オリンピックトライアル開始直前
和田貴広インタビュー

明治乳業杯全日本選抜選手権
1999年4月17日(土)18(日)。両日とも午前9時半試合開始
17日は予選リーグ。18日は決勝リーグと決勝戦(お昼頃から)


 リンピックトライアルが始まる。2000年シドニー五輪への出場権をかけた争いが始まる。

 レスリングの五輪出場権は、国の代表になるだけでは得られない。毎年開かれる世界選手権と違い、前もって指定された国際大会で上位入賞を果たさねば出場権はない。来年のシドニー五輪への切符を最初に手にするチャンスは今秋の世界選手権で上位入賞すること。

 和田貴広。1971年生まれ。174センチ。レスリングは鹿児島商工高校時代から。国士館大学へ進学後、頭角をあらわし始め、コーチとして招聘されたセルゲイ・ベログラゾフの薫陶を受け記録を伸ばす。1996年のアトランタ五輪では金メダル候補と騒がれたがメダルには届かず4位に終わる。五輪終了後、しばらくの休養期間を経て第一線に復帰。現在でも国内では圧倒的な強さを誇る。昨年、和歌山県教育庁に就職後、和歌山でのトレーニングとあわせ、仕事の合間を見ながら上京、母校の大学へも出かけて練習を積む選手生活を続けている。

 昨年11月、アジア大会代表を辞退し思わしくなかった左膝の手術に踏み切った。12月末の全日本選手権には今までの63キロから69キロへと階級をアップしてエントリー。が、術後の経過が思わしくなく、結局試合には出場しなかった。

 全日本選手権に出場しなかったことで、実に久しぶりに全日本チームから外れた。全日本チームから外れると、合宿への参加資格もなく、国際大会への遠征もすべて自費でおこなわねばならなくなる。だが、「無理をして膝をまた悪くするより、きちんと直して世界選手権へ」、そして、その先のオリンピックへ。和田の見つめる先は揺るがない。

 階級の変更以後、2月に米・コロラドスプリングスで行われたデーブ・シュルツ・メモリアルに参加。風邪を引き、食事も満足に採れない状態ながら2位に入賞。69キロ級の試運転としてはまずまずの滑り出しだった。

 五輪まで遠いような近いような。和田の69キロ級の実績はまだ満足なものではない。そして、ここ2年ほど目立った国際成績も残せずにいる。が、その得点能力の高いレスリングは、相変わらず外国選手からもマークされる存在でありつづけている。

 階級アップ表明後、国内では初めての試合となる4月17,18日の全日本選抜選手権。世界選手権への代表者選考会も兼ねているこの大会にむけて、かつての師、セルゲイがヘッドコーチを務めるロシアのナショナルチームの合宿で調整を終えて帰国。混乱期にありながらも強さを誇るロシアのレスリングの様子を話してもらった。



−−おかえりなさい

「無事に帰ってきましたよ。」

−−航空券は大丈夫だったんですか?出発前に一枚しか入ってないと不安そうでしたが。

「大丈夫でしたよ。全部バッチリでした。行ってから予想外の出費とかあるかな、と思ってたんですけどそれもなくて。」

−−全部で3週間でしたっけ?

「3週間無いですね。19日くらいですか。行ってその日はセルゲイとうちの女子レスの子がいて、セルゲイの家に泊まって。次の日、グレコの試合を見に行って、その次の日に合宿するところへ移動ですね。」

−−カレリンの試合も見てきたんですよね?

「グレコのロシア選手権を見てきたんですよ。もっと大々的にやっているのかと思ったら、意外にこぢんまりとやってて。大きな競技場に陸上のトラックとかいろいろあって、まわりでいろんな競技のトレーニングしてたりするんですよ。その隅っこにレスリングのマットがあって、そこで選手権やってて。カレリンにも、もっと人が群がっているのかと思ったらそうでもなくて。ひとりでぽつーんといましたよ。時々、子供が寄っていってサインをもらってるくらいで、この間の日本みたいな状態じゃなかったですねえ。試合のほうは、難なく勝っていましたね。僕が参加したフリーチームの合宿の後に同じところでグレコのチームの合宿が予定されていたから、ひょっとしてカレリンとすれ違えるかな?と期待してたんですけど、カレリンだけ若手を連れてブルガリアへ合宿に行っちゃいました。残念でしたね。ロシア協会、レスリングだけすごい建物ですよ。大理石みたいなので、綺麗なんですよ。カレリンの席も見てきました。」

−−合宿の場所はどんなところだったんですか?

