Cool Column カレリンの顔
横森 綾
アマレス至上主義者宣言!!
番外編:レスリングへの誇りと敬意 前田 vs カレリン 観戦記


 

 田日明の引退試合。衛星放送と契約をしなくて見られる地上波のCMにまで流れた試合の予告。前田の対戦相手は「人類最強」と形容されたアレキサンダー・カレリンだった。プロの試合はしないと明言していたレスリング界のスーパースターが日本で初めてプロの試合をする。試合をする姿を目の前で見られると言う期待と、打撃のあるルールで何をされてしまうのか?幻想が崩されてしまうのか?という不安と。複雑な気持ちのまま、試合当日を迎える。

 1999年2月21日。珍しくこの日は試合開始時刻に余裕を持って会場に到着。ファンの人には悪いが、リングスの大会でテレビ中継があるときは入場式が長い!という印象が強いため、試合開始時刻より遅刻して到着するのが自分の慣例となっている。グッズなどを滅多に買わないので、それで十分事足りてしまうのだ。だが、今回は別。リングスはいつも写真集のようなパンフレットを売り出すので、きっとカレリンのかっこいい写真が満載のパンフレットが出来上がっているに違いない!勝手にそう思いこんで会場に着いてみれば、グッズ売場には長蛇の列。普段なら列に並ぶのが嫌いなのでとっとと自分の席へ行ってしまうのだが、今回ばかりはなんとしてでも手に入れたい。

 々並んだあげくパンフを入手し場内へ。黒いケースに入ったパンフレットの中身を見る間もなく会場が暗転し、選手入場式。きっとカレリンは参加しないだろうなあ、と予想していた。ところがうれしいことに予想を裏切って入場式にも参加。ロシアのナショナルチームのスウェット姿で入場。花道の奥からカレリンが姿を現した。プロ選手として現れたカレリン。天井近くの液晶モニタに写っている姿を見れば、所在なさそうにリング上でセレモニーが終わるのを待っている。

 試合前に買ったパンフレットを見ることができたのは、大会の試合が半分終了し休憩時間になり場内が明るくなってから。オリンピックの写真、世界選手権の写真、そして、調印式に来日した際の写真。パンフの中に実物大と思われる手形がある。予想通りの巨大な手。前田の手形もあったが、それよりも二周りくらい大きい。そして、単純に大きいだけでなく手の厚みが相当あるらしくペタっと朱肉が付いている範囲が広い。ちゃんこ屋さんで見かける相撲取りの手形色紙とならべても、肉厚で巨大な方に入るのではないか?こんな手で捕まれて組まれたら簡単にはとけないだろうなあ。

 場内の液晶ビジョンにカレリンと前田の紹介映像が流れる。カレリンについては世界選手権で見せたカレリンズリフトのシーン。かっこいい〜世界選手権を見に行きたくなってきた。

 終試合。選手の入場がコールされる。「怪物」というイメージにのっとって選曲されたようなテーマ曲でカレリンが先に入場。入場式と同じくスウェットを着用。カレリンは微笑んでいる。記者会見でもほとんど表情を変えなかった。クールな人だという印象をもった。そんな人でも、今日の会場の異質な雰囲気に左右されたのだろうか?リング下で服を脱ぎ、シングレット姿になる。と同時にどよめく場内。世界最高のレスラーの肉体が噂通りのしなやかさで目の前に現れたことに驚いているのか。しかし、レスリングの試合と違って厳しい体重制限がないため、減量していないカレリンはすこしゆったりした肉付き。当日の朝の計量では134kgだったようだ。

 そして前田の入場。当たり前のように大マエダ・コール。タオルを肩にかけ、たくさんのロシア人セコンドに囲まれてリング上で待ち受けるカレリン。演出された空間をさらに捻じ曲げんばかりの大歓声はどんな風に聞こえたのだろう?


