勿論、はなから負ける気で試合をしようとなどと考えるわけがない。どんなことがあっても勝ちたい。だから、ケヴィン・ヤマザキ氏の指導で体を作り直した。だから、モーリス・スミス・キックボクシングセンターで、高阪と共に地道なタックルの練習を繰り返した。

　しかし、それでも、とことんまでリスクの高い試合を望んだことには変わりがない。アレクサンダー・カレリン。レスリング史上最強の男。冷蔵庫を片手でひょいと持ち上げるというみっちり詰まった137kgの体と、軽量級に劣らないスピードを合わせ持った人類規格外の対戦相手。

　勝ち負けより、何より、そういったどこまでも高い目標にチャレンジしたいという精神。

　
　「誰が一番強いか決めたらええんや」

　前田のこの言葉を、我々は、前田自身が最強を証明しようとしていく宣言だと受け取ってきたような気がする。だが、リングスの設立を通じて、そして最後にカレリンという相手を選んだことによって、前田は、そんなちんけなことを言いたかった訳ではなかったのだと教えてくれた。

　立場とか、損得とか、プライドとか、しがらみとか。

　そんなくだらないことを脱ぎ捨てて真正面からぶつかりあえばいい。結果は後からついてくる。人事を尽くせば、天命がどうあろうと、いいんだ。そんなことを気にして生きていくんじゃない、と。

　その意味で、引退試合の相手が、ヒクソンからカレリンに代わったことは、本当に幸いだった。

　前田vsヒクソン戦だったら、前田にとっても、ヒクソンにとっても、負ける勇気を持つ余裕はなかっただろう。グレーシーとＵＷＦの究極の潰し合い。スキャンダラスであり、話題性としては今回の比ではなかっただろうが、それは決してポジティヴなものを残さない。闘う二人同士がどう思おうと、回りにあるマイナスの感情の蓄積が何もかもを押し流していってしまう。

　ヒクソン戦の流産は、ある意味、天の配剤であったのかもしれない。

　
　前田はカレリンを尊敬している。カレリンも、また、その敬意に敬意をもって応じてくれた。

　カレリンのセコンドに、故国の英雄を少しでもサポートしようと、ハン、コピィロフ、ズーエフのリングス・ロシア勢が付く。この瞬間、1999年２月２１日という一日だけであったとしても、カレリンは同士だった。リングスという理念を共有した仲間だった。

　だから正面からぶつかりあうことができた。

　前田の体に張りがある。気力が充実している。

　この１年、見ることができなかった姿だ。

　丸太を振り回すかのようなローキックがカレリンの左腿に打ち込まれる。１発、２発、３発。

　すかさずタックルにいく前田。だが、カレリンがその怪物性を発揮したのは、ここからだった。前田のタックルをたやすく切り、首をがぶって振り回す。そのまま頚椎の圧迫骨折をもたらしてもおかしくないと思わせるすさまじい圧力のネックロック。既にこの時点で前田の首はおかしくなっていたという。

　
　何とかブレイクでしのいだ前田だが、次に組みにいったときの背負いは、簡単につき放され、覆い被さられて首を極められる。さらには、組んだとたんがぶられて、そのまま後ろに放り投げられてしまう。

192cm、117kgという前田の体が、風船人形のように、腕一本でどうとでも持て遊ばれる。生き物のレベルが違う。

　しかし、前田もそのままでは起きあがらない。カレリンの足をとって体勢を崩し、そのままハーフ・ボストン。極まらないと見るや、必死の形相でアンクル・ホールドに切り替え、ファースト・エスケープを見事に奪った。

　
　だが、カレリンの勢いは増すばかりだ。

　スタンドでの間合いをすぐに潰し、前田のローの二の矢、三の矢を継がせない。そして首投げ。さらに亀の状態の前田を、そのままクラッチして持ち上げ、カレリンズ・リフト。首の当たりからまっさかさまに落として見せた。

　
　暴風のようなカレリン。

　組み付き、膝を打ち込む前田を押しつぶし、袈裟固めにいく。どうにかバックにとってスリーパーに入ろうとした前田を、そのまま前転のようにして前方におっこどし、再び袈裟。ついに前田からエスケープを奪う。後は、もう、押しとどめようがない。ガードにいこうとする前田の足を何の苦もなく開いて外してしまい、のしかかって、首や腕を、梃子の原理もへったくれもなく、上から押しつぶす。苦悶の表情の前田。またもや袈裟固めでエスケープを奪われる。

　ポイントで後塵を拝した。

　
　時間が残り少なくなる。

　何としてでも前田の逆転を願う大観衆。前田コールが響き亘る。

　ローは当たっているのだから。足をとれれば、カレリンは関節技を知らないのだから。せめて、ダウン一つ。いや、エスケープ一つ。

　
　前田の飛行機投げがまた簡単にすかされる。

　スープレックスを食らう。再び、カレリンズ・リフトを食らう。

　フルネルソンになる。フロントネックロックになる。太い腕が、どんな体勢からでも、前田の首を押しつぶしに来る。

　
　そうしてゴングが打ち鳴らされた。

　前田の格闘技人生での最後のゴング。

　接戦ではない。むしろ、惨敗に近い。

　だが、そのことによって精神は勝利した。「誰が一番強いか決めたらええんや」という前田の、そしてリングスの精神は。

（山名尚志）

↑全試合結果へ　　大会総評へ→

取材：山名尚志　薮本直美　カメラ：井田英登　薮本直美
HTML編集：井原芳徳