「モスクワから50人乗りの飛行機に乗って2時間くらいのキスロヴォーツク(Кисловодск)というところで。チェチェンが近かったんですよ。タクシーに乗っていたら『おまえどこに行くんだ』て止められたりして。『レスリングの合宿に行くんだ』て言ったら、すぐに行かせてくれたけど。」

体育館

−−施設なんかどうでした?

「広い体育館にレスリングマットが8面あって。中はすごく暖かかったですね。日本みたいに、食事がちゃんとそろってて練習場まで送迎して、サウナあって、ウェイトルームあって、そんないいところないですね。質素ですね、向こうはほんとに。マット8面あればそれでいい、て感じで。それほどウェイトトレーニングもやらないんですよ。やるヤツは勝手にやれ、で、やれとは言わないんですよ。」

−−どんなスケジュールだったんですか?

「一日のスケジュールを言うと、朝7時45分からまず45分間。各自ランニングして、そのあと外で打ち込みして、そのあと鉄棒とか懸垂とか腕の屈伸して。その後11時から1時間くらい昼の練習。昼の練習は、マット練習を1時間くらい技術練習としてやるのと、バスケットとかサッカーとか1時間くらいやるのとを毎日交互にやるんです。
 ひどいんですよ、向こうのサッカーとか。バーンとあたったり、倒したり、レスリングバスケットみたいな感じで。羽交い締めにして倒したり。周りの連中も見てるんですよ、ソレ。一対一になったら誰も手を出しちゃいけないんですよ。もみくちゃになって人が持っているボールをガーッと取っていったりとか。
 それで、午後は5時からマット練習を1時間半。
 2日間は朝、昼、夕方の三本立ての練習で、三日目になると午前中だけ練習だとか、午後オフだとか。軽い練習の日が二日あって、最後はオフ。それの繰り返し。
 だいたいスパーリングは一日1本か多くて2本。スパーリングを集中してやる日というのが決まってるんですよ。土曜日がスパーリングの日なんですけど、それはコーチに指名されて、3本くらいですね。それが終わったら、その日の練習は全部終わっていいんです。それがだいたい1時間ですかね。
 時間が短いのは凄くいいと思うんです。集中できると思うんです。やっぱり、時間が長いと、先が長いと気が遠くなっちゃうんで、余力残しちゃうところあるんで。時間短いから打ち込めるところもある。」

−−ずるずると意味のない練習を長時間やったりしない、と?

無意味な練習、僕嫌いなんです。短くても集中して意味のある練習をする方がいいですね。」

−−練習のプログラムはそんな感じにもう出来上がってて?

「紙に書いて張ってあるんですよ。今日はこれをやるとか書いてあって。弱冠、違うところありますけど。」

−−かなりシステマティックに決められた状態?

「そうですね。今回の合宿はコンディショニング的な合宿だったんですよ。息上げだったんです。体を作るっていうかんじで。次の合宿は、もっと技術を多く、スパーリングを多くやるみたいですね。それで試合に行くみたいです。ヨーロッパ選手権のための合宿だったので。」

−−行く前にだいたいこんな感じの合宿だというのは聞いていたんですか?

「聞いてました。」

−−日本じゃなくて、わざわざロシアに行ったのって、やりにくいから?

