というのを「総合格闘技で関節技が決まった瞬間」に関して区別してみるとするならば、
それは「決められた側がタップするかそうではないか」だと思う。
「これは殺し合いではなくスポーツなのだから」タップするのか
「いやこれはただのスポーツではなく、命をかけた戦いだ」と思うのか。
廣田は後者を選び、それによって青木は「殺し」に行った。
彼の尊敬する木村が「あのとき」やったように。
その両者それぞれの判断を僕は尊重したいですね。
というか実際の見え方として青木の態度が上に書いたような
一種清冽な姿勢に見えないというのは僕も認めますが……
でもそれは青木の未熟さであって青木の「悪」ではないと思います。
その未熟さのみを云々すると、結果的に廣田の覚悟までが
無に帰してしまう。そこが不憫でならない。
繰り返しになりますが、もう一つの可能性として
「いやおまえらがどう考えようとこれはスポーツである」
という判断を強行できる立場の人間が一人だけいました。
それがレフリーなので、レフリーの判断に関する批判抜きに
「スポーツとしての価値判断」をすることは出来ないのです。 |
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