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'99 フリー世界選手権大特集
川合達夫 「表彰台のメロディー」

 ォール勝ち以外の方法は残されていなかった。

 フリー85kg級予選リーグ最終回。川合達夫は予選リーグ一回戦のMahmed Agaev(アルメニア)戦に1−6で敗れたため、決勝トーナメントに進出するには勝ち点4を獲得できるフォール勝ちしかなかった。

 大会三日目の朝、日本チームの全滅は決定的かと思われた。前日、54kg級田南部、63kg級矢山と二人が決勝トーナメントに進みながらも一回戦で敗れた。矢山はいったんは勝利し、ベスト8が確定しかけたのだが相手側のプロテスト(ルールで定められた抗議。6人の審判員によりビデオ判定がおこなわれる。勝敗が覆った場合のみ再試合となる。)により判定が覆され再試合となり負けてしまった。そして、階級を69kg級にアップした和田。5月末のアジア選手権では前年世界選手権2位を破っていた。その実力はきっとベスト8には入れるはずだと周囲は期待していた。しかし、その和田が予選リーグで三連敗に終わった。9月末、ギリシア・アテネでのグレコローマン世界選手権に続き、フリーでも五輪確定枠はゼロなのか。

 世界選手権の直前、最終合宿を訪れたときに会った川合はいつになく饒舌だった。寡黙になりがちな他の選手とは対照的だった。

『優勝しか考えていません。みんな強いし、新しいルールは全部勝って優勝するつもりじゃなきゃ、上に行けません。』
 普段の川合は、こちらから話し掛けてもなかなか言葉が返ってこず、非常にコメントが取り難い選手だ。それが、まるで別人のように自分のことについて話している。

『日本人だと思うから勝てないんですよ。俺はロシア人です。』
 腰の負傷で2ヶ月もマトモな練習が出来ていない。その日も、打ち込みすらできずにひとりで筋トレなどのメニューをこなしていた。この饒舌は、不安を打ち消すための自己暗示か。

 トルコへ到着してからも川合の饒舌は続いていた。7日、計量の日。宿舎のホテルで、エレベーターから下りてきたとたん

『すっごい調子いいんですよ。』
 自分から話し掛けてきた。腰の不調を忘れるための自己暗示か。

 


 
 9日午前、大会三日目。川合がフォール勝ちをせねばならない相手はLong Chen(中国)。試合開始早々、片足タックルで突っ込んでいく。後ろに回って、足をつかみ瞬く間に5ポイントを獲得。そして、フォールの体勢へ。

 セコンドについているコーチから確認の声が飛ぶ。勝ち点によって予選リーグを勝ち抜き、決勝トーナメントへという今年からの新ルールの場合、同じ勝ち点数で数人の選手が並んだときにはその試合内容で順位が決定される。ここまでの判定結果を見たかぎり、同じフォールでもどうやらテクニカルポイントの数が多い方が評価が高いようだ。この試合、川合の現在の獲得ポイントは5。試合はまだようやく1分をこえようというところだ。確実に決勝トーナメントへ進出したいのであれば、このフォールのチャンスをわざと逃し、ポイントを重ねた方が得策だと考えるのが普通だろう。

 テクニカルポイントが5のままだと、せっかくフォール勝ちをおさめても決勝トーナメントへ進めないかもしれない。レスリングの中身で勝つことを選ぶのか、数字に残る結果をとるのか。相手の肩を押さえつけながら、川合は答えた。

『この先、(時間を延ばして点数取ったあとでもう一回)フォールを取る自信ないです。いまここでとります。』
 本当にいいんだな?とコーチから再度確認が出る。

『行きます』
 おめでとうとマットを下りてきた川合に声をかける。

『いや、まだわからないんで。』
 1分12秒、見事なフォール勝ちを収めたにもかかわらず、すっきりとした笑顔が見られない。セコンドについていたコーチも複雑な顔をしている。

 1分強でフォール勝ちが、どうして5分近く戦ってやっとのフォール勝ちより低く評価されなければならないのか。レスリングでもっとも評価されるのはフォールするということではなかったのか。何かと評判の悪い新ルールに悪態をつきながら、私はプレスルームでリザルトが出るのを待った。しかし、プレスルームからはなかなか情報が得られない。未だに進行やリザルトをタイプライターで打ち出し、故障がちな一台きりのコピー機で出しているような状態のためだ。選手控え室やトレーニングルームのある1階には速報が手書きで掲示されているらしいが、プレスパスでは入ることが出来ない。日本チームのコーチたちの動きをじっと見て状況を窺うしか川合の結果を知る方法が無い。

