元祖・最多試合男 |
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名前 |
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所属 |
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生年月日 |
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身長 |
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体重 |
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出身地 |
大内 敬 |
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パラエストラ小岩 |
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1970.12.22 |
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175cm |
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日本 静岡県 藤枝市 |
おおうち たかし |
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経歴 |
中学校(柔道部)→高校(柔道部)→東京理科大学(生物学科・柔道部主将)→大学院
→科研製薬静岡研究所→東京理科大学(助手・27歳〜)/パラエストラ松戸
→パラエストラ松戸→パラエストラ小岩 |
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紹介 |
神奈川県小田原市で育ち、幼い頃は運動が苦手ないじめられっ子で、
ソフトボール部では選手になれずいつもスコアラーだった。
体の柔らかさを活かすために、ソフトボール部監督の勧めで中学から柔道を始める。
強くなりたい一心で部活後も自宅で深夜まで筋トレをした。
格闘技好きだった調理師の父親が毎晩トレーニングにつきあい、それが高校卒業まで続いた。
大学院時代、サンボ全日本選手権でベスト8に進んだ事が自信となり格闘家への転機を考える。
就職してからはアマチュアの試合に片っ端から出場し、多い時は1年で53試合もこなしている。
その頃は近くに道場がなかったtめ独学で練習をしていた。
助手として東京理科大学に戻ると研究にも励み、博士号と学会の奨励賞を手にしたが、
大学に戻って5年目、格闘技に専念することを決している。
将来は自らの柔術道場の発展と後進の指導をするかたわら、
格闘技と生物学で学んだ経験を活かし、パンチドランカーや痴呆の進行を防ぐ「サプリメントの開発」を夢見ている。
柔術等の大会で20回優勝するなど日本では最多入賞記録を持つ。 |
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タイトル |
1996年3月、第2回 全日本コンバットレスリング選手権 68kg級 3位。
1999年3月、第5回 全日本コンバットレスリング選手権 69kg級 優勝。
同年8月、第6回 全日本アマチュア修斗選手権 ウェルター級 3位。 2001年11月、カンペオナート・ジャポネーズ アダルト 青帯 レーヴィ級 3位。
2005年8月、第6回 全日本ブラジリアン柔術選手権 マスター 茶帯 レーヴィ級 準優勝。
同大会 マスター 茶帯 アブソルート級 3位。
2006年2月、LUTADOR NO-GI Jiu-Jitsu Tournament エキスパート・メジオ級 準優勝。 |