98・12・23

WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT'98

第1回FNRカップ SEMI-FINAL

福岡国際センター
第4試合(20分1本勝負)

リングスジャパン
田村潔司
(D=1E=1)

11'26"

TKO
リングスジャパン
山本健一
(D=2E=2)

×
  「いまだ見ぬ戦いの幻影」Text by 井田英登 

 

 村潔司は1999年にプロデビュー10年を迎える。

 UWFを振りだしにUインター、K1でのノールールマッチ、そしてリングスへの移籍。そのプロ選手生活は第一回のUWF新人テスト合格以来、常にエリートコースを突っ走るものであった反面、所属団体の浮沈に翻弄される波乱に満ちた航路でもあった。

 一方、対する山本健一の辿ってきた軌跡は、まるで田村のそれを陰陽逆さまにしたもののようにも見える。山本がUインターに入門した93年といえば、団体の絶頂期にあたり、山本は数多い練習生の一人に過ぎなかった。そのころ田村はすでに団体ナンバー2の座に登り詰めており、山本はその付き人的な立場も勤めたことがあるという。そして94年待望のデビューを迎えたものの、団体は経営不振を受けて新日本プロレスとの対抗戦に突入。UWF的イデオロギーをかなぐり捨てた従来型のプロレスシーンの中に、山本は身を投じていった。安生の率いる「ゴールデンカップス」に参加し、金髪に染めた頭と回転の速いトークでキャラクターユニットの中で存在をアピールしたものの、格闘家としては横道に逸れた時期であったといえる。そのころ田村はこの対抗戦に参加を拒否。K1でのノールールマッチに登場して、格闘家としてのグレードを上げることに成功していった。両者の命運はここで明らかに明と暗に別れた。


 の後、田村がリングスに移籍し、破竹の勢いでリングスでのステータスを築いて行ったころ、山本はキングダムに所属、いわばノールールを指向する戦いを繰り広げながらじわじわと上位陣を切り崩していくものの、団体の運営が低迷するなかで、大きくブレイクする事はなかった。ここにも、一夜の挑戦で飛躍的に評価を高めた田村と、地道に階梯をはい上がって行くしかなかった山本の対称の構図がちらつく。

 しかし、98年春キングダムの崩壊に伴って、両者の岐路が再び交差する。山本のリングス移籍によって、再び同じ戦場で戦う事になったのだ。山本にとって田村の存在は、目を背ける事の出来ない物となったことは想像に難くない。対照的な経歴を経た、エリートと下積みの後輩。光と影の対称といってもいい。山本が上を見上げると、イヤでも田村の輝かしい軌跡が目に入る。リングス参戦以降も思うに任せない戦績が続いている山本にとって、田村の存在はルサンチマンの根源となっていったのかもしれない。

 本健一、そのキャリアはちょうど田村の半分の5年。 ずっとその背中を拝し続けてきた存在と、ついに初対決の日を迎えることになった。

 この日、山本は頭をスキンヘッドに丸めて来た。 固く強張った表情とあいまって、山本の中に渦巻く田村戦への思いがにじみでてくるような、異様な容貌である。試合開始前に田村が指しだした右手を山本が弾き飛ばすようにして叩いて、ゴングが鳴った。

 振りのフックで「どつきたおしたる!」と言わんばかりに飛び掛かる山本であったが、その気合いを逆手に取るように田村は派手な払い腰でグラウンドに持ち込む。上四方からバックへと流れる様な動きでポジションを変えていく田村。

 しかし山本はすぐ右手を巻き込むと前転し、下からの十字狙いに切り返す。「もう、俺はあんたの後輩じゃない、勝敗を争うライバルだ!」素早い動きで田村のおカブを奪い取るような攻撃を見せる山本の全身が主張する。しかし、田村は何事もなかったように、山本の鼻先をかすめて側転で仕掛けを躱し、ぴったりバックに張り付く。田村の腕のフックの中で反転すると膝を突いたまま、田村のサイドに出るとバックを奪い返す。すると田村は前転して足を取り、素早く膝十字に。目まぐるしい攻防が続く。上から押しつぶした山本が逆に十字を狙うと、田村はなんなく回転してはずし、すっくと立ち上がってしまう。グラウンドでの追い駆けっこを嫌った田村が仕切り直しを要求した形だ。このオープニング早々の攻防で、山本は田村のグラウンドムーブと渡り合って見せた。客席からは拍手が巻き起こる。

