矢野倍達 インタビュー


練習風景 『戦うのが好きなんで』と矢野倍達はよく口にする。専修大学のレスリング場で、暑さと厳しさで顔を歪めながら練習する学生の隣で、矢野は終始ニコニコと笑みを絶やさずに練習している。

 1975年生まれ。極真空手の大山倍達にあやかってつけられたその名前とは裏腹に野球少年であった。地元、奈良の野球名門校、天理高校を目指すが受験に失敗。甲子園を目指すことを諦めていたとき、恩師の勧めでなにげなくレスリングをはじめる。高校三年時には三冠王を達成。鳴り物入りで専修大学へ入学。大学入学後も次々とタイトルを制覇。大学四年時には全日本学生選手権でグレコローマンスタイル、フリースタイルの双方のタイトルを手にする。

 通常のレスリングエリートの歩む道は、大学卒業後、公務員や準公務員になり、レスリングに専心できる環境を選ぶ。ここ数年の不況で、かつて金メダリストを排出したような一般企業のレスリング部でさえも活動を停止している状況だからだ。しかし、矢野は敢えてレスリング部の無いごく普通の企業の会社員となる道をとった。しかも、レスリングを辞めないままで。

GCMコンテンダーズの小路戦 練習環境はどうしても悪化する。残業なども重なると十分時間が取れず、体調管理も難しい。その厳しい状況の中、矢野はレスリングだけではなく、総合格闘技と呼ばれる新興の分野でも戦うことを選択する。5月、長崎で初めてのバーリ・トゥード戦。その総合デビューは、レフェリーストップによるTKO負けという苦いものだった。打撃によって意識を失い負けた。そのダメージから、しばらくはレスリングのあわただしいスケジュールをやりくりしてまで、総合への出場はしないのではないだろうか?長崎での結果を聞いたとき、浅はかにもそんな感想を持った。

 しかし、矢野は自分の戦うフィールドを広げる行為をとどめようなどとは微塵も考えていなかったらしい。八角形のリングに金網を張り巡らしたオクタゴンでUFC-Jリアルジャパンチャンピオンを決定するトーナメントへ出場することを決めた。UFC-Jの記者会見で『日本一強いサラリーマンになりたい』と矢野は抱負を述べた。

 10月2日に東京ベイNKホールで予定されていた大会が会場はそのままで11月14日に延期されるというアナウンスのあった翌日、彼の母校、専修大学をたずね、戦うのが好きなサラリーマンの実態を語ってもらった

 
 

インタビューに答える矢野―― 『倍達』という名前のこと、必ず聞かれると思うんですけど。

 オヤジが大山倍達のファンで、勝手に出生届に名前を書いてもって行っちゃって。ばーちゃんが『こんな名前で虐められる』て泣いていたらしいですよ。虐められなかったですけどね。

―― やっぱり空手をやらされていたんですか?

 いや、少林寺やらされてました。オヤジは少林寺の先生やってるんですよ。変わりもんですね。中学のころはちょっとやんちゃしてて。ちょうど『ビーバップ』とかもはやってましたし。田舎ですからまあ、ケンカする程度ですけど。中ランと、すごい太いズボンと金髪。めっちゃ野球部だったので金髪にしたりしなかったり、坊主とかになったり。

 高校入って、しばらくスプレーとかで黒く塗って行ってたんですよ。スポーツテストで1500走ってたら、どんどん落ちてくるじゃないですか。やばいなあ、と思ってたら案の定。添上高校て、すごい恐い高校で。体育教官室でボコボコにされて。マジかあ?と思って。そんでまあ、レスリングすぐ辞めてやろ、と思ったら勝ってないんですよ。悔しくて。で、はまって。それにのっていつの間にかチャンピオンに。規則正しくプロテイン飲んだりして。毎日が練習。

 野球は本当、続けようと思って天理高校受けたんですけど落ちたんですよ。やることない、どうしようかな、と思ってたら、中学校の仲良かった先生が『とりあえずココ受けて見ろ、でレスリングやってみたら?』やることないしいいか、て入ったら勝てなかった。それまでレスリング、見たこともしたこともないです。はじめは『ドロップキックいいんですか?』とか言ったり。48キロの人とかにも勝てないんですよ。でも、やったら強くなるじゃないですか。ウェイトとかも上がって行くし。周りも、よくやった、て誉めてくれるし。新聞とかだんだん強くなっていけば載るし。面白くなってきて。でも家族は勝手にしろ、でしたね。試合見に来たことないですからね。かえってやりやすかったです。小学校くらいから門限とか勝手にしろ、て感じです。

 よかったですよレスリングやって。ホントです。レスリングで人生救われましたよ。いっぱいいますよそんなヤツ絶対に。殆どそうですよ。大学これるなんて思ってなかったです。

―― 中学卒業のときは、体重何キロくらい?

