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[IKUSA 6] BoutReview XX 特別編:TURBΦ「一本線のその先に」

 キックボクシングのNKB統一フェザー級王者・TURBOが、他団体の強豪たちと戦いたいという思いから、7月19日の勝利を最後に王座を返上、事実上のフリー宣言をした。そして同じ茨城出身の友人・HAYATΦが活躍するIKUSAを主戦場としていくことを決めた。これを機にTURBOはリングネームを「TURBΦ」に変更。所属も「FUTURE_TRIBE ver. O.J」とし、HAYATΦが所属するFUTURE_TRIBEと、TURBΦが練習するTEAM O.Jを“融合”した形となった。新生TURBΦは10月3日(日) ムエタイの聖地、タイ・ラジャダムナンスタジアムで1試合を挟んだ後、11月28日のIKUSA 6 六本木ヴェルファーレ大会で、初めて国内のNKB以外のリングに上がる。この記事ではこれまでの「TURBO」がどのような道を辿ってきて、一本線の増えた「TURBΦ」という名を名乗るに至ったかを紹介したい。(文・写真:井原芳徳)



◆編集部からのお知らせ◆
 この記事は、IKUSA 6のチケットを本誌で購入した方への特典「BoutReview XX IKUSA特集編(仮題)」の無料サンプルです。(チケットは完売しました)
 XX(ダブルエックス)はバウレビの有料インタビューWebマガジン。通常の誌面より深く濃い内容で、格闘技の魅力をお伝えします。IKUSA特集編では、HAYATΦ・新田明臣・山口元気ら、主な出場選手への独占インタビューをお届けする予定です。


 デビュー前から現在までTURBOが練習場所としてきたTEAM O.Jは、元キックボクサーの青木弘行会長が1998年にスタートした練習チーム。場所はTURBOの地元の茨城県水海道市。公共施設の武道場を夜2時間・週3日借り、今も常設のジムは持っていない。学校の教室ぐらいの広さに敷かれた畳の上が練習スペースで、サンドバッグもリングも無く、お世辞にも良いとは言えない環境だ。しかし青木会長は陸上・アメフト・卓球等、他競技の練習方法を研究し練習を工夫。環境のハンデを逆手に取るような、独自のスタイルを構築していく。O.JにはTURBO以外にも、NKBバンタム級初代王者の中野智則らプロ選手計6人が所属する。青木会長以外、格闘技経験者のほとんどいないO.Jの歴史は、イコールTURBO&中野の成長の歴史と言っても過言ではない。TURBOが「中野君がいたから続けられたかもしれない」と語るように、チーム内の絆は強い。

 TURBOがO.Jに加入したのは高校卒業の直前の1999年の冬。O.Jができてまだ半年ほどしか経っていない頃だった。TURBOは当時をこう振り返る。

「元々ボクシングが好きで、世界タイトルマッチとか辰吉の試合とかよく見てたんですよ。K-1とかキックボクシングは全然見てなかったですね。ボクシングがやりたかったんですけど、ジムが近場になくて、土浦とか柏にはあったんですけど、水海道から通うには遠くて…。そしたら、友達でキックボクシングをやってる奴がいて、『どこで?』って聞いたら『水海道』と言っていたんで、速攻入門でした。最初入った日から、青木さんに『続けんのか続けねえのかどっちだ!』っていきなり怒鳴られたんでびっくりしたんですけど(笑)、早くスパーリングをやりたかったんで、練習も全然しんどいと思わなくて。ワン・ツーを教えてもらってやってるだけで楽しかったですね」

 中学でサッカー3年、高校で陸上1年のスポーツ経験しかなかったTURBOだが、めきめきと上達。青木会長も入会1ヶ月でTURBOのセンスの良さに気付く。そしてグローブ空手を2試合ほど経験し、入会1年半でAPKF(アジア太平洋キックボクシング連盟)でプロデビューを果たす。TURBOのリングネームの通り、新人離れしたスピードと破壊力は当時から異彩を放ち、ほとんど相手を寄せつけないまま破竹の5連勝。そしてその頃、TURBO躍進のきっかけとなる「NKB統一ランキング決定トーナメント」がスタートする。


