3)どこまでもツイてない男、波乱万丈の団体遍歴

−−それで、修斗は最初K’z Factoryに入ったんですよね。

「僕がK’zの練習生第一号だったんですよ。初日から草柳さんと、今は修斗に出られてないですけど和銅さんって方に寝技のスパーリングをやらされて。そしたら1カ月ぐらいやったらプロシューターと負けないぐらいになったんですよ。まあ相手が軽量級ということもありますけど、水が合ってるのかなってことで。5月に入って、初めての試合が12月の全日本アマチュア修斗選手権だったんです。1回戦であの村上一成くんと当たる予定だったんですけど、村上くんが怪我で来れなくて、2回戦が横浜ジムの前年度優勝者で、結局それがアマチュアデビュー戦だったんですけど大差で勝って。決勝では藤井勝久くん(写真)とやって僅差で勝って優勝したんです。それで波に乗るかなと思ったんですけど、なかなかデビューができなくて。同期の中尾受太郎くんや、桑原卓也くんや池田久雄くんが今ではエース級に行ってるのを考えると、やっぱり不遇だったなとは思うんですけど」

−−その頃プロになれなかったのは原因はなんでしょう?

「一本勝ちが少なかったというのもあるし、ヘビー級がほんとに少なくてあんまり試合が組まれなかったというのもありますよね」

−−プロライセンスは取ったんですか?

「当時は無いです。僕がやっぱり辞めた理由ってのは、僕がプロデビュー2回断わったんですよ。それは、まぁ今更修斗批判ってわけじゃないんですけど、当時僕が藤井に勝ってて、97年4月に1回藤井との試合が組まれてたんですよ。その時はもう木口道場に移籍してて、それに向けて2月ぐらいから凄く練習してて。そしたら3月になっていきなり、佐藤ルミナさんの相手に決まってたフランス人選手(アリ・ミホウビ)のセコンドで来る予定だった人間(ダニエル・コニアン)がたまたまヘビー級だったんで、急きょ藤井と対戦することになって。そういうこともあって修斗をやめたんです。

 でも今思うと修斗には物凄く感謝してますよ。K’zで基礎を作ってもらって、木口で伸ばしてもらって、あとプラスアルファでキングダムのU系の技術も身に付けることが出来ましたから」

−−ほぉ〜。

「当時僕はシューティングの技術をベースにしてればどこでも勝てると思ってたんですよ。でもそうじゃないってのがわかったのは、キングダムに入って、金原さん(写真)や安生さんとかヤマケンさんとかとスパーリングしたら、技術が全然違うんですね。平気でバック取らせたり、横四方を簡単に押さえ込めるんですよ。『なんでこの人達は足が効かないんだろう?』『すぐバック取らせるんだろう?』っていつも疑問に思ってた中で、何年かして桜庭さんとかのホイラー戦を見てても、いわゆる回転系の関節技?。極めに至ってはU系の方が上じゃないですか。なぜかと言ったらU系は極めなきゃ勝てないスポーツですから。僕はシューティング時代はポジショニングには自信があったんですけど、アマ修斗では極めなくても判定で勝てたんで。それでU系に入って回転系の関節技を教えてもらって、すごいなと身をもって感じましたから。あとそれを自分で伸ばしながらやってきました。

 僕が今度ジムを7月にオープンしようと思ってるんですけど、そこでもU系の伝統の足関節やダブルリストアームロックであったり、あとちょっと大げさかもしれないですけどジャーマン・スープレックスも教えたりしたいんですよね。ジャーマンもやり方によってはテイクダウンのためにはいい部分もあるんですよ。そういったいい部分を残して、なおかつグレイシー系の基本のポジショニングも教えて。そうすればもっと違った部分のいい選手が育つんじゃないかと思うんですよ」

−−逆に今はU系の選手がバーリ・トゥードで勝つためにポジショニングを重視してますからね。

「だから高田さんにしても打撃とか関節技に関しては凄くいい物を持っていると前から聞いてたんですよ。ポジショニングって新人でも覚えられるんですけど、関節とか打撃というのはある程度練習しないと駄目ですね。僕でもガンガン極めれるようになったのは3年ぐらいやってからですから」

−−ちょっと話を戻しますが、木口で藤井選手戦が流れてデビューできなくて、その後はどうなったんですか?