「なんていうんですかね……やりにくいっていうか……。今、自衛隊(体育学校)とか山梨とか行ったところで僕と当てられる人いっぱいいるでしょ。それよりも次の試合(4月17,18日の全日本選抜選手権)に勝った、と勝手に想定して。逆に言えば、今はナショナルチームじゃないからフリーな時間じゃないですか。合宿に行かなくてもいいし、自分で勝手に計画できて。以前、ロシアの合宿に参加するのをセルゲイにお願いしたんだけど、そのときはキャンセルになっちゃったんで。そのときはまだセルゲイの立場がちゃんと(ロシアの)ナショナルチームでできてなかったから、実現できなくて。今度は条件が揃ったから行ってみよう、と思って。」

−−ロシア以外だとどこの国の選手とか来てました?

「ロシアだけです。でも、ウクライナのジャージ着てたヤツもいたし、どうなってんですかね?」。

(合宿中に撮った写真を数葉見せてもらう。和田とセルゲイ・ベログラゾフと一緒に写っている写真。ロシア人の選手数名と一緒の写真。マット上で技術的な練習をしているそばで、セルゲイの兄、アナトリーが練習を見てくれている写真など。)

−−ホントは違ってたりして。セルゲイも日本のジャージ着てるし。

「そうそう。文句言うみたいですよ、他のコーチが。でもセルゲイは『品質がいいから着ているんだ』て言ってますけど。ロシアだとジャージは年に一回しか支給されないんです。だから、セルゲイの着ているような日本のジャージほしいみたいです。だって、セーターとかで練習してますからね。厚手のセーターで。でも、日曜になるとあいつらバシッと決めて出かけて行くんですよ。くろーいね、たいてい黒ですね。黒い革靴にね、黒のジーンズにね、黒の革ジャン着てね、黒のシャツ着て出かけてきますよ。やっぱりかっこいいなと思いますよ。僕なんて着たらチンドン屋ですけど。」

−−そうですか?(確かにいつもジャージ姿だが(^-^;)

「だからジャージで行ったんですよ。アメリカへもジャージだったし。スウェットだったですけどね。」

−−全部で何人くらい参加の合宿だったんですか?

「120人くらいです。合宿の前にあったロシア選手権で1位から6位までの選手に参加資格があるんですよ。1位から3位までの選手にはレスリング協会からお金が出て、4位から6位はそれぞれの所属しているスポーツクラブからお金が出て。それ以外の選手はお金を自分で出して。」

−−去年の秋に世界チーム戦で来日した選手もいたんですか?

「いましたよ。自分がこのあいだ日露戦でやったヤツなんて、ベスト6に入れなかったみたいですけど。でも、ロシアはほんとうに1位から6位まで、誰が1位になってもおかしくないくらい僅かな差しかないですから。いくつかダントツに強い選手のいる階級もありますけど。実際、あの時はチャンピオンじゃなかったけど、チーム戦に来ていた選手の中から合宿前のロシア選手権で3人優勝してましたよ。」

−−厳しいですね、ロシアは。国が分裂したり、経済状態が悪かったりして別の意味でも厳しい状態だと思うんですけど、層の厚さは相変わらずなんですね。

「ロシアだと、ジュニアの段階で20歳までがいろんな経験だとか、テクニックだとか、体力だとかをつける期間らしいんですよ。20歳越えたら、もう結果出さなきゃならないらしいんです。20歳から24歳、理想ではそのあいだに世界に飛び出して結果を出さなければならない時期と考えられているようです。
20歳までの段階は、いろんな経験を積んだり、負けてもかまわないから、やらせる時期らしいです。そんなふうにジュニアからシニアまでの一貫性というか、このジュニアには何をやらせる、これをやらせる、これが目的だ、ていうのが日本にはないと思うんですよね。だから今、ジュニアが育ってこないじゃないですか。ナショナルチームなんてすごい年齢層高いし。僕なんか上の方ですよ。でも、日本では30過ぎてもトップの人いるし。外国でも30歳を過ぎたトップがいないわけじゃないけれど、あまりにも若手が日本では育ってこない。セルゲイに聞いたら『ロシアは若手が凄く育ってるから先は開かれている』て言ってましたよ。
セルゲイは『ロシアが今落ちてきたから』ていうんです。落ちて来たって言うよりも、ソビエト自体、国がいくつにも別れてきたじゃないですか。だから、いろんな選手が分散していったから仕方がないと思うんですけど、セルゲイはまだ理想が高いみたいで。まだ上に行ける、いい選手がいるからいける、て。シドニーよりもアテネを狙っているらしいんですよ。『アテネの時にロシアチームにはすごくいい選手がいていける』て。それでも今だってロシアから毎年2,3人は世界選手権で優勝してますけどね。
もう、日本のジュニア選手たちもどんどん外に行かせるべきですよ、みんな。経験です。韓国に3月21日から行きますけど 、学生たちは行ったらびっくりしますよ。これがレスリングなのか、て。」

