Cool Column
横森 綾
アマレス至上主義者宣言!!
Round1:最強の肉体と知性の融合 アレキサンダー・カレリン


 

「レスリングのことを書きませんか?」

 という酔狂なお誘いをもらったのが昨年末。毎年年末におこなわれるレスリングの天皇杯全日本選手権が終わって、自分のアマチュアレスリング熱も加熱気味だったころ。以前はテレビ放映されていればボーッと見ていて、面白いとは思っていたけれどそれほど熱心なファンではなかった。一応、有名どころのレスラーくらいは知っていたが、それだけ。なのに、昨年、目の前で試合を見てからはもうすっかり虜に。見れば見るほど面白くってたまらないレスリングなのに(しかも無料で見られるのに)、全日本選手権の会場、代々木第二体育館に来ているお客さんは関係者ばかり。せっかくNHKの中継がある天皇杯なのに。日本ではレスリングの専門雑誌も今ではなくなってしまい、WEBでもレスリング情報を定期的に出してくれているのは ワールド格闘技の一 ディレクトリのみ。もっといろんな人にレスリングを見にきてほしいなあ。どうやってアピールしよう?と勝手に思い込んでいた矢先のお誘い。飛びつきましたとも。(^-^)

 そして、バウトレビューからのお誘いの直後にホテル・オークラで開かれた前田−カレリン戦の調印式に立ち会うという幸運。なんといっても「生で」カレリンに会えるのだ。試合でないのが(正確にはシングレット[アマレスタイツ]姿でないのが)ちょっと残念だったが、様々な伝説を持つ生きた人間に会えるのだ。興奮していたため、レトリックではなく前夜はろくに眠ることもできず、当日も食事をとるのを忘れていたくらいだった。

 会見場に現れたカレリンは、ピンストライプの三つ揃いのスーツがよく似合う紳士だった。あれほどの強さと栄誉を保持しながら、まったく奢ることなく、高い教養を備え、人格者であるという。評判通り、見かけ倒しのギラギラした威圧感を人に与えずともその人間の大きさを感じさせる物腰と眼差しを持っていた。テーブルの上に何気なく置かれた手の大きさは、格闘技者としての資質の高さを垣間見せていた。これが噂の「相手の手を取っただけで肘を決め、脱臼させてしまった」手なんだ。


 こちらのサイトを訪れる皆さんは、おそらくリングスの前田日明が引退試合の相手として引っ張り出し「ゴリラよりも強い」と形容したことでアレキサンダー・カレリンを知った方が多いのではないだろうか。

(でも、なんでリングスは「アレキサンダー」という記述にしちゃったんでしょうね?現地語発音主義の日本の記述方式から行くと、「アレクサンドル」なんだけど)

 いくら「レスリング界のスーパースター」だといわれても、ピンとこないのではないだろうか。浅薄なレスリング好きの自分でも伝え聞くカレリンのよい意味での異常さ。カレリンがどのくらいすごいのか、を少しだけお伝えしよう。

line

 1988年ソウルオリンピック。時差がほとんどない隣国、韓国での開催ということで、さまざまな競技の中継をテレビで見た記憶がある人も多いだろう。そのときのレスリング、グレコローマンスタイル(ベルトラインから下への攻撃を禁止されたスタイル。タックルや柔道の足技のような攻撃をすることができない。反対に下半身への攻撃が許されているのがフリースタイル)130キロ級決勝。3-0とリードされた劣勢から、パーテール・ポジション(試合中消極的であると判断された選手が、ペナルティとしてマット中央で四つん這いになり、相手の選手にあらかじめバックの位置を取らせた状態でグラウンドレスリングを始めること)にある対戦相手のゲロフスキー(ブルガリア。87年世界選手権3位)を凄まじい形相で持ち上げ、投げ捨てたのだ。このリフトで5ポイントを獲得し逆転。優勝、金メダリストとなった。そのリフト技の衝撃たるや凄まじく、これがカレリンの代名詞、カレリンズリフトを世界中に知らしめた瞬間だった。当時カレリンは弱冠20歳。それまで、世界選手権での実績などなかった。ソ連(現ロシア)の代表ということで強豪選手だという認識は持たれていただろうが、これほど仰天する姿を見せられると予想していた人はほとんどいなかったはず。ちなみに、その姿が目に焼き付いて自分のリングネームを「アレクサンダー」にしてしまったのがバトラーツのアレクサンダー大塚だ。