 NKBは01年、NJKF(ニュージャパンキックボクシング連盟)、日本キックボクシング連盟、APKF、K-U(キック・ユニオン)の4団体の統一ランキングとして制定された。その以前から4団体は交流戦を続けていたとはいえ、垣根を越えたランキング統一は画期的な“事件”だった。
 TURBOもトーナメントにエントリーされるが、フェザー級は20人の最激戦区。各団体の強豪が揃う中でTURBOは大穴だった。実際、組合せ表を見てもらうとわかるとおり、TURBOのブロックは13人なのに対し、反対ブロックは7人。TURBOは各団体の下位ランカーとの、いわば「予選」扱いの試合からがスタートさせられる。
 そんな立場のTURBOのモチベーションとなったのは、順調にいけば3戦目で激突する、当時NJKFフェザー級1位の楠本勝也の存在だった。

「生まれて初めてキックボクシングのプロの試合を生で見た時のメインの試合が楠本選手だったんですよ。『凄ぇなあ、この人とやりてぇなあ』と思って。トーナメント表見て、2回やれば戦えるんで。トーナメント制覇は頭になかったんですよ」

 01年10月の一回戦でTURBOは日本キックの児玉正暁を、12月の二回戦でK-Uの松本浩幸を撃破。02年2月、日本キック後楽園大会のメインイベントで、念願の楠本と向かい合う。
 TURBOはスピードで楠本をかく乱し連打を許さない。トーナメント本命の楠本が攻めあぐねる意外な展開に、会場は騒然となる。青木会長も「TURBOの動きに楠本がついていけなくて、倒れたところに膝落としてきたりとか反則してきて、必死なのがわかった」と、この試合を興奮気味に振り返る。そして最終ラウンド、TURBOの縦肘がヒットし楠本は流血。これをきっかけにTURBOがラッシュしポイントで差を付け、大金星をもぎ取った。TURBOは言う。「今までの試合で勝って一番嬉しかったですから。絶対負けると思ってたんですよ。ここで勝ってからですね。プロとしてやれる自信が付いたのは」

 続く準決勝は02年7月。APKFのメインイベントに凱旋したTURBOは、日本キックの伊藤陽二も撃破。その2ヶ月後の決勝で対峙したのは、楠本同じく本命視されていた桜井洋平だった。前NJKFバンタム級王者の桜井は、フェザー級に階級を上げNKBトーナメントに参戦。モデル系の顔だちで手足も長く、NKBトーナメント以前からタイ人との試合を組まれる等、NJKFのエース選手として既に大活躍していた。
 区切りとなるこの10戦目で、TURBOは初めての黒星を喫する。1R終了間際、桜井はTURBOをロープ際に追い詰めての右ハイキックでダウンを奪取。その後TURBOは驚異的な追い上げを見せるものの、あと一歩のところで攻めきれず、ダウン分の失点を返すことができなかった。
 決勝で桜井に敗れ、連勝記録は9でストップしたものの、TURBOはNKBトーナメントをエンジン全開で駆け抜け、1年の間に一気に日本のフェザー級のトップクラスに登り詰めた。
 楠本を破ったTURBOにとって、新たなモチベーションとなったのは初めて土を付けた桜井へのリベンジだった。だがTURBOとの試合の1年後、桜井はライト級に転向。後楽園ホールで桜井の転向宣言を聞いたTURBOは、突然目標を失いがく然とする。


 桜井の返上したベルトを賭け、TURBOは03年11月、王座決定戦に臨み、下馬評どおりベルトを手に入れた。しかしTURBOの気持ちは揺れ動く。

「ベルトを取ったのもあんまりうれしくなかったんですよ。桜井選手が返上した時点で俺、ランキング1位でしたから、下の選手(5位の難波博志)と戦って取ったベルトだったんで。もちろんベルトも欲しかったですよ。でもやっぱり桜井洋平を倒した上で取りたかったですね。もう1回やったら勝つ自信はあったんで」

 桜井を追い掛け、ライト級転向を全く考えなかったわけではないが、現実問題として体格的に無理がある。しかも桜井も同じ茨城県出身。いつのまにか友達になり、リベンジ意識も薄れた。

「ベルトを取った時点で、これからも同じ相手とやり続けるのかな?と考えると、モチベーションは下がりましたね。3月の初防衛戦でKOした松本(浩幸)選手とも、NKBトーナメントの2回戦でやってましたし…」