「6月にまた藤井の相手に選ばれたんですけど、僕から『もういいです』って。当時は怪我って言ってたんですけど、僕が青コーナーで藤井に挑戦するような扱いになってたんで。僕は修斗で1回も負けてなかったんですよ。それでデビューしないのもおかしいなって思ってて。今考えればあの時我慢しとけばって思いますけどね」

−−出てそれで勝っちゃえばよかったのに。

「あの時は変なプライドがあって。今考えれば失敗でしたよね。そのあともUFC−Jでマーカス・コナンと闘う話もあったんですけど、それもうまくいかなくて。ホントは桜庭さんに決まる前、僕に話が来てて、次が金原さんに打診が行って、そのあとが桜庭さんだったんです。ちょっと惜しかったなあ(笑)」[下写真がその桜庭×コナン]

−−その後キングダムを選んだ理由は?

「ヒクソンに中井さんが負け、草柳さんや川口さんがやっぱりVTJで負けて、で、僕もその位置にたどり着きたいということを考えてて、その中で高田さんがヒクソンと戦った時はキングダム所属であったとが大きいですね。だからキングダムの中で勝っちゃえば、ヒクソンと戦えるチャンスがあるんじゃないかと当時思ってましたから」

−−ドームでの高田×ヒクソンを見て、キングダムに所属すればヒクソンに近付けるんじゃないかと。

「とにかく少しでもいいから近づきたかったんですよ。でも当時のシューティング所属ではもうヒクソン戦は絶対無理だとわかってたし、ヘビー級の選手自体も少なかったんで、キングダムに行けばヘビー級の選手がたくさんいるからと思って行ったら、いきなり後楽園で(笑)。びっくりしましたよ。『高田さんについて行きます』とか言ってるし。それなのに高田さんはいないし。客は『高田の携帯に電話しろ!』と言ってるし。僕はオロオロしてて。終わって鈴木さんと安生さんが来て『俺たちもこれからはお前みたいに仕事しながら格闘技やってる奴を取るから頑張れよ』とか言われて(笑)、『ハイ!がんばります』とか言ってて」

−−気が付いてみたら一人になっていたという。

「今までが悲惨だったんで、今度こそいいことあるかなと思ってたのに。キングダムが無くなって僕が一人で練習してた時も、ほんとに練習に行く度に『看板が無くなってないか?差し押さえされてないか?』って心配してましたよ。あと事務所のドアを開けたら、16畳ぐらいの部屋いっぱいに洗濯の洗剤が自分の背よりも高く積み上げられているのを見た時は『なんなんだよ〜!?』って思いましたね(笑)」

−−結局キングダムに入って上の選手と練習した期間ってどれくらいだったんですか?

「1カ月なかったと思いますよ。」

−−修斗での技術は通用すると思ってました?

「絶対に負けないと思ってました。さすがに極められたことはなかったですけど、こっちから極め辛いというのはありましたね。」

−−技術体系が全然違うなと。

「そうですね。特にポジショニング。一緒だと思ったのは打撃とレスリングぐらいでした」

−−で、一人になって、それでもキングダムを名乗り続けたのは、やっぱり悔しさゆえですか?

「はい。僕が入ってから人がだんだんいなくなったんですけど。始めヤマケンさんがリングスに行くってことが雑誌に出て、鈴木さんから電話があって『ヤマケンがリングス行くんだけど、知ってる?』て聞かれて僕は『知らないよ〜!』って(笑)。次の週には金原さんがリングス行くって言ってるし。極め付けは3月大会で安生さんのセコンドに付いてて試合が終わった時に『キングダムをやめてフリーダムになります』とか言い出して、『え〜!?』って(笑)」

−−じゃあ俺はどうなるんだ!って(笑)

「ほんと悲惨でした。死のうかと思いましたよ。本当に電車に飛び込もうかと思いましたもん。なんでここまでついてないんだ?って。」


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