 パーテール・ポジションからは、なかなか直接リフト技(プロレスファンには「スープレックス」といったほうが通りがよいかも)が出しにくい。レスリングは打撃が一切禁止なので、相手の体の要所をつかみ、重心をずらせてコントロールを奪わなければ投げることなどできない。パワーも必要だが、それを使えるだけの状態に持っていくテクニックも大変重要となる。パーテール・ポジションであらかじめバックをとらせるという不利な体勢になった選手は、劣勢ではあるが予想できる体勢であるため、相手に体の重心を与えない体勢をとりやすい。そのため、上になった選手がポイントをとるためによくやる動きにはローリング(相手の体を一回転させること。2ポイント得られる)が多い。従って、ソウルオリンピックで投げ飛ばされたゲロフスキーも、よもや自分が宙に浮くなどと想像はしていなかっただろう。

 まして、カレリンは130キロ級である。リフト技そのものが非常に珍しい階級なのだ。実際、重量級でリフト技というのはなかなかお目にかかれない。また、レスラーの技術が高くなればなるほど防御の技術が練れているので、パーテール・ポジションからであろうとなかろうと簡単に投げ飛ばされたりしない。実際、昨年12月23日におこなわれた全日本選手権の決勝でもグレコローマン8階級のうち、これぞリフト!といった投げ技を披露したのは58キロ級の西見健吉(自衛隊体育学校)と76キロ級の片山貴光(自衛隊体育学校)だけだった。なのにカレリンは、世界の精鋭が集まるオリンピックのしかも決勝、さらに最重量の130キロ級でこれぞまさしく投げ技!という姿を披露したのだ。

 実は、鮮烈な世界デビューをしたといえるソウルオリンピックの前年、1987年に世界選手権の代表を決めるソ連(現ロシア)国内予選でロストロスキーに敗戦を喫して以来、現在に至るまでカレリンはレスリングの試合で一度も敗北を味わっていない。

line

 一口に「負けていない」と言われてもピンとこないかも知れない。視覚的にその凄さを味わうため、FILA (国際レスリング連盟)のデータベースでKarelinと検索する。ここには国際大会でのデータしか出ていないが、そこには「1」という数字がだけが並んでいる。これだけ「1」が並んでいるというのも壮観だ。このデータベースには、1896年からの1,400人を越えるレスラーの記録が蓄積されているのだが、その中のどのレスラーのデータを見ても「1」だけがこれほどたくさん縦に並んでいるレスラーはいない。


 FILAのデータベースでは、マッチリストが現状では最近のものしかないので確認できないが、カレリンの世界選手権の結果の中でも圧巻は1990年のものである。当然、一度も負けていないのだが、そのすべてがフォール(相手の両肩を1秒間マットにつけること)なのだ。

1:35 6-0 R・ゲロフスキー(ブルガリア)
1:07 3-0 S・ズロベック(ポーランド)
1:21 7-0 A・ホロドー(カナダ)
0:26 4-0 奈良英則(日本)
2:58 5-0 L・クラウス(ハンガリー)
2:50 5-0 T・ヨハンセン(スウェーデン)
 一番左が一試合にかかった時間。その右となりが試合終了時点でのポイント。すべての試合をフォールで終了している上に、相手に1ポイントも与えていない。一切の打撃が禁じられているレスリングのルールでフォールを奪うのは非常に難しい。さらに、試合時間中にポイントが表示されながら進行していくため駆け引きも重要な要素となる。詰め将棋のように、自分の状況と可能性を冷静に分析し、的確な判断を下すということが瞬時にできるかどうかが鍵となることが多い。その知力と体力の双方を完璧に近い形で実現しているといわれているのがカレリンなのだ。

line

 こうやって順調なカレリンの経歴をならべると、「あいつはエリートだから、少しでも窮地に追い込まれたら弱いのではないか?」と感じる人もいるかもしれない。しかし、彼は本当にしぶとい。