 「打倒ムエタイ」を目標に、NKB所属団体のリングに上がり続ける道もあるだろう。しかしTURBOはその路線を「ないですね」とキッパリ否定する。TURBOの通算戦積は16戦13勝(3KO)2敗1分。桜井以外にもタイ人のデンチャイ富士に敗れているが、TURBOにとってこの2つの敗北で喫した味はまるで異なる。

「桜井選手に負けた時は悔しくて涙流したけど、デンチャイに負けた時は、打ち合いに来てくれないんで、『面白くねぇなぁ!』って感じだったんですよ。俺もダメージ無くって、試合やった感じしねぇっつうか」

 素早い動きで相手を翻弄しローを当てる、アーネスト・ホーストのようなスタイルを目指すTURBOにとって、ムエタイは勉強の手段とはなれど、目標とはならない。極めたいのは日本生まれのスポーツ、キックボクシングの頂点だ。TURBOはターボエンジン全開で打ち合える相手を渇望していた。そして初めてワン・ツーを習い夢中で反復したあの頃、楠本勝也を目標とした頃、桜井洋平を追い掛けた頃のような熱い気持ちを。


 APKFでデビュー以来5連勝を飾り、4団体統一ランキングのNKBでも頂点に立ったTURBO。キックボクサーとして、そのエンジンをさらに燃え上がらせ、そのポテンシャルをフルに発揮させるためには、4団体よりもさらに多くの団体の垣根を打ち破ることが宿命付けられる。今年3月に初防衛をした4ヶ月後の7月19日、TURBOはこれまで育ったAPKFのマット上で白星をあげた後、ベルトの返上とフリー宣言を敢行した。
 TURBOを育てたTEAM O.Jの青木会長(写真)は、TURBOの決断に最初は反対したものの、フリー宣言をする頃には最大の理解者となっていた。

「僕らが業界のアンチテーゼになってもいい。じゃないと、変わらないんじゃないか? NKB自体はとても画期的でしたよ。だけど、さらに全日本も新日本もMAもNKBもIKUSAも、これまでのしがらみを捨てて一つにならないと、各団体にいる若い選手たちが報われないですよ」

 フリー宣言にあたり、青木会長はAPKFの南樹三生理事長に相談し了承を得た。

「理事長は色々誤解は多いですけど、あの人は男ですよ。TURBOがフリーになるって聞いた時、涙流して怒って。でも最終的に、それはそれと認めてくれて。『うちにタイ人4人いるんだから、練習に来いよ。関係ねえんだから。俺の弟子なんだから』って。別に自分の方に取り込んでやろうとかとかズルい考えじゃなくて、純粋に弟子を可愛がる気持ちで言ってくれて…。南理事長、いつも怒鳴るんですよ。マスコミにも怒鳴るから、嫌だな、と思う人は嫌なんでしょうね。我々はそれに慣れてるからいいですけど、いつも会うと『バカヤロ!』『ふざけんな!』から始まりますからね(笑)。でもそれは枕言葉で。本当は凄く熱くて一本気な方で」

 TURBOと青木会長にとって、もう一人支えになったのは、同郷のHAYATΦの存在だった。「HAYATΦとは僕がアマチュアの頃からの知り合いだったんですよ。K-1とかIKUSAの試合もよく見に行ってて。HAYATΦが電気バンバン当たってガンガン音楽鳴って入場するのを見て。カッコいいっすよね」
 HAYATΦの存在が無ければ、TURBOと青木会長とIKUSAの接点は無かったかもしれない。そして“選手たちのスクランブルエリア”を標榜するIKUSAの小澤進剛プロデューサーも、青木会長の考えに深く共鳴した。