−−合宿に参加してる他の選手たちとはどんな感じでした?

「向こうも僕のこと知ってるんですよ。62(kg級)で、オリンピックの年(1996年アトランタ五輪)とオリンピックの前の年(1995年世界選手権)はロシアの選手を破って勝ち進んでいったんで。『あー、アジゾフ破ったあいつか』て感じで、こんな目で見るんですよ。下から窺うような。でも、一週間かな?いや、4,5日経ったころからかな?しゃべりかけてきましたけどね。『どうするんだ?69にあがるのか?63にするのか?』『まだわかんない』て、僕、69(kg級)に上がるつもりなんですけど63に下げるかもしれない、て適当なこと言って。」

−−向こうも探って来るんですね

「63はアジゾフいるからダメだよ、とか言うヤツがいるんですよ。中には、英語喋るヤツもいて。でたらめ英語ですけどなんとかわかって。」

−−練習してて、向こうの選手はどうでした?

5位とか6位とかの選手でも、全然勝てませんでした。特に合宿に参加して最初の一週間なんて疲れちゃって、どんな弱いヤツにもバッタバタにやられちゃってわけわかんないうちに疲れただけで終わった感じでしたもん。ほんと、よくアジゾフとかに勝ってたよなあ、と思った。」

−−去年の世界チーム戦をスポーツ会館で見たときにも感じましたけど、根本的に考え直さないと日本とロシアのレスリングの力の差は埋まりそうに思えなかったんですよ。日本のレスリングは、ロシアなど世界のレスリングと比較してどんな状態なんでしょう?

「韓国のナショナルチームの練習も行ったことあるし、この間のデーブシュルツメモリアルに出たときは試合前にアメリカのナショナルチームの合宿に参加して練習してきたんですけど、それと比べると、日本は違う方向を向いてしまっているかもしれませんね。いま言った三つの国のレスリングて、それぞれ違うんですよ。アメリカはどちらかというとインファイターで、ロシアは緻密で、韓国はパワーで押し切る感じ。練習の内容は全然違うように見えるんですけど、大まかなところは三カ国みんな同じ方向を向いているみたいなんですよ。」

−−日本だけ世界の流れからはずれているみたいですね。練習の中身とか、かなり違ってきているのが現状じゃないんですか?

「ロシアでもアメリカでも、方法と目的をコーチがよく理解しているし、選手にきちんと説明してます。それに、スパーリングをあんまりたくさんしないんですよ。それって、楽そうに見えるかもしれないけどそうじゃない。技術練習を100%の力で何度も繰り返してやるのって、すごくキツイんですよ。でも、試合に勝つのにすごく役立つからやっぱりやめられないし、一番熱心になりますよ。勝てるんだったら、どんなキツイ練習でもやりますよ。

−−一番違うのは集中力ですか?

「日本と向こうの連中ですか?まず、やっぱり気持ちでしょうね。勝つ、ていう気持ちでしょうね。あんまりこういうの言いたく無いですけど、どうしてもハングリーとか、そういった気持ちありますよね。強いですよね。あと、レスリング知ってますよね。たとえば、勝つポイント。スパーリングとかあんまりやらないんですよ。たとえば、(身振り手振りを交えながら)脚を取ってからの練習とか、脚を取って頭の内側から、頭の外側から、立った状態から、頭ガブったような状態とか、グラウンドでどういう状態とか、そういう練習ばっかりしかしないんです。だから試合のその場面その場面になると強いんですよ。知ってるから。相手がどう動くのかすぐわかるんです。きちんと研究してます。ちゃんと合理的にウェイトもやってるし、力もありますね。でも、僕よくアトランタで勝てたと思いますよ、ロシアのあんな連中。今やったら大違い。」