 1996年アトランタオリンピック。この時、カレリンは最大の危機を迎えていた。怪我からの回復が思わしくないというニュースが流れていたのだ。怪我は単なる噂ではなく現実だった。さすがのカレリンも今回は金メダルを逃すのではないかという観測が大半だった。にもかかわらず、カレリンは相手に1ポイントも与えないまま勝利しつづけ決勝へ。決勝の相手はガファリ(アメリカ)。延長に縺れ込んだとはいえ相手に1ポイントも与えないまま勝利する。強靭な精神力である。なまっちょろい、もやしっ子のエリートなんぞではない。カレリンの生まれ故郷は広大なシベリアの大地の真ん中、ノボシビルスク。帝政ロシア時代は反政府活動をしたものが送られる流刑の地であった。厳しい気候の流刑地でありながら、当時の一流の知識人が流刑されてきたため、独自の文化も持つ。日本で言えば、佐渡島あたりを思い浮かべてもらうとちょうどよいのかもしれない。退屈と孤独が同居するシベリアの広野。その中で人類最上といえる肉体を知性とともに培った男はわれわれの想像の範囲を超えた底力を持っていた。

 現在ではすでにピークを過ぎている選手だと言われているカレリンだが、彼の場合はピークを過ぎてしまっても強いままである。1998年の世界選手権でも、あいかわらず対戦相手に1ポイントも与えぬままチャンピオンになっている。

line

 ここまでいろいろと並べてきたが、私は生でカレリンの試合を見たことがない。FILAのデータベースCD-ROMに収録されているビデオデータや、ビデオでしか見たことがない。それでもカレリンは特別な選手であることが十分にわかる。

 CD-ROMのビデオデータを何度もリプレイしてみたカレリンの姿は、130キロ級とは思えない筋肉の付き方をしている。映像や写真で見ても、130キロ級の選手というのは軽量級の選手と違い、ぴったり筋肉質な印象を与えないことが多い。シングレット(レスリングタイツ)の腰のあたりからお肉がもにょっとはみ出ている選手が多い。しかし、カレリンはぜーんぜんむにょっなんてはみ出ている肉はどこにも無し。[注:右の写真はリングス提供のものです]

 さらに動きがはやい。レスリングはかなり速い動きが要求される競技なのだが、正直言って重量級の試合にはそんなに速さを感じない。だが、明らかにカレリンは速い。くずしからするすると相手の後ろに回る。


 昨年、日本でおこなわれた日本-ロシアのチーム戦(各階級から一人ずつ選手が出て闘うレスリングの国別団体戦。フリースタイルでおこなわれる)を見たとき、ロシアの130キロ級のタックルの速さにも驚いたが、あれでロシアでは4,5番手の選手だそうだ。それでもタックルが出た瞬間には会場にいる人たちから「ほぉーっ」とため息が漏れた。ならば、カレリンの速さを目の前にしたら観客の驚きは比ではないだろう。日本では前へ素早い重量級はよく見かけるが、横に速く動く重量級は滅多にいないから、レスリングなど知らなくてもカレリンの試合を見る楽しみは無くならないだろう。まだルールの詳細が決まっていない前田−カレリン戦であるが、くれぐれもレスリングの選手の特性を殺すようなルールにだけはしてほしくないものだ。


 カレリン−前田戦の調印式の翌日、志木市民体育館で全日本選手権のプレーオフがおこなわれた。その折に会ったレスリング選手にカレリンの記者会見に出席できた話をしたところ「カレリン、今日はこっち(全日本プレーオフの会場)には来てくれないんですかねえ」と尋ねられた。国際大会に頻繁に出場しているレスリング選手だって試合でなくとも是非とも会いたい選手がカレリンなのだ。2月21日、横浜アリーナへ観戦に行く人は、レスリングの試合以外には絶対に出ないと明言していたカレリンを目の前で見ることのできる幸せをかみしめてほしい。また、テレビ観戦の人も不世出のレスラーの見事な肉体と頭脳を堪能してほしい。

line

 最後に。

 今後、バウトレビューで定期的にアマチュアレスリングについて取り上げさせてもらいます。細かいルールなんて分からなくても十分に楽しめる、お気楽版レスリングの楽しみ方をお伝えしようと思っています。レスリングを見慣れてくると、レスリング選手が他のルールの試合で見せる何気ない動きが実はすごく有効なんだと感じるようになります。逆に、レスリング選手の苦手とするところもよく見えてきます。ギリシア時代からの伝統と近代の科学が融合したレスリングという格闘技に少しでも触れてみてください。それでは、次回は「お気楽レスリング観戦のすすめ その1 とにかく会場へ行ってみる編」です。


横森 綾 (よこもり あや)
BZG03701@nifty.ne.jp
「世界征服宣言」 http://member.nifty.ne.jp/gattiri/


カメラ:井田英登  HTML編集:井原芳徳