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青葉繁インタビュー
1998.7.20 宮城県スポーツセンター控え室

Q:今回はどんな作戦を立てられていたんですか?。
青葉:作戦はですね、色々考えたんですけど敢えて立てずに向かうことにしました自分の実力をやっぱムエタイの選手相手に試したかったんで、はい。あのう、せこい作戦なんかじゃなくって、真っ向から渡り合って行くつもりだったんだけど・・・駄目ですね。情けないです、こんな情けない思いしたの・・・。

Q:最後は下からの突き上げのような右肘?。

青葉:ああ、どっちか、二つ当たったんですよね。多分、あの、チャイナロンが得意な何時も日本人にやってるこの肘を逆にこっちがやって。

Q:左でやったんですか?。

青葉:左・・・、だと思います。その後フォローで、フォローって言うか、もう1回出した右の肘も当たったんです。何方で切れたか、ちょっとどっちか、多分下からの肘じゃないかと思うんですけど。

  「最悪でした」

Q:その前の3ラウンドですか、あの膝でダウンさせられたんですけど。

青葉:あれは、まあ勿論向うの膝強いし、こっちが何か駄目だったのもありますけど、ま、自分の気持ちの中で最悪でした(苦笑)。

Q:最悪でした?。

青葉:最悪でしたね。何か、一瞬自分を信じられなくなっちゃったって言うか。本当に強い、自分の気持ちが本当に強い時だったら、あんなもんじゃ絶対に倒れないと思います。自分の気持ち、やっぱりブランクのせいもあるのかもしれないけど。

Q:自分の弱い所が出たって感じだったんですか?。

青葉:うーん、弱い所って言うか、本当の、このファイターに戻りきってないって感じですね。やっぱりいい時って言うのは、どんなに効いたって何したって苦しくったって、リングの上ではもう強い気持ちで向かって行けるんですけど、こう効くと一寸弱い気持ちが顔出すと言う、駄目ですね。

今回のテーマ
「NEVER GIVE UP」
 

Q:最後行けたのは、やっぱりチャイナロンの方が疲れていたって言うのがあった?。

青葉:疲れ、疲れはもうありありと判ったんです。まあスタミナは無いのは判ってたんで、はい。まあ見ての通り1、2R、まあ作戦て言うか組立としては1、2Rは攻めさせてムエタイのパワー、蹴り、パンチ、肘、どんなもんかちょっと味わってみようって位の感じで。多分3、4Rになると落ちてくるってのはもう判ってたんで。そこでもうガンガン出てって勝負掛けるような感じ・・・でいたんですけど、3Rあの通りで向うの膝効きましたからね、あれでああ言う風になっちゃって。自分の中で、「ああ俺はもう、やっぱこないだのアキレス腱切った時点で選手としては終っていたのかな」と言うような、のが一寸顔を出してしまったんですね。
 で、もう何か最後、例えこれでもう終ったって後悔しないような闘いしようって言う感じで4R最後の力出して行こうとしたら、向こうがもう露骨に疲れてるのが判ったんで、はい。ちくしょうって、肘一発でもパンチ一発でもいいから、最後の一発でも諦めないぞっつう。一応今回のテーマがネバーギブアップだったんですけど、まあ諦めないって言う。それで、あれですね、運よく切れた。

Q:では内容的には満足してない?。

青葉:内容的には、マイナス50点(苦笑)。

Q:マイナス50点?。

青葉:もうハッキリ言って「辞めた方がいいんじゃないか」って言うくらいの内容だったと思います。お客さんにもプロとして見せる内容じゃなかったと思いますし。

Q:ブランクってのはやはり大きかったんですか?。

青葉:大きいですね。まあ、負けたら言わないで、勝ったら言おうと思ってたんですけど。あの、足、去年の10月11日新田選手とやってアキレス腱切れて、で、あの手術、翌日手術だったんですが、その手術が失敗してしまったんです。

Q:東京でですか?。

青葉:いえ、あの福島へ戻って自分の勤めてる病院でだったんですけど。たまたま当直の医者ってのが若い医者で、やった事も無い奴にやられて失敗されてしまったんです。そんでもうショック受けて、で1回目のあれだったら1年位で復帰出来るって言うんです。2回手術すると、もう元のレベルには中々戻らないそうなんです。で、まあ結局もう1回再手術して12月に。で、そこから、2月くらいですか、歩く練習が始まったのは。

Q:2月からですか?。

青葉:2月から歩く練習です。でドクターには、大体その2月とか1月の時点で今回の仙台の話が来てたんですが、タイトルマッチやるかどうかとか。で、正直言ってドクターに相談したら絶対無理だって言われたんです。只、今回30周年記念の興行でしたし、やっぱ仙台は年に1回じゃないですか、後楽園みたいに毎月試合あるわけじゃないですから。年に1回の30周年記念の大会で自分の姿をこっちのお客さんに見てもらいたかったって言う事があって、まドクターの制止を振り切って、無理やり・・出た。実際この足の回復具合なんてのは未だ半分くらいで。

