Serialize Vol.7

ウクライナNHB大会における死亡事故
〜その波紋、そしてUFCはどこへ行くのか〜

上村 彰
kamimura@nicom.com

 VTファンの皆さん、こんにちは、またはこんばんは。

 3月13日のUFC XVIを観戦した後すぐさまイタリア旅行に出かけ、1週間後に帰宅した私を待っていたのはウクライナで行われたNHB大会におけるアメリカ人選手の死亡事故のニュースでした。VTをススメている私としては全くもって残念なこの事故について考えてみる前に、まずは亡くなったダグラス・デッジ選手の御冥福を祈りたいと思います。

 さてその事故についてですが、バウトレビュー「3月19日の噂(情報源AP通信他)」、NHB NEWS、The New Full Contactなどの情報をまとめると以下のようになります。

日時:3月16日(月)

場所:ウクライナ首都キエフの「スポーツ・パレス」

大会名:「Team of Ukraine against World Team(ウクライナ代表対世界代表)」

プロモーター:ユーリ・スメタニン

参加選手:ウクライナ代表(5人のナショナル・サブミッション・チャンピオン)、世界代表(ロシア人2人、アメリカ人3人)。アメリカ人3人の内訳は、アメリカ軽重量級柔術チャンピオンのラリー・パーカー、サバキ・チャレンジ(空手の大会)4回優勝のクラレンス・サッチ、そして死亡したリアリティー・マーシャル・アーツ・アカデミーでヘッドインストラクターを務め、ブラジリアン柔術、キックボクシング、空手を教えていたダグラス・デッジ。

 肝心の試合経過については、バウトレビューにも書いてあるように若干異なる記事が見られます。バウトレビューでは以下のように描かれています。

「死亡したデッジ選手のセコンドとして同行したダニー・レイ氏の証言によれば、デッジ選手は試合開始から5分過ぎ、マットに横たわった状態でパンチの嵐を浴びていたと言う。しかし、デッジ選手が十分防御していたために、そのままレフェリーは試合続行を命じたという。(一部にはこの段階でレフェリーが試合を止めたという説もあるがいずれも未確認。)そこで一旦は立ち上がったデッジ選手だったが、数秒としないうちに倒れ、意識を失ったという。その後、デッジ選手は病院に運び込まれたが、脳挫傷により息をひきとった。」

 一方パーカー選手とサッチ選手のトレーナー兼コーチとしてウクライナに同行、デッジ選手の試合も最前列で見ていたというシェルドン・マー氏が取りまとめたSportMasters Reality Combativesなる組織の公式発表(NHB NEWSより)によれば、

「悲劇はその晩の第3試合で、デッジ選手がグローブなしの拳を3,4発頭部(1,2発のこめかみへの強打を含む)を受けた時に起きた。その時点までは試合は拮抗していた。デッジは激しく反撃していてダメージは受けていなかった。最後の数秒においてデッジは2,3発のパンチを受けタップし、レフリーが止めに入るのと同時にもう1発のパンチを受けた。デッジは立ち上がったが、キャンバスに背中から倒れた。すぐに昏睡状態となり、脳への深刻な損傷("severe brain injury")により死亡した。死因についてはキエフの神経外科研究所("Institute of Neurosurgery")の救急病棟主任医師("chief emergency ward doctor")であるペトロ・スパシチェンコ氏の証言によるものである。」となっています。

 試合は続行中だったのか、それともレフリーがデッジ選手のタップを見て終了したのか見解が分かれているようです。さらにこの公式発表には興味深い事実が報告されています。

「デッジ選手の友人であるダニー・レイ氏によれば、デッジ選手は大会の約1ヶ月前、練習中に一時的な視覚・意識喪失("black out")を経験したと言っていたそうである。」

 まず多くの格闘技ファンの頭をよぎったのが「ついに起きてしまったか」という思いではなかったでしょうか?以前よりVT否定派からは「グラウンド打撃、素手(もしくはそれに近い状態)での顔面パンチなんて危険だ」といわれ、実際に初期のUFCでは派手な流血やマウントパンチの乱打が多々見られました。一方でVT肯定派は「マウントパンチにも防御法はあるし、きちんと訓練された選手同士で戦えばそこには技術的攻防がある」と言い、現に最近のUFCなどでは一方的に殴られ決着が着くような試合も減ってきていました。そこに来てこの死亡事故です。日本の格闘技ファンからすれば遠い異国で起きた外国人の死亡事故であり、私が見るかぎりインターネット上ではあまり反響があったように見受けられませんでしたが、「そらみろ、やっぱりグラウンドパンチなんか認めているVTなんて危険過ぎるんだ。やめてしまえ」と言われても仕方のない事故です。人間一人の死は厳粛に受け止めねばいけませんが、たった1件の事故を短絡的にその競技の存在の可否に結びつけて良いものか、それを考えてみたいと思います。

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