カレリンズリフト3カレリンズリフト1
カレリンズリフト4カレリンズリフト2
 合開始。試合前の予想通り、組み合うことをせずに前田がキックを放つ。スタンドのまま様子をうかがうカレリン。前田のローキック。まったく防御をせずにまともに蹴られている。しかし、表情が変わらないため、効いているのかさっぱりわからない。レスリングの選手にとって打撃というのは肉体的にも精神的にも恐怖だろうと思う。それを、平然とした顔で正面から受けている。キックを受けたことによって混乱して興奮した状態に陥ってもいない。いつものとおりの「レスリング」を進めていく。

 休憩時間の映像でもアピールされていた、全盛期のスピードを取り返したという触れ込みの前田のタックル。カレリンは容易にがぶる。そして、その体勢のまま前田を持ち上げる。タックルをがぶったこと自体は目新しくない。予想できた動きだ。しかしそこからカレリンは前田を持ち上げた。その後、試合中に前田はタックルを試みることはしなかった。

 前田の手首をつかみ、すばやく手前へ引く。首を抱える。そして投げる。または前田の頭をつかんでは引き寄せ腕を抱える。その後、投げられまいと重心をずらすという動きを前田はほとんどしない。さらに、亀になった状態からも簡単に腕を取らせていたので安易に動かすことができた。投げられることそのものが直接勝敗に関与しないケースが多いルールだからなのだろう。そのため、抵抗する相手を投げるという状態で出される場合のリフトに比べ、カレリンのリフト技がレスリングの試合で見られるほどの視覚的、肉体的効果がえられたかといわれれば疑問は残る。

インターバルにロシア勢と
 レリンの足首を前田が捕らえる。きゅいっと前田がカレリンの足をひねる。しかし、カレリンは実に冷静だった。自分の場所とロープの位置を見極め、手が届くと判断したカレリンは決められると即座にロープエスケープ。おそらく、決められないように慣れない動きを繰り返すよりはエスケープをしてブレイクを経、スタンドに仕切り直した方が有利と判断したのだろう。慣れないルールで闘うという状況でありながら、自分が勝つためにはどの方法が一番確実かを見失っていないようだ。

 再びスタンドに。腹部にパンチを入れた後、同じあたりに膝蹴りを何度も出す前田。しかし、カレリンは前田の左手首をしっかりと握ったまま離さなかった。そして、手前にすっと引きこむとまた首を抱える。打撃をいくら入れていても、手首を取らせたままでは冷静なカレリンにはまったく意味をなさない。

 何度も繰り返される動き。すぐさま腕、もしくは頭をつかみ引き寄せ、崩す。カレリンが上になり、押え込む。亀になった相手の体に対して対角線になるように脇から腕をとる。そして、頻繁に前田はガードポジションといわれる後ろに重心をおくレスリングにはない体勢をとった。少し勝手が違ったようだがカレリンは少しも慌てない。手首をつかみ、肘を押さえ、さらに首も。二進も三進もいかない前田。

亀の状態からひっくり返す!
 るで一方的なスパーリングのような状態で試合時間が終わる。ロストポイント一つの差しかつかなかったが、数字に残るポイント差以上にカレリンが前田を圧倒して試合は終わった。  実際のところ、前田の打撃がカレリンへ肉体的にどの程度効果を及ぼしたのかはわからない。カレリンの試合後のインタビューでは恐怖と痛みについて語っているから、まったく効果がなかったわけではないだろう。実際、蹴られつづけた脚は真っ赤に腫れ上がっていたという。しかし、たとえ恐れと苦痛を感じていても、カレリンは少しも慌てなかった。いつものように「チェスのよう」と言われるレスリングを続け、そのレスリングで勝利した。しかもグレコローマンスタイルを貫いて。

 来年のシドニー五輪にカレリンがロシア代表としてグレコローマンスタイル130kg級にエントリーしてくるのはまず間違いないだろう。シドニーならば日本とさほど時差がないから、テレビ中継を見ることも容易だと思う。組むことのダイナミズムを、そしてカレリンでなくては見られない力と技と知性の混ざり合うレスリングを楽しみにしたい。


横森 綾 (よこもり あや)
BZG03701@nifty.ne.jp
「世界征服宣言」 http://member.nifty.ne.jp/gattiri/


カメラ:井田英登  HTML編集:井原芳徳