 いや、軽かった。60、いや70キロくらい。それから10キロくらい増えて。高校卒業のときは74で。大学入ってすぐ、春の新人戦で82になって優勝して。新人戦の場合、優勝すると、次、もう同じ階級には出れないじゃないですか。だから90で出て、90でも優勝して、100出て。すぐ体重が追いついてきて。次、130も出ました。130ダメでした、3位でした。大学のときは一時97くらいあったんですよ。でも、まあグレコとフリーで大学チャンピオンになったときは90くらいだったんですよ。でも、あんなのマグレですよ。グレコはまあ、優勝できるかなあ、たぶん優勝かなあ、と思ってましたけどフリーはほとんど延長でしたから。自分のペースに巻き込んで。

練習風景―― 高校のときは勝てないのが悔しくてレスリングを続けてチャンピオンになって大学へ行って。レスリングをやめようかな?と思ったことあります?

 大学はありましたね。やっぱり1年のとき辛かったですね。上下関係が。今そんなのないですけど、すっごい厳しかったです。長州力とか馳さんが作った伝統がずーっと何十年と生きていて、朝、『おぉはぁよぉ〜』とか歌で先輩を起こしたりしなくちゃいけなくて。自分らのとき、自分以外全員逃げたんですよ。あまりにも厳しくて。自分一人になって。気づかなかったんですよ。国体行って帰ってきたら一人だった。帰ってきたら皆いなかったですよ。同期がいなくなっちゃったから、一人で全部屋の掃除したりして。授業も全然行けなくて、やばいなこれは、と思いましたね。そのあと一人か二人帰ってきて結局三人くらいになって。自分のとき、全国チャンピオン四人入ってきてかなり強かったんです。強くなるなあ、と思ってたらいなくなっちゃって。

 権瓶さんて厳しい人がいたんです。学生チャンピオンだった人。強かったですねえ。そのあと新日本プロレス入って死んだ人。でも、自分は最初随分かわいがられていたから。一緒に合宿も連れて行かれたり。みんな合宿行ってるのに二人で草津とか連れていかれて。恐い人でしたね。優しかったですけど。そっち方面ちょっと知ったのもその人のおかげでもあるんですけどね。

 それでも、いかんせん練習してなかったですからねえ、うちの大学は。はじめは『こんな程度でいいの?』てちょっと心配だったのに、だんだんそれに慣れてきて。周りのヤツに悪いんですけど、よくオレが優勝できたなあ、おまえら何やってんねん、て言いたくなる。日体、国士とか日大とか自分らに負けるじゃないですか。自分とか、ほんと、大学なんか、そんな全然やってないですからはっきり言って。桜庭さん(桜庭和志・高田道場)みたいなもんで、一日スパーリング一本とか。

 高阪(高阪剛・リングス)さんは、自分が大学チャンピオンになったころから専大へ練習に来だして。秋山準(全日本プロレス)さんと高阪さんが専大で同期で、仲良くて、秋山さんが連れてきて。秋山さんたちは自分より8コくらい上です。まあ、自分はケガしてたんでそんなにやらなかったんですけど、仲良くやって。強かったです。高阪さん、ちょっと川合達夫っぽい(フリー85kg級代表)、粘りづよーい感じの、かかったらググッと来るような感じのパワーがすごかったですよ。中からタックルとったの一回とられちゃいましたからね。

―― いま、ちょっとレスリング思うように出来てない、というのがあるじゃないですか。

 やりたいですけどねえ、しょうがないです。わかってて会社に入ったんですから。こうなるやろなあ、というのは。

―― でも、今日、練習見てて『楽しそうに練習してるよなあ』て思ったんですよ。ずっとニコニコしてるし。ホッとします?土曜日で。

 ゆっくり出来ますしね。それに、10月2日の試合が延びたじゃないですか。かなりスケジュール混んでてカツカツでやってたのを、それがちょっと今日は余裕を持って出来たかなあ、と。だいぶ楽になりましたね。総合始めてほとんど経ってないじゃないですか。だから、やればやるほど慣れてくるんで。時間があればあるほど得ですね、自分にとっては。

練習風景―― 普段サラリーマンの生活してるじゃないですか。月曜日から金曜日まで会社に行って。月曜日て、ひょっとして朝、朝礼とかやったりしてます?

