大学生時代の1987年、UWFに入団するが練習が辛く一度退団している。
大学在学中、ライフ・セービングを務め、卒業から半年経った1989年、
一度サラリーマンになるがUWFインターナショナル入団のため1990年退社。
1992年プロデビュー。
UWFインターナショナル時代は、新日本プロレスとの抗争の折、安生洋二、山本喧一の3人でゴールデン・カップスとして活躍する。
プロレスリングNOAHでは大森隆夫、サンボ浅子と組み、恐れ知らず戦い方から「NO FEAR」の代名詞を得る。
2000年2月にNOAHを脱退すると、戦うリングを幅広くしPRIDEでもその「NO FEAR」ぶりを発揮し一躍人気プロレスラーとなった。
最近は総合格闘技のリングに上がっていないが、プロレスラーとしての地位を不動のものとしている。
テレビにもよく顔を出し、巨体に似合わず、大のフィギア好きでも知られる。
伝説の猪木対モハメド・アリを観に行ったものの、退屈で途中で帰ってしまったという意外なエピソードも持つ。 |