  2度の手術が行われたアキレス腱、手術跡が痛々しい

Q:半分、50%位ですか?。

青葉:50%位、つま先立ちがようやく出来るようになったレベルです。タイに今回6月から行って来たんですけど、タイ人の向こうのマネージャーに、こうなったんだけど来月、チャイナロンって向こうでも有名ですから、チャイナロンと試合するんだって言ったら「絶対止めろ」って(苦笑)。タイだったら後2年は試合させないとかって。

Q:2年ですか?。

青葉:ええ、そうですね。

Q:会長は、瀬戸会長は何て言ったんですか?。

青葉:会長は、ま僕の気持ちに任せてくれたって言うか。
 自分の中で挑戦したかったんです、このまま足が完全に直るのを待って、2年待って戦うのも一つの選択肢だと思ったんですが。ま、こうなってしまった以上この弱い足ででも闘える所まで闘って、それで潰れてしまったらそれまでだったって言う。ま、それも又一つの、あの、道だと思って。自分でかなり悩んで、直前まで悩んで、もうキャンセルしようかと思った時もあったんですけど。まあ結局一か八か、もう選手生命全て賭けてやろうと。それで今回の復帰を決めました。

Q:やっぱり仙台って言うのはやりやすいですか?、それとも逆にプレッシャーかかるって言う部分あるんですか?。

青葉:うーん、プレッシャーは勿論ありますね。自分が、まメインになるのも勿論だし。やっぱ仙台のお客さんは結局地元の選手の事を見に来てくれる訳で、まあ嬉しさって言うかそういうのはありますね。

Q:東京と比べて何方がやりやすいですか?。

青葉:ま、何方でもリングの上は同じですね。一長一短、色々ありますから。

Q:今日応援団の方何人くらいいらしてたんですか?。

青葉:応援100人位来たと思うんですけど。いや、こんな情けない試合見せるとは思わなかった。もう0からもう1回やり直しですね。あと一つ、是非これ言っておきたかった事が、今回その医者からも駄目だって言われて、で何時復帰出来るかも判らないし、今回の仙台は絶対無理だって言われて自分で引退も考えたんです。只、それでもこうやってやって来た一番の支えになったのは、あの去年の10月11日アキレス腱切った直後に新田選手がリングの上から「青葉選手ともう一度闘いたい」って言ってくれましたね。そん時僕がマイクを貰って、あの「もう一度必ず帰ってくるから闘って下さい」ってお客さんの前で新田選手と約束しましたね、その約束だけはどうしても果したい。例えこの足がなくなったとしても、片足で闘うとしても、もう一度上がって新田選手とリングで熱い試合をしなければならない、それしない内は絶対キックやめれない、それが支えだったんです。

Q:もう何が何でも新田選手との、契約体重でもう一度やりたいと。

青葉:そうですね。あの10月のチャンピオン対決でやったあの試合は、自分の気持ちの中では全然終ってないですから、あの1Rが終って2R目のゴングが鳴るのを今でも待ってるって言うような。その間新田選手、負けずに待ってるとか言って実際負けないで、凄い素晴らしい活躍して、今待っててくれてるんで。復帰した今、次は新田選手と是非。

Q:じゃあタイトル防衛戦よりも新田選手の方が。

青葉:防衛も勿論やりますけれど、自分の気持ちはもう命懸けでその新田選手との約束を果すために帰って来たので、まあもし出来ればやらせていただきたい。もう、その次にもしやらせてもらえるんだったら、もう命懸けで、今日みたいなチンタラじゃなくて、本当の熱い、もう鳥肌立つような感動するような、もう死んじまってもいいと言うような試合をします。もう残ってる物全て燃やし尽くすつもりで凄い試合したいですね。

Q:仮にあのう今年の10月にオファーが来てもOKな訳ですか?、それは。

青葉:10月、まあ実際足がこの状態なんで、ドクターからは今回もあれだし、10月とかでも完全には未だ戻らないよと言われてるんで。10月、仕事の関係とかも合って10月は・・・。