 あります。8時40分くらいから50分くらいまで。長かったら9時10分くらいまで。会社はNECの半導体をSONYへ売り込む商社です。テレビのVEGAとかの部品部分を売ってるんです。全然わからないですけどね。(笑)お客の方が知ってますよ、ほんとに。仕事は8時50分から夕方5時まで。なるべく早く帰るようにしてるんですけど、最低7時にはまあなります。勤務地は田町。飯田橋までは30分くらい。8時くらいまでには練習に行けるようにしてるんですけど。
 仕事のあと飯田橋で11時くらいまで練習して、メシ食って寝て、朝早く起きて。今度、アルティメット出る、て決まったんで、朝も5時半に起きて6時半からボクシングやってるので。まだでも、7回目とかです。会社から近いから五反田の渡辺ジムでやってます。とりあえずは打撃に慣れたい。また、顎がどうしても上がっちゃうので、それを直したい、ていうのありますね。

―― 昔やってた少林寺の記憶だとか、ケンカの記憶だとかは役に立たないですか?

 ケンカは役に立たないこともないかもしれんけど、いやあんまり…ダメですね。少林寺は役に立たない。(苦笑)やってるから、よけい突きが変になって。おかしい。力が入ってる、て言われます。ちゃんとしたパンチ打てないです。

―― 7時であがれるときはいいですけど、どうしてもあがれないときは?

 それはもうしょうがないですよね。10時に会社閉まるようになってるんですよ。だから、10時には帰って、走るようにして。家も遠いです。1時間20分かかります。基本的に決めてるのは、飲み会とか接待とか酒飲む日は休日で。営業マンは飲むのも仕事なんで一週間続いたらしょうがないなあと。すごかったのは去年の忘年会シーズン。毎晩飲んで体がおかしくなりそうで。さすがにそういうときは朝5時に起きて走ったり。全日本選手権のちょうど一日前も飲み会で。やばいなあ、と思って。幹事だったんで計量だけ行って、帰ってきて酒飲まないでついで。大変でしたね。

―― 会社は、レスリングに出たりプロの試合に出たりするのも業務に支障がなければいくらでも?

 いや、会社に何も言わなくて勝手に出てるんで。会社の人も知ってる人は知ってるんだけど。プライベートでやってるから、て感じですね。とりあえず働いてるから。でも、放送されても気づかないんじゃないですか?

―― 営業だと、ひたすら低姿勢で行ったりすることが多いでしょ?

 いや、もうずっと低姿勢です。お客様は神様です。(笑)

―― それ終わって、練習とか格闘技で、切り替わりとか平気ですか?

 いや、あんまり。あんまり気にならない。汗かいて、ああ、いいなあ、くらい。逆に、それまで溜まってたのが発散されていいかなあ、くらい。それでも難しいですね。会社に入って、はじめはすごくきつかったですね。体重も10kgくらい落ちましたね。
 今、体重をわざと増やしてるんですよ。アルティメット出るからと思って増やしてて、でも日程が変わって国体が先にあるからまた下げなくちゃいけなくて。プロとなるとまた違いますねえ。キツイです。疲れてきた。(笑)肉体的にも疲れますし、やっぱ、しんどいですよね、心の。だるいなあ、と。

rjw記者会見―― なんで始めようと思ったんですか?サラリーマンとレスリング、さらに総合の三足の草鞋は。

 レスリングは、まあ、当然やっていきたいなあ、と思ってて。コレはいつの間にか。いつの間にかですねえ。佐久間(青学大レスリング部コーチ)がRaW(リアル・アオヤマ・レスリング)でコンバットレスリングに出よう、て言って、去年の11月にコンバットレスリングへ遊びで出たときからです。あのとき慧舟会にいた阿部さん(阿部裕幸・RJW)が大会に来ていて、RJW(リアル・ジャパニーズ・レスリング)というのをやらないか、と声をかけてきたのが始まりでしたね。いつの間にか足つっこんでて、そのまま、もう。
 興味はなかったんです全然。総合とかまったく知らなくて。ホント、知ってたんがヒクソンとか猪木とかそれくらいです。安生さんとかも知らなかったですから。いろいろ練習いって、ああ、面白いな、てなって。本格的にやりだしたのは5月くらいからですね。