−−試合に「勝つ」ポイントをきちんと押さえてるんですね。

「もっとポイントを掴んで、選手の調子だとか…日本の選手はどうしても世界の流れというか、相手がどう攻めてくるか、なんでどう攻めてくるのか、こういう時にこう攻めてくるのか、というのがよく分かってないと思うんですよ。技が出来なくても、こういうときにこう攻めてくる、て知っておくだけでも防御になるんですよね。1,2点の差の試合で負けるんだったら、そういうところを補強していった方が絶対に試合に勝てるようになりますよ。」

−−(アトランタ五輪前の)当時は練習方法を変えた方がいいのでは?とか感じてなかったんですか?

「セルゲイがいたからこれでいいと思ってました。もう、セルゲイいるから最高の練習やってると思ってました。」

−−セルゲイが来る前と後で劇的に違ってたんですか?

「ちがいますねえ。前からソビエトのレスリング、すごい興味あったんですよ。学生の時、全然弱いときに、それでも僕、学生じゃ名前は知られているくらいの選手ではあったんですよ。ナショナルチームの選手に簡単にぐちゃぐちゃに僕なんかやられて。で、その日本の代表の選手をソビエトの選手がくしゃくしゃにやっつけるから、何が違うのかな?と思って。なんでああいうときにあんな攻め方するんだろうとか、どうしてこんなときにこういうことするんだろう?とか。セルゲイがきて、それがわかりました。ロシアの選手たちの考えていることが。」

−−階級アップしてから体重増やすのに苦労してると思うんですけど、食事はどうでした?

「キュウリだとか、トマトだとか、チーズだとか。スープがひとつに、肉か魚が一品でて、あとジュースが出たり、ソーセージとヨーグルト出たり。」

−−いま何キロになったんですか?

「減少して69キロです。むこうであの水(炭酸入りのミネラルウォーター)好きになっちゃって、がぶがぶ飲んじゃって。カロリー無いでしょ。でも、いいらしいですよ。掃除してくれるらしいですよ。飲め飲め、ていわれて。買って帰ろうかな、と思ったけど重くなるし、やめとこ。て買ってくるのやめちゃった。向こうにはあんまりカロリーとれるものないし。キュウリとかいっつも囓ってて。」

−−食事の量もそんなに多くなかったんですか?

「無いですね、あんまり。かったいパンとかで腹一杯になっちゃって。」

−−気を使ってお米を出してくれるということもなかったんですか?

「ないないない。自分、日本食を持ってきてる、て言っておいたから。あ、でも一回ありましたよ。」

−−ミルク粥 が出たんじゃないですか?

「あったあった。人だかりができてたから、食べようと思って近寄ったんだけど前にミルク粥は食べたことがあって『オレこれダメだ』てやめました。ミルク粥はダメですね。想像するからダメなんですね。牛乳とご飯が混じってると考えるから。牛乳、てあんまり好きじゃないんですよ。飲みますけど、あんまり好きじゃないんですよ、基本的に。朝飲むと必ずくだりますからね。」

−−乳製品が多かった?

「そうでもないです。バーベキューというか、肉はたまに食わせてくれて。羊の串刺しの 。合宿してたところのそばに、山の上なんですけど、下ってったら街に通じる道があって、公園なんですよ。セルゲイがよく連れっててくれて。セルゲイもね、やっぱりビール飲みたいんですよ。合宿中なのに。本当はダメなんですよ。(笑)」

−−ロシアビールを飲んだんですか?

