草津はアンディ・フグの最後の弟子であると言っていいだろう。それも恐らくは最初で最後の日本人弟子のはずだ。
 年間10カ月近くを日本で過ごし、来る日も来る日も、高田馬場に通い続けたアンディではあるが、意外にも日本人の弟子は居なかった。宮本正明や、武蔵、中迫剛など歴代のスパーリングパートナーは確かに居たが、彼等はあくまである程度正道空手を修めた後に抜擢されたにすぎない。

 だが、草津は違う。
 内弟子に入って半年、度胸試しに出た全日本大会でいきなり三位に入賞するという僥倖はあったものの、それは草津自身の恵まれた体格と素質が産んだ結果であって、空手修業自体はまだ始まったばかり。その段階で、アンディが草津の才能に目を付けたのである。
 グリーンボーイであった草津を、アンディは手元において掌中の玉のように育てた。
 これまで、安生洋二や長井満也といった畑違いの越境者に軒先を貸すことはあっても、日本人弟子を持つこと無かったアンディにいかなる心境の変化があったのかは、既に知る由もない。だが、スイス国内での引退を決め、道場も、会社も、そして妻子さえも置いて日本に定住することを心に誓った晩年の行動を思うにつけ、その先には草津をはじめとする日本人選手を育成していくビジョンが彼の中にあったのではないか、と思わされる。これまでJAPAN勢に対してリング上での“手ほどき”を展開してきたアンディだが、ついにはそれだけでは物足りなくなったのかも知れない。
 アンディはその持てるものを、全て惜しみなく草津に伝えようとしたにちがいない。結果的にその育成プログラムは完結を見なかったわけだが、草津がアンディと過ごした時間の濃度の高さは尋常ではなかったはずだ。

 多くの人が、アンディをして「頑固」「厳しい人」といったキーワードで語るが、草津のかたるアンディ像は全くそれとは違う。アンディは、まるで血を分けた父親のように草津を慈しみ、そして何くれとなく面倒を見たという。人としての生き方を教え、悩みを聞き、時に厳しく、時にやさしく、その精神面に至るまで気を使って、アンディは格闘家としての草津の基礎を作った。それは単なる異国のスパーリングパートナーに対する扱いではない。己の血肉を分けた弟子に対する態度である。

 その最後の弟子がアンディの、日本での最後の日々を語った。

 これまでマスコミで喧伝された「毒舌アンディ」というレッテルに対して、アンディがどう考えていたかという事実も含めて、このインタビュウは、アンディの言動をマスコミ経由で鵜呑みにしていた人々には意外な事実かも知れない。しかし、その晩年を最も近い位置で見守った24歳の青年が語るアンディ像は、それ以上の説得力をもって我々に迫ってくる。→GO


サポーター会員入会のご案内 このコンテンツは有料です。購読するにはBoutReviewサポーター会員入会手続が必要です

 

[第6号 目次に戻る][BoutReviewトップページに戻る]

 

Copyright(c) MuscleBrain's
BoutReviewに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します。
著作権はマッスルブレインズに属します。