―― 打撃、恐くないですか?5月にカーンと行かれちゃってるでしょ?(5月、長崎VTでTKO負け)そのわりには怖がってないような。

 恐いですよ。殴られたら恐い。でも、あれ憶えてないですからね。(笑)始まって、首が痛かったんでまずタックルが入れなくて、首投げいこうと思ったら、膝が入ってあっと思ったら離れてしまって、そこをバーンと。そこでレンチをボンと。立ってタックルいこうかと思ったら、止められてた。なんか気づいたら、あれ?と思って。いやあ、もう、悔しかったですね。畜生と思いましたね。そのとき悔しかったからもう一回やろう、と。
 やる前は結構、余裕と思ってたんで。ホント首はやばくて、もう動かなくて、まずいなあと思ったんですけど、この首でも何とかなるやろと。大会の五日前くらいの練習のときに、ガブり返しの巧いヤツに完全に決められて、おわったぁ、と思って。もう5ヶ月くらいずっと痛いですね。

―― 長崎からUFC-J決まるまではまたレスリングの練習に戻ってたんですか?

 いや、首がもう全然ダメだったんでウェイトとか、軽く走ったりとか。社会人選手権のころは軽いスパーリングやるくらいで。すぐは…実践は合宿くらいからですね。お盆あたりから。総合の練習とか、あんまりそういうのやってないです。両方とも。レスラーの場合、バランスはいいでしょうけど、打撃、やっぱ打撃ですよね、こわいの。

―― 打撃とか適応力あると思います?

 わからないですね、こればっかりは。やってみないと。攻め方決まってますから。ガーッと押し込んで上になって殴りに行こうと。ひたすら殴ると。関節技なんか出来ないですよ。練習で極まりますけど、でも違いますから。

コンバットレスリングにて―― あと、言われるのは、万が一相手が後ろに行ったら

 そうなんですよ、下になったときに慌てちゃうんですよね。そうなったときの練習は慧舟会でやってます。宇野くん、高瀬さんとか、一般の人と極める練習。慧舟会の練習結構しんどいですよ。3分で、一般の人とかもずーっと一通り当たって行くんで、20人とかずーっと。
 宇野君はレスリングで同期です。高校のとき、階級も74で一緒だったんです。一応、顔は知っててセンスあるな、と思って。JOC杯、自分が優勝したとき宇野くんは4位かなんかですね。宇野くん、やっぱり強いです。柔らかいですよね。よく教えてもらってます。関節技だと一枚も二枚も上手ですよ。

―― 今回のUFC-Jの話、いつ頃から話上がってました?

 なんか、ほんとテキトーですよ。会社の誰かのお別れ会でカラオケ行ってて、携帯鳴ったんで便所で『ハイ』て取ったら『UFC出ること決まったから。』『あ、はい。』てそれで終わりですよ。8月はじめくらいですかね。UFCてわかんなかったです。なんやろ?て思ってて。『格通』かなにかで高瀬さんがボコボコにやられてるところを見て『あー、これかぁ』と思って。電話をもらった次の日かなあ、それがちょうど出たんですよ。たまたま見てやばいなあと。でもま、いっか、と思って。
 断ろうとは思わなかったですね。そのまま、お盆休み全部取って専大の合宿行ったんです。ああ、合宿行こう、と思って。

