試合と同じように、ひたすらこらえ続けチャンスを待つ矢山、積極果敢に攻め続けるIslamov。第1ピリオド、Islamovが片足タックルからローリングをきめて2ポイントを先取する。その後も矢山が守り続ける。そして第2ピリオド。片足タックルから1ポイントをとったのを皮切りにIslamovの攻撃はますます激しくなる。何度も何度もパーテルで下を強いられる矢山。必死でこらえるが、それも限界があった。片足タックル、ローリング。次々とポイントを奪われる。6分が終わったとき、上がっていたのはIslamovの腕だった。
 ベスト8には残れなかった。日本チームの五輪出場資格獲得は、未だ一つも無い。


 飯器が置いてある部屋で矢山はテレビを見ていた。ご飯がもうすぐ炊ける。テレビではトルコの娯楽番組が流れていた。

タックルをうける矢山『難しいですね、やっぱり。難しい、ていうかパターンがやっぱり、最初にポイント取らないと、流れをつかまないとまずい、ていうか。
 外国はやっぱりその、体力とかそんなものと、技、よく知ってますよね。僕たち以上に。やっぱり僕たち、体力とかばっかりじゃないですか。でも、技知らないから、と思います。
 うーん、ぐるっと変えないと、勝てないな、と思います。厳しいなあ、と思いますね。やっぱり世界は強いなあ、実感した、て感じですね。そうですねえ。とれそうでとれない。難しいところですねえ。
 最後は、強いヤツしか上がってこれないな。(ベスト)16くらいまでは、その、あがれますけど、8(ベストエイト)ていうのはちょっと。
 終わったな、て感じですね。ホントに。ホントにですね。なんかどどっと疲れちゃって。試合が終わったら早く帰りたいな、て感じ。残念だけど、まあしょうがないですよ。
 11月の全日本選手権もなんともいえない……うん……』

 静かだった部屋に人が集まりだし明日まだ試合がある小幡がニコニコしながら勝ち残っている外国選手の話をする。その話を聞きながら、矢山も一緒ににっこりしていた。

 フリー63kg級は、日本では激戦区だ。出場者も多く、和田が一階級アップしたいまでは実力も拮抗している。11月末の全日本選手権、世界の厳しさと残酷さを味わった矢山は他の日本選手とどのような差を見せてくれるだろうか?

 


 

(10月8日、トルコ・アンカラ)


 

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レポート:横森綾