 コーチ数名が動いた。どうやら試合があるらしい。スタンドで観戦している別のコーチに尋ねると、川合の決勝トーナメント進出が決定したという。日本チームが五輪出場枠を獲得する最後の望みをかけた試合が決まった。川合の試合までもうあと7試合しかない。慌ててマット脇に移動する。

 


 
 勝トーナメント一回戦、相手はAka Vinlent (コートジボアール)。片足タックルからバックにまわり1ポイント、そこからアンクルホールドで2ポイント。

  川合はどんどん先に動いて、面白いようにポイントを積み重ねて行く。この試合に勝てばベスト8が確定、日本人選手としては唯一のシドニー五輪代表権確定となる。

 腰が痛くてローリングが出来ないから、アンクルホールドで点を取っていくと公言していた。その言葉通り、脚をつかんでは回していく。第1ピリオド終了時7−3で川合が4ポイントのリード。このまま第2ピリオドも逃げ切れば、五輪代表権が手に入る。

 第2ピリオド冒頭、日本人とはいえパワー負けしないタイプだと判断したのか、Vinlentは同じタックルでも回り込むようなタックルから後ろに回ってきた。1点を失う。そして4分29秒。第2ピリオドの中盤にパッシブを取られる。一番警戒している外人のローリング。これをこらえきれば。こらえてくれ!と叫びながらカメラのファインダーを覗く。

  パーテルを取られたもののどうにか凌ぎきり、アップ。この後、攻撃をひたすらにいなし続ける。何度いなしても諦めない相手。もう根競べだ。最後に相手の体をひっくり返した。やっちゃえ!アンクルもとっちゃえ!6分終了。

 テクニカルポイントは9−4。びっくりしたような顔で川合がセコンドについているコーチの顔を見る。自分が勝ったのだと確かめるように両腕を広げながら。フリースタイル85kg級、日本人が勝つのは難しいといわれる重量級で、初めての五輪代表権を獲得した。カメラマン席側にある電光掲示板近くに座っていた川合の試合担当のジャッジが、私の肩をポンと叩きながらジャッジペーパーを持って本部へ戻っていった。言葉はかけられなかったけれど、きっとCongratulation!と言ってくれたんだろうと思う。

 


 
 会四日目。10日。午前中に85kg級の決勝トーナメント二回戦。「君が代ききたいなあ。」と、笑顔でつぶやいたのは、唯一この大会に取材に訪れた日本の新聞社のカメラマンだった。昨日おこなわれた別の階級の3位決定戦、決勝戦の試合では、選手とコーチ、レフェリーがトルコの民族衣装を着た女性に先導され、行進曲にアレンジされた民族音楽にのって入場式が一試合ずつおこなわれた。

 たしかにここで川合がトルコの女性に先導されて入場し、あわよくば「君が代」がかかる中、一番高い所に日の丸が掲げられるのを見られれば言うことなしだった。

  対戦相手はAli Oezen (トルコ)。地元選手との試合だ。大会最終日で客席はびっしり。スタンドはすべてトルコの応援席といってもよい。

 開始からじっとにらみ合うような1分弱。川合にパッシブがついたことで試合は動いた。腰の状態がよくないことから、もっとも警戒しているローリング。ひっくり返されて2ポイントを奪われる。その後、片足タックルから後ろを取られて1ポイントを追加される。3ポイントを奪われて第1ピリオド終了。

 第2ピリオド。怯まない川合は攻撃をする。片足タックルから1ポイント、そしてアンクルホールド。これは完全には返らず、1ポイントを追加するに止まる。相手の得点に追いつくまであと1。さらに攻撃へ。しかし、攻めあぐねたために4分20秒にパッシブを取られる。祈るような思いでマットを見つめる。再びタックルを挑む。が、とらえきることが出来ない。6分という時間が無情にも訪れる。

 ポイントは2−3。

 あと1ポイントと言うところで、川合は準決勝にすすむことが出来なかった。

 


 
 晴らしもかねて、日本チームの選手たちが連れ立って買い物に出かけているなか、川合はひとり、ホテルの部屋に残っていた。暇を持て余してテレビを見ているわけでもなく、昼寝をしているわけでもなかった。じっとどこかを見つめてベッドに横になっていた。部屋を訪ねると、ベッドの上に起き上がり、まっすぐにこちらを見ながら話をしてくれた。

 

