しかし、アンディの死は確実にその風向きを変えた。
不謹慎な言い方かもしれないが、アンディの死によってK-1には再び神風が吹いたのである。病床のアンディがいかにK-1全体の行方を心配し、いろいろなアピールをし続けたかということが、マスコミを通じて大量に記事となったおかげで、情報飽和状態に陥っていたファン達が、アンディの死を契機に再度K-1という場所の意義、そして広がりに目を向け直しつつあるのである。
一度は観客を乗せきらないまま、遮二無二世界航路に乗り出した感のあるWORLD GP シリーズだが、アンディの死によって港に押し掛けた観客の多くがこの船に乗り込んでくるだろう。
この時期にアンディの愛弟子であるジャビット・バイラミが南アフリカGPに出場する。本誌が公開される6日にはその結果が日本にも届いていることだろう。師を失った直後のバイラミが万全のコンディションで試合に臨めるとは思えないが、それをエネルギーにして優勝を飾れば、続く10月の福岡大会は、まさにアンディの存在を補助線に、格闘技界の話題の中心になるはずだ。(結局、クロアチア大会の結果、ジャビットは決勝で惜しくも敗退。福岡大会参加は果たせなかった:9/6追記)
かつて、アイルトン・セナの死によってF-1ブームが退潮したこととの類似を言う人も少なくはない。しかし、セナの死とアンディの死は、根本的に性質が違う。セナの死はあくまで競技中の事故であった。そのことによってF-1という競技の内包していた、「死とのデッドヒート」という概念が一気にクローズアップされ、ファンの熱気を削いだのである。
逆に今回アンディは病に倒れながら、死に対して一歩も引かない戦いを繰り広げた。格闘家としてのアイデンティティを強くアピールする死に様であったといえる。死に自ら接近していったセナと、死と正面から戦ったアンディのそれは、ファンに与えるイメージがやはり違う。死の床にあっても、K-1と言う競技の地位向上を最後まで願ったアンディの夢は、そのままこれからのK-1の世界展開に投影される。アンディを愛したファンはそのままK-1を愛し続けられるのである。そのことが、ヒーローの命を、競技自体が奪ってしまったセナのケースとのいちばん大きな違いであろう。
今年いっぱいそうしたファンの熱気は続くだろう。本当にWOROLD GPの成果が問われるのは来年以降である。それまでに、K-1事務局には、なぜ世界各地のGPにファンの目が行かなかったかを、もう一度考えて貰いたい。
結論ははっきりしている。
問題は日本での興行に配慮しすぎたことにある。トーナメントの二段階目、いわゆる名古屋、横浜、福岡の三興行に昨年ベスト8入りした人気選手を集中させたために、海外の予選が事実上の新人登竜門になってしまい、あまりファンの期待を集められなかったからである。それは同時に、K-1本来のだいご味であるトップクラスの選手同士の戦いを、現地の観客は見せることができない=世界各地の観客を巻き込んでいけないという事にもつながる。WORLD GP 構想によって、今回のトーナメントのシステムは確かに世界的スケールになった。しかし、その観客論は、まだ日本ローカルの観客論のままなのだ。これから大航海時代が始まるというのであれば、日本のファンだけを過保護にしていてはいけない。開催各地のファンもまた、これからの世界戦略においては、まったく同等にK-1を理解し支持してくれる“大事なお客さん”として認識しなければならないのである。
今回の世界予選というものが、日本のK-1事務局によってではなく各地のプロモーターが開催した、いわゆる“フランチャイズ方式”の大会であったこともその原因に上げられるだろう。これは要するに全国展開する大手のチェーン店の方式である。資金を持ったオーナーを募り、お店の経営方法のノウハウを教え、統一したお店作りやメニュー、内装などを提供。本部が指定した仕入れルート等を使って、お店を経営してもらう。今回日本のK-1事務局は、経営本部として大会運営方法やルール、そしてK-1というブランドをそういう形でフランチャイジー(オーナー=現地のプロモーター)に提供したわけである。
