BoutReview編集日記98 

 The Road to Sao Pulo1 「ブラジルはどこにある?」

9月某日

 ブラジルに行こうと思った。

 決意は瞬間のことである。理由も経緯もあるが、沸点に達したのは一瞬だ。 決めてしまえば、後はしょうがない。現実との外堀をどう埋めていくかという、作業が待っている。 リングス横浜大会の当日、リングサイドでカメラを構えながらそんな大それた決断をしてしまう自分がちょっとかわいく思えた。

「金もないのに馬鹿だなあ」と冷たく見下す自分が、0.5秒遅れのディレイで”嫌み”のエフェクトを掛けてはくるのだけれど。それさえも、結局は自分の出した音のエコーだ。

  早速、真後ろの解説席にいるゴン格の熊久保編集長にお伺いを立てに行くことにする。思い立ったら吉日。ばうれび単体で、地球の裏側にまで行く経費は出ない。 頭の中には「クワイ川マーチ」が景気良く鳴り響く。

「熊クボさーん、ブラジル行きたいっす。。

「あー、ウチ? 書く?」

 おお、打てば響くとはこのことか。さすがに人の上に立つ人は違う。

「原稿料”なら”だすよ〜

 それって、もちろん経費は出ないって事だよなあ。

 さすがに人の上に立つ人の財布は締まりが違う。

9月某日

 プロレス格闘技関係の記事を掲載している数誌を当たるが、色よい返事はなし。

 なんだかなあ。

 10・11の高田VSヒクソン戦との対比やイタリアサッカーリーグセリエAで活躍する中田選手になぞらえて考えてみるなどの切り口を提示してみるのだが、反応はイマイチ鈍い。高田戦自体さほど興味が無いというか、結果を折り込み済みとしてしゃべる人が多いのも特徴だろうか。どっちにしても体温が低い感じで、徒労感が募る。

10月某日

  Numberのベストセレクションの第3集が出ていたので、早速読みはじめる。

  辰吉丈一郎のスパーリングパートナーにして、自身は恵まれない”ガイジン”ボクサーの悲哀をなめ尽くしたグレート金山を描いた「ラスト・ラウンド」にはただ涙するのみ。

  今集にはボクサーをフィーチャーしたエピソードが多く納められているが、そのいずれもが「ボクサーという人生」を活写した作品となっている。戦うことでしか、己の人生に穿たれたでこぼこを贖う事の出来ない苦悩や、ボクサーとして生きることで己の魂の輪郭を磨きだして行った軌跡などが鮮やかに切り取られている。なぜ、総合格闘技にはこうしたノンフィクションを描き出す人材が無いのかが、読後重い疑問としてのし掛かってくる。技術や歴史を語る解説屋さんや、選手との距離感で取材する業界記者、選手に当ててファンレターを書くのが趣味のファンライター、いろんな人間が居る業界ではある。

 しかし、選手の人格やその描き出す軌跡に踏み込んで、戦うことの意味、ファイターとして生きることの感触に迫ろうとする”ノンフィクション作家”はどこにも居ない。

 僕が読みたいのは、”哲人”の透徹した視線が切り取った、スポーツシーンと言う名の人生の断片である。そうした”文学”が現れないかぎり、総合格闘技が広く世間に”スポーツ”として認知されることはない。絶対無い。

10月某日

 写真屋にパンクラスの後楽園大会の写真を受取りに行く。

  店番をしていたロンゲのお兄ちゃんが、仕上がった写真を渡してくれる。 いつもどおり領収書を頼むと、じっとこっちをモノ問いたげにじっと見てくる。

  まゆ毛を上げて(ゆってみ。なんぞい?)という光線を出して見る。

 「そこに写ってた選手って、強いんですか?」 あっ、と思う。

  渡部謙吾に違いない。

 夕べ、近畿圏ではラグビー界のホープからプロレス界に転向した変わりだねとして、渡部のデビューまでを描いたドキュメント番組が放映されたばかりである。深夜遅くに放映されたにもかかわらず5パーセントという爆発的な視聴率を叩きだし、早速翌日のエレベーターホールに視聴率速報が貼りだされたばかりである。(たまたま僕がレギュラー番組を持つのはこの番組を放送した局であり、制作したディレクターとも面識があるのでその辺の事情は良く知っていた。)

  見るからに今どきの子である。彼のアンテナに渡部のコンテンポラリーな存在感が、びびっと来たに違いない。

  「弱いんだけどね、まだ」と答えておく。

  「そうですか、でもかっこいいですよねぇ」と彼は言う。

 渡部謙吾おそるべし。 パンクラスが無理を承知でメインに持ってきたくなった気持は良くわかる。

10月某日

 ブラジルでは速報配信作業が問題になってくる。

  インターネット経由だから、速報はすぐ送れるとおもうのは素人考えも甚だしい。 電源は通常どおり取れるのか、電話のジャックだって日本とは同じではあるまい。第一、プロバイダーがブラジルをカバーしていなければ、クソ高い国電話料金を使ってどこかの接続ポイントまで電話をしなければならないではないか。

  現実的条件を洗いだして行くたびに、なんか自分がバカみたいな事に挑戦しつつあるのだという事実が浮き彫りになってくる。全く金にもならない事でどーしてここまで苦労せにゃならんのか・・・考えれば考えるほど、自分のマゾヒスティックな感性に突き当たる事になる。これからは趣味の欄に「苦労」と書く事にしよう。

<この項続く>