 が、若い山本の気負いは、悲しいかな試合に100パーセントの力を注ぎ込むことができない。

 スタンドのリスタート、山本は腰を落として、拳を握りアップライトに構えて、じりじり田村ににじり寄っていく。まさにけんか腰のナニワのヤンキー風な構えだ。気迫は感じられるものの、これではスムースにキックを打つ事もローをカットする事もできない。山本の前のめりな気合いが、ファイトにブレーキをかけている形だ。

 田村は山本の気合いの空回りにとまどったようで、緩いローをすねに放って牽制してみる。


 本はそんな気配にお構い無しだ。がむしゃらに組み付いて行き、先ほどの払い腰のお返しを狙う。しかし、力が入りすぎた山本の先手を打ち、田村は先に腰を落としてバックをとってしまう。四つんばいに潰れた山本は、自ら反転してオープンガードに。田村はつきあわずとっととサイドに出、亀になった山本のバックに張り付く。一方山本は亀になりながら足をとりに来る。そして田村の隙をつくと、起き上がって逆にバックに回ろうとする。田村も我慢せず、そのまま自分からターンしてオープンガードに。

 こで田村と山本の差が歴然とする。

 先ほどオープンガードを使った山本はたやすくパスガードを許してしまったのを思いだしていただきたい。田村のオープンガードの使い方は山本の比ではない。オープンに開いた足で山本をきっちりとうせんぼし、左右に身体を振ってサイドに出ようとする山本にきっちりシンクロしていく。結局山本はパスガードの糸口もつかめないまま翻弄されてしまった。そして焦れた山本が足首を取ってアンクルを捻りに来ると、その動きを利用してバックを奪ってしまう。まったく隙と言うものが感じられない。しかし山本も虚仮の一念だ。下から取った足を放さずひねり上げる。逃れようとする田村を見るや、改めてアキレスにとらえ直す山本。一瞬エスケープを考えた田村だったが、ポイントをずらして逃げ切る。そして、すかさずバックを取り直し、山本をカメにさせる。しかし山本は、前に飛びだしてターン。オープンガードに戻す。粘る山本の頑張りに、田村は攻略をあきらめて再び立ち上がる。


  村が普段から望んでいるような流麗なサブミッションの攻防に山本はなかなかつきあおうとしない。田村の仕掛けを泥臭いレスリングで凌ぎ、ワンチャンスを狙っていく。攻防はこうしたリズムの奪い合いのレベルで進行しているようだった。まさしくエリートと雑草の戦いを象徴するような展開でもある。

 スタンドに戻っても山本は田村の蹴りには応じず、掌底とボディパンチの一辺倒で勝負してくる。気合いが入り過ぎて息があがったのか、途中マウスピースを外す山本。田村はそうした動きを冷静に見ているようで、掌底を撒き餌に、タックルへと飛びだした山本に、カウンターのローをあわせてダウンを奪取してしまう。ジャストヒットではなく、前にのめったぐらいの形だったが、レフェリーはダウン判定を覆さない。

 それでも山本は引き続き蹴りに来る田村の蹴り足を取って、引き倒すことに成功。そのまま上の体制でアンクルを狙う。田村は中途半端な体勢の山本を突き倒して、すぐ袈裟がためで押さえ込みに行く。


 こでふいにリング上の風向きが変わった。

 田村が新ルールとして導入された、ボディパンチを使い始めたからである。

 ただその使い方は全く奇妙なものだった。その一発一発が異常に軽いのである。まるで子供が悪ふざけに友達を小突くような軽いパンチで、到底ダメージを狙うような使い方ではない。こつこつ当てられれば、嫌がらせにはなるかも知れないが、およそグラウンドパンチとして機能する類の撃ち方ではない。まるで実験するような、慎重な手付きも気にかかる。素早くマウントに移行して、またもや同じような形で胃の上にパンチを落としていく田村。 まるで「このポジションからならここでパンチは使えるよな」と確認するような動きである。 攻撃ではなく、確認作業のような撃ち方。


 こでふと脳裏をよぎるのは、この日の控室の田村が、4日前に行われた船木のノールールマッチにに興味を示していたという話しだ。早刷りで持ち込まれた、この試合のレポートの載った雑誌に目を通していた田村は、その試合に興味を持っている様子であったという。

