藤井克久インタビュウ
「もう自分に負けたくない」

Interview & Photo : 井田英登

 井克久と言う名前を聞いても、サイクルの早い総合格闘技の世界では、すでに御存知でないファンの方もあるかもしれない。

 藤井のデビューは97年4月6日後楽園ホール。182センチ、90キロと、小兵の多い修斗では並外れた体格を誇り、エンセンを除けばほとんど唯一と言っていいヘビー級日本人選手としてプロデビューを飾った。
 その日第四試合に登場した藤井は、いきなり度肝を抜くような試合を展開して見せた。
 ゴングと同時にダッシュでタックルを仕掛けた藤井は、対戦相手のフランス人選手ダニエル・コニアンをコーナーポストまで吹き飛ばし、マウントを奪うとそのままパンチの嵐を降らせ、たった45秒でレフェリーストップを奪ってしまったのだ。これまで、数ミリを争うようなテクニカルなグラウンドファイトに目を慣らされてきた後楽園の修斗ファンは、この日本人離れした怪物ファイターの出現に、大きくどよめいた。僕も取材していて、修斗のリングをタックルだけで揺らした選手は初めて見たという記憶がある。奇しくも、第2試合では、PUREBRED大宮ジム所属(当時、シューティングジム大宮)の同門の加藤鉄史が同じくデビュー戦を闘い、メインイベントではエンセン井上がかつてヒクソンと二度の闘いを繰り広げたという伝説の怪人ズールーを、藤井より一秒だけ長い45秒間でタコ殴りにして勝利を飾っている。藤井にとって目指すべき先達と、そして同じスタートラインに立ったチームメイトの間に挟まれ、前途洋々たるスタートを切ったはずのデビュー戦であった。
 しかし、それだけ鮮烈なデビューを飾っておきながら、藤井の消息はぱったりとリングの上から途絶えてしまう。その間にエンセンはPRIDEへと闘いの場を移し、藤井がリードすべきであったヘビー級戦線は有名無実の状態に陥った。

 して、次に藤井が姿を現したのは、修斗のリングではなく、99年11月に開催された第2回UFC-J で開催されたヘビー級4人トーナメント一員としてであった。デビュー戦から2年半、突然オクタゴンに姿を現した藤井は、矢野のレスリング技術に苦戦しながらも2Rに得意のパンチで矢野を沈め二回戦にコマを進める。バーリ・トゥード対策に長けた修斗出身者らしく、タックルで上のポジションを奪うととにかくパンチを落していく戦法で九割九分勝負を優勢に進めていたのだが、山本の一瞬の返し技であるヒザ十字にまさかのタップアウトを喫してしまったのだった。攻め疲れて気力の衰えた藤井と、執念でチャンスを待ち続けた山本の明暗が分かれた瞬間であった。
 
 優れた体格を誇りながら、怪我に泣かされ続けた修斗ヘビー級の“流浪の王子”藤井。
 その藤井がこの10月31日に3度目のデビュー戦を迎えることになった。
 舞台に選んだのは、学生時代憧れだったというパンクラスのリングである。

 同期生である加藤がチャンピオンシップを争うまでのキャリアを積み、本来自分が締めるはずであったはずの修斗ヘビー級のベルトはそのランキングとともに封印されてしまった今、帰るべき場所を失い、異境であるパンクラスに生き残りを掛けるしかなくなった藤井。彼にとってそれでもなお格闘家として「闘うことの意味」はどこにあるのだろうか? けっして能弁とは言えない藤井だが、訥々と語る言葉に隠された静かなる闘志と、秘められた沈黙の日々に彼が何を考え生きてきたかが、このインタビュウでは語られている。そこには思い掛けなく今回の特集のメインに登場した山本喧一が、闘いを通して彼に受け渡した言葉にならないメッセージがあったという。はたしてそれはどういう形で藤井の心に刻まれたのか、その言葉に耳を傾けていただきたい。[→GO]


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