「初めてO.Jの練習を見させていただいた時から、凄く頭のいい人だなってことがわかって。合理的で、年代も近いし、何より凄く情熱があって…。青木さんも言っているように、ここで僕らの世代が変えないといけないと思うんですよ。今K-1やPRIDEがブームですけど、ここで業界をきちんとしないと、ブームだけで終っちゃいますから。
 もちろん上の世代の人達のいい所もあります。TURBOの件でも南理事長にもお会いしていろいろご指導いただいて。またこれまでもIKUSAのスーパーバイザーである谷山歳於会長やMAキックの宮川拳吾理事長、シュートボクシングのシーザー武志会長、新日本キックの伊原信一代表など、大先輩方にはいつも可愛がっていただき、アドバイスと叱咤激励をいただいて、ここまでやってこれました、お話を聞くと非常に勉強になります。皆様、そういった意味で僕にとって“格闘技の父”です。
 でもリングで戦う選手達がそうであったり、他の業界でもそうであるように、この業界もいい意味でRISEの伊藤隆プロデューサーやREALDEALの畔田聡代表など、我々の世代、NEW GENERATION、NEW AGEの新しい感覚も注入していかないと、業界全体が硬直化してしまうと思うんですよ。そしていずれは逆に僕らも、いつかは世代交代される側に回ると覚悟してます。またそうならないと業界全体の発展はありえない。そういった意味でHAYATΦやTURBOが選手としてだけじゃなくて社会人としても成長して、僕をIKUSAプロデューサーから引きずり落とす日を楽しみにしています(笑)」


 TURBO、青木会長、小澤Pの相談の結果、TURBOは「フリー」ではなく、「FUTURE_TRIBE ver. O.J」という所属を名乗ることとなった。「IKUSA中量級のエース」HAYATΦとともに、TURB“Φ”は「IKUSAの中軽量級のエース」として、2枚エースの片翼を荷うことになる。だが、IKUSAへの出場に拘束されるわけではない。小澤Pは「NKBさんからもお声を掛けていただければ逆に送り込みたい。諸条件さえ折り合えば、どの団体でも上げる」と説明する。今後も青木会長はTURBΦのトレーナーおよび代理人を務めるが、他のTEAM O.Jの選手たちはAPKFの選手として活動を続ける。

 こうしてTURBOはTURBΦになった。だが腰に巻いた一本のベルトを捨て、名前に一本の線を入れただけで終ってしまうわけにはいかない。この一本線を意義あるものとしていくことがイコール、これからの闘いの意義でもある。
 小澤Pは新生TURBΦの存在を“爆弾”と表現する。「HAYATΦの場合ウェルターからミドル級ですから、魔裟斗選手が団体を越えて活躍するフリー選手の活動モデルとしてあったんです。けど、TURBΦの場合、フェザー級ですから、先例が無いんですね。彼がそれこそ“60kg級の魔裟斗”にならないといけないんですよ。-70kgに続いて、-60kgでも魔裟斗みたいな選手が出てきたら、業界にとって爆弾ですよ。でもそうなるためには、魔裟斗君と同じように、TURBΦは勝って勝って証明していくしかないんです。そのためにもIKUSAは各団体・各プロモーションさんと誠心誠意交流のお話をしていきたいと思います」。さしずめ、Φ(ファイ)の字の一本線は、爆弾に付けられた導火線といったところか? 同時にまた、交流のない各団体を一本につなぐ線にもなりうる。

 9月1日、東京・渋谷で行われたIKUSA 6の開催発表記者会見に、TURBΦはIKUSAのロゴマークの入ったTシャツを着て登場した。とはいえ、渋谷に出てきても、FUTURE_TRIBEの一員になっても、素のTURBΦはこれまでどおりのTURBOと変わらない。質疑にも茨城弁で応じ、記者に「自分のどういうった所を見てもらいたいか?」と聞かれると、「スピードと、ボケですね。あと顔」と言って、クシャおじさんのように顔をシカめて記者団を笑わせる。

 芯の抜けたキャラクターは変わらない。しかし、TURBΦの闘いに対する姿勢には、一本の芯が貫かれている。そして名前にも一本の線が貫かれたことで、線の先にあるものはより一層明確となった。TURBΦが会見で口にした目標はいたってシンプルだ。

「各団体のランカー全員と戦って、一番になって、キック界を統一する」

 あとはただ、その先に向かってエンジン全開で走り続ける、それだけだ。




◆ TURBΦの“その先”を見届けよ! 11.28 IKUSA 6 六本木ヴェルファーレ大会 開催
 今回のTURBΦインタビューは、IKUSA 6のチケットを本誌で購入した方への特典「BoutReview XX IKUSA特集編(仮題)」の無料サンプルです。(チケットは完売しました)
 XX(ダブルエックス)はバウレビの有料インタビューWebマガジン。通常の誌面より深く濃い内容で、格闘技の魅力をお伝えします。IKUSA特集編では、HAYATΦ・新田明臣・山口元気ら、主な出場選手への独占インタビューをお届けする予定です。

Last Update : 09/17

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