Q:難しい?。

青葉:ま、本当はやらないつもりで居たんです。只、もし新田選手とやれるんであれば全てをクリアして命懸けでやります。丁度1年なんです。

Q:そうですね10月11日。

青葉:去年が10月11日で、1年越しで帰って来てやりたい。まあ高田対ヒクソンも1年越しな訳で、まあそれとは全然関係ないですけど(笑)。

 もう1戦1戦自分、去年も仙台大会タイトルマッチ、まあ、これ隠してたんですけど椎間板ヘルニアの手術をしてからの復帰戦だったんです。今年も復帰戦になって、それで、ま怪我普通の選手よりも一寸多いと思うんです。で、下手すると1試合で選手生命絶たれるって言う可能性は常に、リスク背負ってると思うんで。この足がもう一度切れないとは限らないし、腰だってもう一回やったらもうアウトだし。1戦1戦がもう選手生命賭けての戦いですから、詰らない相手とはもうやりたくない。今回も一番強いのとやりたいという事で、会長に頼んでチャイナロンを指名して、実際日本で闘ってる僕の階級でチャイナロンが一番強いと思ってますから、チャイナロンを呼んでもらって。この次は一番熱い戦いが出来そうな新田選手とやりたいし、ま、タイトル防衛は義務だからやりますけど。とにかくもう、例えそこで砕け散っても後悔しないような相手と、もう残された選手生命1戦1戦、もう大事に闘いたい。もう燃えて燃えて、燃えまくります。

Q:本職の方はあの歯医者さんと言うことで。

青葉:いや、歯医者じゃない、医者です。

Q:えーと、どんな?。

青葉:一応麻酔科と言う所に所属してます。そこはあの、医局毎にこう医者というのは病院で働いてるんですけれど、その医者の先生方が今日も一杯来てくれたんですけど理解してくれてるんです。で、人生の間、ほんの数年じゃないですか。あの、もう悔いの無い様にやれと言うことで、あの、もう全面的にバックアップしてもらってるんです。

Q:仙台市内の?。

青葉:いや、福島です。卒業した大学が福島なんで。で、試合が決れば試合の、ま1ヶ月半位前から仕事休みで、最近ここ5試合くらいは試合が決るとタイに行って1ヶ月練習して、試合の3週間前に日本に帰って来て仙台に通いながら調整するって言うのが。

Q:じゃあ両立は可能なわけですか?。

青葉:両立は可能です、試合が終って一寸疲れを抜くような間に、ま病院行って働くって言う(苦笑)。ま、そんな感じで試合が決ると向こうの仕事は少し休ませてもらって、で練習に専念する。まあ後何年出来るかわかんないっすけど、やりたいっすね。まあ僕が何とか言う立場じゃないんですけど、キック界分裂がどうのとか、くっついたり離れたりとか、一寸駄目ですよねハッキリ言って。あの、自分自身選手として、そのキック界の流れを見てても、最近の又ゴタゴタやってるのを見て正直言ってもうガッカリしてるんですよね。チャンピオンつったってそんなに何個も団体あったら、胸張れないですよね。世間に絶対認められないし、まあ、凄く残念なんですけど、だからこそ、その団体とかそう言うのを全てを超えて誰もが認めるようなムエタイの一流選手とか、ヨーロッパの選手とかそう言う凄い本当に強い人と戦って自分の強さを確かめたい、挑戦したい。そして、まあ、もしそう言う熱い戦いが色んな人の目に触れて、そして又キックが盛り上がってくれたらいいかなと。

Q:今のを聞いてて、日本人との対決にはあんまり、新田選手以外では余り興味が無いようですが。

青葉:うーん、新田選手以外で興味持てるのは、うーん、団体内では余り興味ある選手は居ないんです。ま内田選手、次の挑戦者に決ってますけど、失礼だけどあまり興味無いです。まあ外の団体見渡せば、まあやっぱり伊藤隆選手ですね。うん、彼が多分日本人の中では一番力あると思うんで。出来るならばやってみたいですね。まあ今頭は新田新田新田で(笑)、そうですね。何とか、今日クリアしたんで1年前の約束を果たせるんじゃないかと。後はもう連盟の方にお願いするしかないですけど、まあ何とか約束果せそうなんで、まあホっとしました。これからが勝負です。

Q:契約体重は69くらいで?。

青葉:まあ向こう次第ですけどね、69まで落とせるんなら69でやりたいですし、駄目なら70でもしょうがない。70以上だと一寸。

(ここで同じジムの先輩船木実が声を掛けてきた)

船木:ミドルでやってみろよ、1回。

青葉:ミドル・・・、いやあ。

船木:2階級制覇してみろよ、ウェルターはウェルターで、あれ返上しなきゃいけないのか?。

青葉:そうなってるんじゃないですかね。

船木:現役のままで、タイトル賭けないでさ。向こうの階級で。

青葉:ああ、向こうの階級で。

船木:タイトルはいいよ別に、よくやるじゃん、あのチャンピオン同士で。

青葉:はあ、まあそうすね。

船木:下げてくるとやっぱり向こうが不利だってなっちゃうから、上げていけば。

青葉:上げて向こうの土俵で戦う?。

船木:そうそう、それでもう絶対、勝ったら。

青葉:ああ、そうですね。只、やっぱ僕の体だと72だと一寸重いですね。スピードとかガクッと落ちちゃうと思うんで、やっぱ67か69位までは絞った方がいい試合できる、と。


収録・構成・写真:渡辺


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