 田村といえば、U系と総称されるサブミッションレスリングの牙城を堅持する男として知られている。ノールールには否定的な立場を貫く言動は、つと有名でもある。しかし、その一方で技術研究に余念が無く、必要があればアマチュアジムのドアを叩いてでもどん欲に技術習得に努める側面を持っている。今や総合格闘技の事実上のスタンダードとなりつつある、ノールールマッチに身を投じた船木の動向が気にならないわけがない。


 この日、田村は前半戦で山本の力量を読みきった田村は、ふと彼を実験台に使って、ノールールに臨んだシチュエーションで自分の動きをチェックしてみる気になったのではないか? 彼としてはそのシミュレーションで勝負を決めてしまいたくはないが、必死に食らい付いてくる山本の動きをヴァーリトゥーダーのそれに比して、有効なグラウンドパンチ攻撃を放つタイミングや姿勢をチェックしていたのではないか・・・・あたかもオクタゴンに乗り込んだ時の自分をイメージするかのように。


 かし、実験台にされている山本の方は面白い訳が無い。自分が田村を追い込んでいれば、田村とてそんな余裕じみた動きが出来るわけもない。パンチ一つにとってもダメージを狙う一発が来るはずだ。緩いパンチは、それを打つまでもないという田村の余裕から出ている事は十分承知しているだろう。下から手首を取って押さえる山本。ブリッジで腰を浮かすと、ターンしてカメになり、一回十字を狙って回転したものの、またマウントされてパンチを落とされると、素早くエスケープ。おままごとのような田村のパンチを嫌って、その実験台にされるのを拒否したようなあっけないエスケープだった。

 山本はその怒りをスタンドに戻ってのラッシュに爆発させる。コーナーに押し込むと掌底からひざの連打で、田村からダウンを奪ってみせる。勢いに乗って、再びボディパンチを打ち込み、コーナーに詰めていく。

 しかしそこは田村もさるもの、脇をさして左右から膝を打ち込んで逆襲してくる。 そして素早いタックルをしかけてバックを奪うと、レフェリーに確認してからカメになった山本の背中にまた例の軽パンチの続きを浴びせ始めたのだ。そして山本をあおむけにころがすと、再びマウントして胃の上にパンチ。ダメージはほとんど無いものの、これは山本の狙ったおもいっきりのいいファイトではないのだろう。またもやあっけないほど早いエスケープでリスタートを促す山本。


 ハイを放った田村の蹴り足を取って、アンクルに行く山本。足の取りあいになると田村はアキレス、山本はそれを阻んでアンクルでひねり上げる。「バカにすんな!俺をバカにすんな!」そんな山本の心の声が聞こえるようだ。一声叫んで必死に攻め続ける山本。田村はたまらずエスケープ。


 タンドに戻って、勢い込む山本。

 しかしそこからの田村は凄かった。

 素早い前蹴りをボディに一閃し、崩れた所に顔面キックのフォロー。まさに居合抜きのような切れ味で、山本はマットに這わされた。勝負あったといわんばかりにくるりと背中を向けると、チェックしろと言うように指さし、すたすたとコーナーに下がる田村。まるで食い下がる山本を、うるさいハエとでも言わんばかりにたたきつぶした印象すら受ける。怜悧で切れ味鋭い、田村の怖さが見えた一瞬であった。

 本と田村の間にはまだまだ、埋めがたい実力の格差が厳然と存在する。


 フィニッシュの決め方が、その事実を冷徹に物語っているように思えてならない。 試合後、田村はマットに土下座して頭を下げる山本を抱き起こして「俺を憎んでくれ、憎んでもっと強くなってくれ」と語ったという。山本の内心に眠っていたジェラシーは十分承知の上。そのうえで、田村は軽々と山本を蹴りはなして見せたわけだ。

 闘生活10年目。

 1999年。この日田村の脳裏に去来したかもしれない“いまだ見ぬ戦い”の幻影が、現実のマットに像を結ぶ日が来るのだろうか。 この日、リングスはUFCミドル級王者フランク・シャムロックの1月武道館大会への招聘を発表した。

 対戦相手は、田村潔司。

 

<追記・その後、シャムロックは右足首の故障を理由にこの対戦をキャンセル。現在、春ごろをめどに同カード実現のため、両者間で調整が行われているとの噂もある。リングス側は今回のキャンセルで結果的に勇み足となったことを重視して、正式に契約を締結するまでこの件についての発表を一切差し控えている。> 

試合結果一覧に戻る↑

取材:入嶋照紀 浅田秀人  カメラ:井田英登
HTML編集:井原芳徳