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シドニー五輪フリー最終予選&アジア選手権

中国桂林遠足日記−5


■チャイナドレスは赤と黄色のどちらが美人か迷う4月28日(金)

北朝鮮の58kg級リ・ヨンサム(左)と54kg級ジン・ジュドン▼朝、試合が始まる前。アメリカのフリーチームコーチ、ブルース・バーネットが会場に姿を現す。3月末、五輪二次予選の最終戦、エジプトはアレキサンドリアで知り合いになっていたのでご挨拶。知り合いになったきっかけは、飛行機のチケットがまだ手元に戻らないと一緒になって問い合わせをしたことから。チケットのリコンファームをエジプトのレスリング協会へ依頼したのだが、なかなかチケットが戻ってこなくてホテルのロビーでふたりしてまだかまだかとウロウロしていたのだ。私のこと、覚えていますかと尋ねるとミッキーマウスのように唇の端をきゅいっと上げた笑顔を見せてくれてから「覚えてますよ。」よかった〜。アメリカのコーチはヨーロッパ選手権も見に行ってるだろうから、いろいろ聞きたかったんだ。そのバーネット、到着するなりFILA役員に「北朝鮮は?」と質問。やっぱり、気にしてるのはあそこなんだな。

田南部(左)とジュドン(北朝鮮)▼アジア選手権になったら、一昨日の五輪最終予選での張りつめた雰囲気が幻だったように呑気な雰囲気がただよう。そんななか、相変わらず殺気がぷんぷんしていたのは北朝鮮の二人。54kg級のジン・ジュドンと58kg級のリ・ヨンサム。午後の試合前、アップ時に54kg級のジンは田南部とスパーリングをしていた。田南部とジンは、ほとんど会話が通じないにも関わらず仲がよい。ジンは右手の親指を指して「チカラ」と言い、薬指を指して自分であると示してから親指を床に、薬指を天井になるように右手を傾け「オレの方が強い。」と主張。その右手を見て田南部「オレ、舐められてるから。」と苦笑い。

小幡ラストマッチ▼130kg級の3位決定戦。小幡@130の引退試合になる。小幡の五輪に関わるキャリアは1988年のソウル五輪から。あれから12年、ずっと日本の最重量級トップクラスできた。去年の世界選手権の時も、これが最後と何度も言っていた。シドニー五輪への出場権がとれなかったいま、この試合が現役最後の試合。試合前、セコンドにつく佐川コーチが小幡のレスリングシューズにマジックで何か書いている。左足に「闘魂」右足に「2000/4/28」。メモリアルシューズですか。最後の試合はイランと。残念ながら勝てずに終わったけど小幡の顔はなぜかすっきり。

▼決勝戦が進行していく。合間に階級ごとに表彰式。エスコートのチャイナドレスのお姉さんを見て、日本チームのみなさんは赤いチャイナのおねえさんの何人目がいいかで言い争い。どうやら和田と小幡@130だけ湊意見が食い違うらしい。しかしどの意見にも私は不服だ。我慢しきれず、隣に座っていた小菅に「ねえ、黄色いお姉さんが一番綺麗だよねえ。」と金色に近い色のチャイナを来ているお姉さんのことを言うと「そうですよね。自分もさっきからそう思っていたんですよ。」と強く頷く。赤いチャイナも黄色のチャイナも明らかにモデルねーちゃん。歩き方が違う。笑顔が違う。しかし、その中でも黄色のチャイナのねーちゃんたちは他とレベルが違う。

黄色いチャイナのお姉さんと横山(左)と伊藤トレーナー▼横山が表彰台へ上がるので、下へ。横山は日本チームから唯一3位に入賞し、表彰台に昇るのだ。横山の表彰式の写真を撮ってから、おねーちゃんに声をかけて写真を撮る。きれーなねーちゃんだぁ。あーあ、トレーナーの伊藤さん、きょろきょろしちゃってるよ。

