五輪代表決定戦(グレコ58、63)レポート

「ふたとおりの道」

 四年に一度のチャンスをその日つかんだ二人は、試合前、対照的な姿を見せて いた。


 に決定戦が待っていたのはグレコ58kg級。笹本睦(綜合警備保障)は試合会場の外にあるアップ場で、所在なく柱に寄りかかっていた。マットの上では同じ日におこなわれている全日本選抜選手権のために何人もの選手が体を動かしている。
計量時の笹本  昨夜はよく眠れた。計量のあとは、22歳という若さにまかせてお腹一杯食べてしまった。「スポーツマンとして良くない、て言われるんですけどね。」ちょっと恥ずかしそうに答えた。体を動かしているわけでもないのに、なぜアップ場にいるのだろう。空調も満足になく床は冷たい。トレーナーも着ないで直接床に座ると体が冷えるだろう。それでも「上(スタンド席)にいると、いろんな人にいろいろ言われるので。」アップ場にいる方が気が楽なのだという。
 3月までの五輪二次予選で、シニアの第一線のレベルを初めて目の当たりにした。今まで味わったことがない国際戦のために、年末年始の合宿では同期の平井満生(グレコ63kg級)と一緒に世界選手権全試合のビデオをじっくりと見た。そのビデオでは、日本国内の試合では見たことのない積極的な試合が繰り広げられていた。組み手一つ取っても見たことがない。知っているのと知らないのとでは大違いだ。
 二次予選では、外国選手に力負けしない自信を得た。フランスでの第二戦で23人中6位、ウズベキスタンの第三戦で19人中3位。二週間に一度の連戦で減量疲れがあったが、二次予選終了から決定戦まで時間が空いた。程良い緊張感が切れるかもしれないとおそれる代わりに、もう一度体を作り直し疲れを癒すゆとりの時間になった。


 58kg級代表決定戦終了後、数時間を置いておこなわれたグレコ63kg級代表決定戦直前、元木康年(自衛隊体育学校)は皆が集まるアップ場の、試合場を挟んで反対側、マットもないスペースでコーチ、パートナーと三人きりだった。試合に向けて高ぶる心は、様々な記憶と想像で揺れそうになる。戦うために揺れる心はいらない。揺らさないように、見つめるのは何分か後に対峙する試合だけと決める。
計量時の元木 前日の計量のあと、元木は計量会場のマットの上で弁当を広げた。保温用の弁当箱には妻が作ったおじやが入っていた。「結婚してよかったのは、こういうところですよね。」栄養士に相談して消化がよいものを用意してくれる妻へ、感謝の言葉がまっすぐに出てきた。元木は1年前に結婚したが、まだ式を挙げていない。子どももしばらくつくらないつもりだ。オリンピックがあるから、それに集中したいと言う。
 二十歳になってからレスリングを始めた。そのため、レスリングの経験年数は対戦相手である八歳年下の平井満生(綜合警備保障)よりも少ない。子どもの頃からレスリングを始めた若手に自分が勝るには何をするべきか。レスリングに触れてきた経験で相手を凌駕することはできない。量で追いつかないのであれば、質を高めて追いこすほかない。
 年末年始の合宿中、ビデオがおいてある部屋に一番長くいたのは元木かもしれない。食事の前、食後、お風呂に入ったあと。会議室の前を通るたびに彼の姿を見かけた。そして「かみさんに怒られるんだけど。」と苦笑いをしながら前置きをして元木は言う。「ビデオ魔と言われるくらい四六時中ビデオを見てます。」


58代表決定戦 笹本vs西見 58kg級の決定戦で対戦する西見健吉(自衛隊体育学校)と笹本のこれまでの結果は五戦すべて西見の勝利。だが笹本は怯まない。相手の手の内は見えている。お互いに知りすぎているほどだ。そのための対策も立ててきた。今の自分には、若さと勢いだけではなく冷静な分析と判断力がある。五輪二次予選での経験が確かな力となり自信となった。今までは強引すぎてポイントに繋がらず、みずからの失点へと転がった。今度は違う。
 がぶられても慌てずに身体を入れ替える。西見が得意にする腕取りへの対策も確実に稔った。試合終了時、その違いが2−7で勝利という結果に結びついた。


63 元木vs平井 63kg級の代表決定戦。自衛隊の応援席から太鼓の音が鳴り響く。元木は叫び声をあげ揺れそうになる心を元に戻す。
 元木と平井は序盤からお互いに反り投げを試みる。先に仕掛けたのは平井。元木は身体を翻し1失点にとどめる。続けて元木が強引に振り回す。平井が肩を返せないまま投げられ3点。序盤の攻防が明暗を分け、4−2で元木が勝利する。


 代表決定後、笹本は「たぶん、嬉しいです。」と繰り返した。オリンピックでも「じゅうぶん上位にいけるだけの力を自分は持っていると思う。」と言い切った。


 元木は、自分の勝利が確定し五輪出場がきまったとき、「腰が抜けました。」とマットに座り込み、立ち上がってから応援席に向かってガッツポーズとともに雄叫びをあげた。そのとき初めて、雑多な思いで心が揺れるのをそのままにした。

決定戦後の記者会見で。左から笹本、高田強化委員長、元木


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レポート:横森綾 写真:石渡知子・横森綾