ufc-j会見―― 今回、うっかりすると、同門対決で高瀬選手とやっちゃいますよ。

 そうなんですよねえ。やりにくいですよねえ。実は高瀬さんが出るの知らなかったんですよ。記者会見に行ったらいたんでびっくりしました。そういうの全然入ってこないですね。記者会見のとき、坂田さんとか尾崎さんとかびっくりしてましたからね。『会場どこですか?』とか聞いてたら。でもなんで自分だったんでしょうねえ。全然わからないですねえ。そこらへん。
 高瀬さんは自分が出るの知ってたみたいで『いやあ、矢野さんいるのつらいっすねえ。飯でも食いに行きましょうよ。』て。(笑)高瀬さん、ふだん電話とかかかってきても『オレ!』とか答えてるし。(笑)ホテルで記者会見のときも『矢野さん、ちょっとネクタイの締め方教えて下さい。忘れちゃったんですよ』て。便所でこうやって二人でやってたら、女の人が子どもを便所に連れて入ってきて。あれヤバイですよ。ホモと思われてましたよ、絶対。高瀬さんはまあ、たぶん一回戦は当たらないと思うんですけど…山本なんかなあ?もう勝ったら嬉しいですよね。向こうは、サイテーですよね。サラリーマンに負けるんですから。」

―― どうします?このままプロ軌道に乗っちゃったら。

 いや、もうサラリーマンですよ。

―― 絶対サラリーマン辞めない?

 わからない、それはわからないですけど、いま辞めると、仕事も全然出来てないのになんか逃げていくようでいやなんです。とりあえず、仕事とか納得できるくらい出来るように、課長とかを言い負かせるくらいになってから辞めたいですね。まだなにやってるかわからないですからね。宇宙語みたいですから。
 上司がすごい、仕事できる人で。ミュンヘンオリンピックに出た、道場に写真があった加藤さん(加藤喜代美・ミュンヘン五輪フリー52kg級金メダル)ていうひとはレスリング上がりで役員なんですけど、すごい仕事できるので、その人に、勝てないと思いますけど勝ちたいです。すごいカリスマありますよ。その人みたいになりたいな、と。」

全日本選抜にて―― どこまで継続してやっていきます?やっぱり、悔しい気持ちがなくならない限りは総合もやっていきます?

 今度のUFC-Jの具合じゃないですか?でもたぶん、辞めないですよ。レスリングとか、これは。レスリングやってなかったらろくな人生じゃなかったですからね。絶対そうです。会社とかも絶対行けてないし大学も行けてないし。
 でも、レスリング勝てなくなってきましたからね、正直言って。体重落ちちゃいましたけど、まあ、やっぱり、一応、最後の最後なんで、とりあえずフリー97kg級でシード権あるじゃないですか。オリンピックの最後に関わっていこうかな、オリンピック行こうかな、と思ってるんですけどね、分からないですけど。いや、でもオリンピックが終わってもレスリングは続けますけどね。とりあえず、楽しくレスリングやろうと。
 電車の中でオッサン見たら、この人、帰ってなにやるんだろうか?みたいな人おるじゃないですか。なんかやることほしいですね。サラリーマンとしてはやっぱりミュンヘンチャンピオンの加藤さんみたいになりたいですね。
 総合はいまいち目標が…まあ、間近で宇野君とか、小路さんとか。やってみたくはないですけど、あのくらいになれたら。

―― 記者会見の場で、最後に言った『最強のサラリーマン』というキャッチフレーズはいいですね。前から考えてたんですか?

 いや、その場でポンと。そういう感じの気持ちていうのはありますけど。とりあえず、いろいろアピールできるじゃないですか。チャンスといえばすごいチャンスですよ。ま、我慢して。あと一ヶ月くらいでぱっとやろうと思ってます。桜庭さんみたいに言いたいですよね。『プロレスラーも強いですが、サラリーマンも強いんです。』て。
 ホントはデートとかもしたいですけどね。でも我慢して。だからホント、飲みに行く日が休みとか言っても上司とかいて気を使って、全部するから、休みないっすね。プライベートなくなりますね。
 最近、結構好きな子出来たんですよ。綺麗ですよ。カワイイ系です。試合にも勝って、その子にも勝たないと。今回も出る、てたぶん知ってると思いますね。チケット渡そうかなあ。


1999年9月11日:専修大学体育寮にて収録
インタビュー:横森綾、井田英登
構成:横森綾
 
写真
コンバットレスリング、RJW道場開き、全日本選抜:横森綾
Contenders、UFC-J記者会見、練習の様子:井田英登