『もうちょっと残ればよかったんですけど。もうちょっとでした。もう一回勝ちたかったんですけど。
 腰痛いんですよ。ホントに腰痛くてですね、ずっと不便してるんですよ。生活してるだけでも痛いんですよ。すごい痛いんですよ、今でも痛いですよ。長時間同じ姿勢とか痛いですね。全部痛いですね。寝てるだけでも痛いです。タオル抱いて、自分でこうやって腰入れながら寝てます。
 もう3ヶ月くらいですね。一番ひどいときは全然動けなくて。すごい痛かった。筋肉の方まで痛くなってきて、大変だったんですけど、(真後ろあたりをさすりながら)今はここらあたりが痛いだけですけど。しつこいんで。
 腰、ほんとは痛いんですけど、気になったんですけど、調子はよかったんで。腰痛くてもできたんですけど、腰は、あんまり関係ないですけど、もう少し力が出せたらよかった。
 自分より強い奴らがいっぱい下に行っちゃったんで。いっぱいいるんですけど、自分は弱い方から数えて何番目くらい。それはいいんですけど…最後はうまく、勝ちたかったんですけど。

 トルコの声援、あれ、別に自分気にならなかった。ぜーんぜん気にならなかったです、歓声は。全然気にならなくて、やりやすかったですけど。一応、作戦通りにやってたんですけど。最初にリードしちゃうと、すごい勢いで追って来られるんで、腰いたいんで何回もくっついちゃうんで、そうなるとあっぷあっぷになって、最後、出来なくなっちゃうんで。
 先に取られても2点まではよかったんですけど、3点になっちゃうともう、終わっちゃいます。それと初戦のアルメニアがやっぱり……初日が自分は、あんまりわかんなかったですけど、やっぱ減量、かなり巧くやったんですけど今回は。あと、初日は体力が落ちてるなあ、と思いました。
 来年はもうちょっと、脂肪をもうちょっと取って、減量を3キロくらいに押さえれば、今4,5キロなんですけど、3キロくらいに押さえれば試合で力出せると思うんです。

  就職決まって(群馬県の教員採用試験に合格)これからいろいろ変わりますけど、それ全然問題ないです。自分もう、あんまもう、練習しなくても平気なんで。自分、筋トレだけやってれば。それが一番やりやすいんですけど。組んだりこう、スパーリングとかこう、やると、試合のとき、やる気なくなっちゃうんで。やりたくないです。
 もう、何回もずーっと10年ぐらい(レスリングを)やってますから、あんまりやってるともう、変わらないんですよ。やってても…強いヤツとやれば変わりますけど、日本人同士でやっても変わらないですから。もう、逆にやる気なくなっちゃうんで。
 バーベルとか懸垂したりとか、あとはダーッと走っていってそこで筋トレやるみたいな。400ダッシュして、そこでスクワットとか腕立てとか懸垂やるような、そういう練習ですね。スパーリングとかやっても強くならないです。却ってやる気なくなるんで、そういうのやりたくないです。
 あと脂肪落とす。ちょこちょこ動いて、試合のときには、真面目にやるんであればやっぱりちゃんと食い物気をつけないといけないですね。油ものとか、甘いものは、あんまり押さえすぎても嫌になっちゃうから。ダメですから。よくわかんないですけど。

 相手強いんで。めっちゃくちゃ強いんで手が付けられないですよ。今回試合をした相手じゃなくて、他にいっぱいいるんですけど。13人くらいいるんですけど、ココに出てきてない中でも強いヤツがいっぱいいて、手つけられないですよ。自分じゃちょっと相手にならないくらいです。めっちゃくちゃです。すんごい強いですよ。パワーとか、向こうの方はどんどん動いてきますよね。最後までバーッとビビらないですよね。どんどん来ますから。世界それで体力あるから。動きとやっぱ、力がすごいですよね。全然技は一緒なんですけど、あとは体力勝負じゃないですか。力とスタミナです。あとグランド返らなければ。グランド返っちゃうとやっぱ、勝てないんで。アンクル自信あるんですけどね。ローリング返せないんで、アンクルだけでこう、アンクル2回連続ダメ(2回目以降は得点にならない)なんで。
 五大会(2000年1月から五大陸で開催される五輪出場権をかけたセカンドステージ のこと)出ていいんだったらやっぱり日本で出たいです。日本で地元でやるのが、それが一番やりやすいです。外人とやりたいわけじゃないですけど、面白そうですから。
 決勝、見に行くんですか?(取材なのでもちろん全部行きますよと答えると)自分、腰いたいんで、座ってるのきつくて。今日の決勝もホテルでテレビで見ようかと思って。生中継するでしょ。」

 大まじめな顔でテレビ観戦を告げた川合だったが、決勝の会場には、珍しく他の日本選手たちと一緒に観戦に訪れていた。自分が歩くつもりだった3位決定戦、決勝戦のマット。もし表彰台に上ったら、川合はきっといつものように、居心地の悪そうな、驚いたような顔をして私たちを見つめるだろう。『日本人だと思うから勝てないんです。俺はロシア人です。』と言っていた彼には、表彰台の一番上でどんなメロディーが似合うのだろう。来年には、それを確かめさせてほしい。

(10月10日、トルコ・アンカラ)


 

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レポート&写真:横森綾