今回の「ヤオガチ論争」については、「不毛だからもう終わらせよう」という声が大勢を占めているようですが、論争の本筋(ヤオかガチか)とはやや異なる部分でひとつだけ気になったことを。
>[Re:2406] BILLさんは書きました :
> ワークだと思っても無理無いし、むしろワークだったりした方がよかったと思います。むしろガチでこんな試合を組む事自体ヒドイ。K−1にささやかな良心があるなら、ワークと思いたいです。
> よういちさんの投稿を見た時、私は信じたかったです。まだK−1にはそれぐらいの良心があるんだと。
他にも同様の御意見をおっしゃっている方がいましたが、ワークだった方が良心的だった、というのには反対です。「格闘技歴1年そこそこのお笑い芸人をプロのリングに上げること」と「真剣勝負を装って、勝敗や試合の流れがあらかじめ定められた試合を行うこと」の是非を比較すれば、後者の方が罪が重いことはあきらかだからです。また、あの試合がワークだったとしても、ほとんど事態を改善することはできません。
そもそも、ボビーvsアビディというマッチメイクの問題点を、ボビー側に限って列挙すると、
・お笑い芸人をプロのリングに上げることによる格闘技のイメージダウン
・キャリア1年そこそこ、公式戦の経験なしの選手を大舞台に起用することの不公平性
・そういう素人とベスト8クラスのK-1ファイターを対戦させることの危険性
の3つです。(アビディの側の問題点――試合間隔や総合への適性――については、主題から外れるので省きます)
最初のふたつは、ワーク(八百長)によって回避することはできません。まず、観客や視聴者の大半が八百長であることに気づかないような巧妙なものだった場合、八百長をやる意味自体がありません。そして、八百長であることが傍目にも明らかだった場合、むしろ、失われる信頼や尊厳はより深刻なものとなります。
最後の安全面についてだけは、ワークによって回避できますが、それとて容認すべきではないと考えます。結果的に、あの試合がそのような危険なものにならなかったからという後知恵で言っているわけではありません。人命を守るためなら多少の欺瞞も許されるかもしれませんが、それは「そうするしか人命を守れない場合」だけです。ボビーの生命を守りたいのであれば、試合を中止にするなり、ルールをより安全なものにするなり、エキシビジョンという扱いにするといったこともできたわけです。そもそも、選手の安全のために八百長をするくらいなら、最初からそういう試合自体を組むべきではありません。
ボビーについては、いきなりDynamite!!のような大舞台に上がるのではなく、対戦相手もアビディのような偏った選手(寝技はからきしだが打撃は一流)でなければ、素直に応援できたのになぁ、と思います。たとえば、練習しているGRABAKAとの繋がりで、パンクラスゲートあたりから。しかし、そうなってたら対戦相手はやりにくかっただろうなあ。 |
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