'98・10・16(現地時間)
Ultimate Fighting Championship
ブラジル大会
 
UFCがブラジルに逆上陸した日 
TEXT by 井田英登

 

 の夏、ハリウッドでリメイクされた「ゴジラ」が公開された。

 しかし、南太平洋の孤島でおこなわれた核実験の影響でイグアナが巨大化したという“ハリウッド版”ゴジラの設定は、その存在から”畏怖”の感覚を奪い取ってしまった。スクリーンを跳ね回っているのは、餌の生魚を捜してやたら落ち着なくきょろきょろ動き回るただのトカゲであって、未知の“怪獣”ではない。レイ・ハリー・ハウゼンのアニメーション怪獣が出現する以前の、“生トカゲ”をミニチュアの中で暴れさせる類の、「巨大トカゲの逆襲」だとか「ジャイアントチワワ都会に現る」とかいったC級怪獣映画をCGでリメイクしたに過ぎない。


 トカゲはいくら巨大化してもトカゲに過ぎない。

 ゴジラとは根本が違う。

 「ゴジラ」を凡百の特撮巨大トカゲ映画から特権化させていたのは、その出自がいにしえの巨大恐竜であるというその設定にあったと言っていい。日常には存在しないフォルムと、威圧感をもったそれは、動物園に行けばあまたといる四つ足歩行のトカゲとはまったく違う“怪獣”。それは最初から二足歩行を前提とするする絶対的存在なのだ。核兵器による復活という道具立ても、単なる御都合主義ではなく、人類の滅亡を象徴するダークなモチーフとして機能していて、“恐怖”という概念を象徴していたのである。

 ってみれば、かつての「ゴジラ」という映画は、核時代に置ける人類の危機感を象徴した「神話」にまで昇華されており、あだやおろそかにリメイクできるような安物のスペクタクル映画ではなかったということなのだ。

 メディアにそのフォルムを露出させない宣伝戦略などは話題になったものの、深遠な原作のテーマはまったく継承できなかった駄作であった。興行的にも、批評的にも惨敗したのは当然の帰結である。もちろん、その故郷である日本でもその評価は低く、興行的も期待された程の数字は残せないままであった。



 て、長々とゴジラの話しをしたのは、このリメイク話がなにやらUFCの成立事情を連想させたからである。

 ホイス・グレイシーのデビューと共に、衝撃的に登場したアルティメット・ファイ ティング・チャンピオン・シップは、この六年間賛否両論の渦の中に身を置きながら総合格闘技の革新の中心となり続けてきた。ブラジリアン柔術の独走、アマレスラーの台頭、ストライカーの逆襲、そしてトータルファイターの出現と、オクタゴンの中で起きる事件は、常に世界の総合格闘技の最先端にあり続けてきた。


 かし、そのルーツは結局ブラジルで連綿と行なわれてきたヴァーリ・トゥードのテレビショー化である。メインアクトである、グレイシー一派はすでにオクタゴンから姿を消して久しく、格闘技ファンの度胆を抜いた素手の拳による殴り合いもいつのまにかグローブに取って代わられた。レフェリングにはブレイクが導入され、時間無制限の決闘は、12分間のスポーツライクな格闘技にシェイプアップされてしまった。ブラジルの本場でヴァーリトゥードを見続けてきた観客にとって、今の”進化した”UFCはどう映るのだろう。ニューヨークの真ん中ををヒップなつもりで闊歩していた、間抜けな巨大イグアナのように失笑をもって黙殺されるとしたら、それは悲劇以外の何物でもない。


 待と不安のあいなかばする中、オクタゴンは赤道を越えた。

 ついにヴァーリ・トゥードの本場ブラジルに、UFCが逆輸 入される日がやってきたのである。そのアメリカンナイズされたド派手な演出や、スポーツライクになった試合スタイルが、本場のブラジリアンにはどう受け止められるのか?

 本質を見失ったスポーツファイトとして一笑に臥されるのか?

 それとも、時代性を加味した進化として受け入れられるのか?



 かし、不安は杞憂に終った。地元の英雄ビクトー・ベウフォートやペドロ・ヒーゾが大活躍したことや、サンパウロという大都会のそれも高い入場料を払えるだけの富裕な層が観客であったことも手伝って、会場は現在のアメリカのNHBファン達と変わらな い好意的な反応にうめつくされたのであった。

 無論、ラテン民族の血は熱く、アメリカのお祭り騒ぎ的な観客を上回るような勢いさえある。特に地元選手への反応は激しく、ご贔屓の選手が勝てば、一斉に立ち上がって、オクタゴンの中にまで乱入して選手を担ぎ挙げたりもする。そこはそれラテン民族の本領発揮といった感じで、客席は総立ち状態となり、さながらサッカーワールドカップを彷彿とさせる熱狂状態がかもしだされる。

 懸念は杞憂に終った。

 なくとも、この日会場に押し寄せたサンパウロのファン達にとって、UFCのファイトは問題なく受け入れられていた。(これが柔術の本場であるリオでも同じ評価であるかと言われたら、また全く別の反応も有りうるかも知れないが)

 在、UFCを取り巻く環境は決して恵まれているとは言いがたい。ケーブルTV局との契約が終了し、アメリカ国内でのTV放映はローカル局と衛星デジタル放送にたよるしかないという状況であり、今大会以降のスケジュールも明確であるとは言いがたい。初期のバイオレンスショーのイメージが結局ここに至っても、いまだに禍根を残しているわけだ。また、主催のSEGも、純粋にスポーツとしての運営していくのが本道とは考えていないだろう。あくまでテレビショーとしてのビジネスを重視し、収支決算があわなくなればいつでも大会運営から手を引くであろう事は想像に難くない。実際、次回1月大会の開催は決定しているとはいえ、まだまだ大会の継続には越えていかねばならない沢山のハードルが存在するのだ。


 かし、VTの本場であるブラジルの観客を、ここまで興奮させる事に成功した。UFCの実力はまだまだ健在であるといえよう。巨大怪獣の末裔である矜持を失うことなく進んでいくならば、ファンは決してUFCを見捨てはしないだろう。

 合格闘技発展の牽引車として、UFCに求められる役割はまだまだ大きいのだ。

 

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記事・写真 井田英登