「ロシアビールです。一回、片道4キロくらいの山登りしたんですよ。そこへ登って気持ちよくなって、すごい汗かいたところにセルゲイがビールを奢ってくれて。ぐったりきました。それからちょっと風邪ひいちゃったんです。汗かいたまま外にいてビール飲んだから。壁に座ったもんだから寒くなっちゃって。『セルゲイちょっと具合悪い』て言ったら『あ、またタカヒロの弱音かな』とか、言って。(笑)それはね、僕が弱音言うと、『Hum,OK?』(セルゲイの顔真似をする)こんな感じなんですよ。だからもう言わないようにしてるんですけど。でも、風邪ひいたら言っちゃいますね。『サウナ行こう』『いいよ』『なんで?』『具合悪い』て。(笑)」

−−よく風邪ひいちゃいますねえ。膝の具合とか、合宿中の健康管理の具合とかどうだったんですか?

「膝はもう、ほとんど気にならないです。そういえば、合宿中は3日おきくらいの食事の時に、テーブルの上にちゃんとひとりずつビタミン剤が置いてあるんですよ。すごいでしょ、そんな気配りまで。」

−−いきなり置いてあって?

「そうです。最初は筋肉増強剤じゃないかと思って、びっくりしましたけど。」

−−レスリング、ロシアじゃ結構人気あるんでしょう?

「セルゲイ有名です。街でも、レスリング関係ない人でも知ってます。最後ね、ロシアの税関を出るときに、所持金をいくら持ってるか書いてなかったんですよ。セルゲイが『300て書け』ていうから、そう書いたんですよ。税関のおじさんの目の前だったから、財布見せろ、て言われて。見せようとしたら、さっきのネームカード活用して『こいつはレスリングのために来たんだ。だから何も悪いことしてないから』てセルゲイが言ったんですよ。そしたら、『バイバイ!』てフリーパスになっちゃって。」

−−さすがロシア。国の体制変わっても同じだ。(笑)

ヤリギンのお墓を参る和田

「あと、ヤリギンのお墓にも行ってきました。モスクワから車で15分から20分くらいのところにあるんです。新しいマンションとかたくさん建っていて、新興住宅地らしいんですけどそのあたりの地名が『ヤリギン村』ていうんですよ。広場に銅像も建っていて。毎日奥さんが花を供えにきているらしいですよ。」

ヤリギンの銅像

−−色々、充実した19日間でした?

「孤独な。(笑)20日ぶりに日本語喋って嬉しかったですよ。ロシア語も結構憶えましたけど、長くはいたくないですね。」

−−練習は練習でその後はのんびり?

「そうですね。でも、練習待ってる、という感じで。時間短かったですよ。あー、もう練習か、ていう感じ。でも時間短いから、やろう!と思うでしょ。もう何時間も長い練習でこうガンガンやられてもほんとにやる気無くなりますけど、短いからやろう、って。」

−−バーニャ(サウナ)にいきました?

「日本からモスクワに着いた次の日に、国士館の女子レスの子と、アナトリーとセルゲイと自分で、貸し切りサウナにいたんですよ。水着着て。ビール飲んだり、楽しかったですよ。きつかったですけどね。正直、サウナには入りたくないんですよ。サウナ好きなんですけど、あれ入ると体重増やしたいのに簡単に減っちゃうから。一番とっつかまって一番上に連れてかれて、叩かれて。きつかったー、ほんと暑かった。(しみじみと)痛かった。セルゲイだと『もういいよ!』て言えるんですけど、アナトリーだと『Сей!(ほら)』とかいわれると、『Давай,ещё!(そらこい!)』とか言って顔もパンパンパンとやられて。ふらふらでしたもん。階段降りられなかったもん。」

−−他にも観光らしいことしました?

アルバータストリートでむこうの絵描きさんに絵を描いてもらったんですよ。セルゲイがいろいろ言ってくれて『日本のレスラーだからこう、ユニホーム描いてくれ。日本の旗を描いて、やせてるけど筋肉質に描いてくれ』て。でも、あっちの人の描いてくれる似顔絵、なーんか違うんですよねえ。」

−−見せてくださいよ。

「今度見せますよ。笑えますよ。いやあ、こんな顔かなあ、とショックでしたよ。(期待してこちらが笑うと)あ、やっぱり見せるのやめよ。」


(1999年3月18日 多摩市内にてインタビュー:横森 綾