角田信朗もまた、アンディの死によって大きなテーマを託された一人である。空手時代から、同じ時代を駆け抜けた戦友ともいうべきアンディを失た今、最古参のJAPAN戦士となってしまったからだ。選手としてはほぼ最終コーナーに差し掛かった角田だが、JAPANチームの鬼軍曹として、リングを降りた日本人選手を叱咤激励し、空手家として、ファイターとしての心構えを叩き込むのは、彼に与えられた大きな使命だ。そうして育った日本人選手が、プロとなった時、その壁として立ちふさがるのがアンディの晩年の役割でもあった。
いわばこの二人はリングの上と下で共犯関係を結んで、有機的に日本人選手の育成を引き受けてきたコンビだったのである。そもそも二人が現役選手として拳を交えたのは'92年の事。鳴り物入りで正道会館主催「カラテワールドカップ」に殴り込みを掛けてきたアンディを二回戦で迎え撃ったのが角田だった。それから10年近い年月が経ち、お互いを肝胆照らしあう仲となった二人。お互いを認めあう格闘家としての信頼関係があったからこそ、さきほど書いた日本人選手育成の奇妙な共犯関係も成立していたのだろう。
心ならずもその友を送りだす立場に立った角田が、生前のアンディを語った。
他の人間には見せなかったリラックスした日常や、その将来を掛けた役者への思いなど、興味深いエピソードも多い。その中には、幻に終わった二人の、俳優としてのユニット“カクタンディ”の結成計画なども含まれている。人一倍目立ちたがり屋で、マスコミに露出も多い角田にとって、俳優を目指していたというアンディとの関係は、今後も続く多角的な物になるはずだったのだ。それでは人情家・角田ならではの角度から語られたアンディ像に耳を傾けてみよう。 【→GO】
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