▼全試合終了後、今日こそはちゃんとリザルトをもらわねばならないので、再び記録を清書しているマシンルームに押し掛ける。どうやら中国協会も私の顔を見るとリザルトはないと言い張るのを諦めることにしたらしく、コピーをくれる。が、チームリザルトがない。今日になって現れたイランの新聞社の北京支局の人と一緒にチームリザルトはないのか?と詰め寄るのだが、どうやらこの部屋には本当にないらしい。

北京ダックと踊りのバンケット会場▼ホテルからバスに乗ってバンケット会場へ。なぜか座席を指定されている。FILAの役員席の真後ろのテーブル。明らかに場違い。あの〜、いつもプレスはこんな待遇されないのでこまっちゃうんですけど。それでも北京ダックなどの豪華中華料理の数々はおいしかった〜。そして、舞台上で繰り広げられている歌と踊りの数々。民族舞踊を踊ったりしているうちは驚かなかったが、「青いうさぎ」@酒井法子で浴衣を着たおねーさんたちが盆踊りとも何ともつかない不思議な踊りをされたときには面食らう。

左から関川、和田、小管。関川に頭を押さえられているのが横山▼バンケット会場からバスに乗り再びホテルへ。明日は日本チームより早く出発しなくてはならないので、慌てて荷造り。不要品をいろいろと処分。それから、ドクターへ借りていたミノルタのカメラを返すためにロビーのラウンジへ。カメラ返却をコーチ陣のテーブルにお願いすると、隣では妙に盛り上がっているテーブルが。そこはモンゴルチームの酒盛り。よーく見ると、何の違和感もなくとけ込んでいる小幡弘之。モンゴルチームの選手にちょっと飲んで行けと誘われ、一杯だけならとテーブルにつくと小幡が「ちょっと寂しかったんだよ。」嘘だぁ。注意しないと一緒にいるのが分からないくらい馴染んでたぞ。58kg級の選手に「この人、和田が勝ったら泣き出したんだよ。」と言われる。写真を撮っているとき、ずっと隣でビデオを撮っていたので一部始終を見られていたらしい。(^-^;

■余韻を楽しめずに終わる4月29日(日)

▼早起き。フロントで電話代精算。桂林→広州の飛行機で、アメリカ、フリーチームのコーチ、ブルース・バーネットと一緒になる。空港ロビーでもレポートをまとめている。なにをしているのかとたずねると「ホームワークだよ。」熱心だなあ。アメリカの選考会の話、ヨーロッパ選手権の話をめちゃくちゃな英語で質問。だって、気になるんだもん。サイキエフ兄弟のはなしを聞き出そうと気持ちだけは必死。

▼サイキエフというのはロシア代表の兄弟。兄がブバイサで弟がアダム。兄はアトランタ五輪の74kg級金メダリスト。弟は昨年76kg級での世界デビューで世界チャンピオンに。グニャグニャとゴムのように足腰が動き、独創的な展開のレスリングが特徴。カッコいーんだ。去年の春先、和田がロシアの合宿に参加した頃にはもう、どちらかが階級を上げて兄弟で二階級制覇をしようという話が持ち上がっていたらしい。それが今年、ようやく実現しそうなのだという。今年のヨーロッパ選手権には弟が85kg級に出て優勝したが、76から85にいきなり上げて、きつかったんじゃないか?と言ったら「簡単に優勝してたよ。ベラルーシにちょっと手こずったが。」通常、2年は懸かると言われる階級変更もサイキエフにとっては、一階級上がったくらいではなんともないんだな。

▼バーネットのスケジュール帳を見せてもらうと、ほぼ毎月、世界各地へ視察。お疲れさまです。でも、これが仕事なんだよね、コーチというのは。広州でバーネットはソウル行きに、私はその数時間あとの大阪行きへ。待ちくたびれた果てにようやく搭乗するが、なんと機械の故障でフライトが遅れる。そのため、大阪へついたときには、国内線の乗り継ぎのために広い関空を走る走る。日本に帰ってきたんだぁ。桂林に行ってきてよかったぁ。などの感慨に浸っている暇はなし。きぃ〜〜!!今日中に東京の家まで帰れるのか?


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レポート&写真:横森綾