いきなり世界8個所での大会開催というマジックにはそういう背景があったのだが、ここで望みたいのは、こうした世界各地の大会の質的向上である。ベスト8級の選手をいきなり日本に集めるのではなく、世界各地のトーナメント一回戦から母国の予選を戦わせる訳にはいかないのだろうか。それならば世界各地で、日本の興行と同様に素晴らしい大会が見られることだろう。
マクドナルドやピザハットといった世界的なチェーン店では世界中どこに行っても、基本的なメニューが揃っており、アメリカ同様の味が保証されている。K-1も世界に乗りだしていくならば、そうあるべきである。どこに行っても本場日本と同じレベルの、品質管理が行き届いた大会が観られるようでなければいけない。もちろん、現地の実情に合わせた地域限定メニューも必要だろうし、チケット販売といった現実的な興行運営は現地のフランチャイジーにお任せすればいいことだが、やはり基本メニューのビッグマックの味が世界各地で同じであることこそが、ブランドの信頼であり力になるはずなのだ。
来年の世界予選は世界20個所に渡って開催される予定だと聞く。いよいよそうなると、予選の質の向上が切実な問題になってくるのではないだろうか。僕が本当にハラハラして「見たい!」と思わされるのは、例えばオランダGPでいきなりピーター・アーツとアーネスト・ホーストが潰しあったり、オセアニアGPでレイ・セフォーとサム・グレコが激突するといった、とんでもない世界である。それをぜひ実現してもらいたい。その真のサバイバルをかいくぐって来たものだけが日本で第二段目のトーナメントを戦うと言うのであれば、ファンはきっとその世界予選に熱狂するだろう。まるでフランスでのワールドカップの時のように、K-1のファンがご贔屓の選手の試合を見るために海を渡り、現地のファンとしのぎを削りながら入場券の争奪戦を繰り広げることになるだろう。そうすれば海外予選の中継がゴールデンタイムで放送されることも夢ではなくなる。その中を勝ち抜いて、真のニューヒーローが生まれるのであれば、既にその選手は無名でも何でもないし、日本の興行にそうした選手が集まってくるのであれば、現行の人気選手で興行に“保険”を賭ける必要もなくなるはずだ
サッカーのワールドカップも前回の優勝国と開催国以外にはシード権を認めない。ブラジルであろうともイタリアといった強豪国であろうともそれは同じことで、一回戦から頂点を目指して戦っていく事になる。基本的に世界をキャラバンすることで、現地の観客を巻き込みながら世界規模のチャンピオンシップを展開していくF-1の世界でもその論理は同じだ。ワールドチャンピオンであっても、毎大会ごとに義務づけられる予選クオリファイを通過できなければ、本戦参加はできない。世界の観客に支持されるメジャースポーツとなるためには、そういう形で常に競争原理を徹底させているものなのである。
そうすることで、もし日本のファン達がこれまでのような過剰保護の楽園を保証されないからといって、K-1を見捨てるのであればそれはそれで構わないではないか。その時は、K-1の側が日本を離れ、世界のマーケットを相手にしていけばいい。今はそうやって、産みの苦しみを経ながらも、より大きなビジョンのために状況を整備していくべき時期なのだ。
これまで、K-1は常に、次の興行にこれまで儲けた掛け金を全て注ぎ込むような大博打を打ち、そのエネルギーでファンの気持ちを引き付け、不可能を可能にしてきたイベントである。だからこそ、こんな無理も言ってみたくなるのだ。そうやって、日本中の、そして世界中の観客を巻き込んでいく、巨大スケールの観客論を持てるのは 格闘技界広しとはいえ、K-1だけなのだから。
実際、大きくなりすぎたK-1にそこまでの断を下すことが可能かどうかはわからない。しかし、あえて石井館長にはその博打を打って、その勝利者になってほしい。そのことが、今は亡き最大のK-1エバンジェリスト、アンディ・フグに捧げる最大の手向になるはずだ。
その時が訪れたなら、我々ジャーナル側も、K-1とともに海を越えて、その熱いキャラバンの模様を伝え続けていくつもりである。そうやって、ファン/マスコミ/選手が一帯となった巨大船団を形成するときこそ、「K-1大航海時代」の真の船出になると僕は信じている。■■■
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